2009.07.02

ハエ、ハマ

 お陰で、ハエ騒動も収束したようである。ただし、原因が分かっていないので、再発も十分ありうる。清潔にしましょうねと、ハエさんたちに教えられた。
 ハマの方も所用がいったん終息し、次、いつ行くことができるかは不明である。
 うっかり、昨日、落とし込むことを忘れていた画像がある。カウンターパンチの各種「蒸し物」はこれでもって、ほっこり。

[路上の蒸し器]

蒸し器

 本日はムシ2題。


Posted at 21:26 | 雑に | COM(1) | TB(0) |
2009.07.01

カウンターパンチ(横浜中華街、いつものお店にて)

 本日は、二度、「ふと」を実行した。横浜へ所用に出かける際、少し、時間があったので、直接、みなとみらい21へ行くのではなく、どこかを歩いてみようと思いついた。JRを利用していたものだから、では、と、石川町で降りることに決めた。といっても、いきなり、いつのもお店でランチを食べようということではない。元町を覘いてきた。
 ふと〜二度目は所用を終え、さあ、いつものお店へと思った際に、これから歩いて向かっても、もう、氷川丸も閉まっている時間(それが16時ごろ、入船は16時30分まで)だから、と、MM21辺りを海(港)に向かうと、ぷかり桟橋の案内が眼に入った。そこから、山下公園まで「船」に乗ろうと、行くと、20分ぐらいで来るとあったので、それに決めた。これらについては、引き続き、記したいと思う。

 さて、いつものお店である。前回、訪れた際にサービスで戴いた「蝦入り蒸し餃子」の件もあり(羹に懲りて、膾を吹く、09年6月17日付)、今回は、それとシュウマイを加えた6ケ分の腹具合を用意してきたので、台湾ビールを頼んだ後に2品を注文した。心(腹)づもりでは、そのあと、焼きそばでもと、メニューを眺めながら、考えていた。
 例によって、タイマーが報せて、向かいの支店に出向き、いよいよ、蒸篭2ケを携えた女将さんの登場。
 2ケ?、他にお客さんはいない、よ。あぁ、エビとシュウマイが別々にね、と軽々に解釈していると、

 「これ、サービスね」

 と、一方の篭には予定どおりの6ケ(前回も注文3ケとサービス3ケがひとつの蒸篭に納まっていた)、そして、他方には小籠包が3ケ、鎮座されていた。しかも、後者のほうが名前は小・・・だけど、前者より、はるかに大きい。ひと篭に3ケが定員である(前者は定員6ケ)。

 わたくしの食略(こののち、ソバのつもり)は、女将さんの一撃(カウンター)でもって美事に撃ち砕かれ、その後、わたくしの注文票はビール以外、一切動かず、ゲームセット。

 女将さん、ありがとうございます。加熱した、蝦も大丈夫になりました、ただし、それは、「そこ」だからだと思います。他のお店では、やはり、食べることはできないと、確信しています。

 サイツィェン

Posted at 23:53 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2009.06.30

ハエが

 本日、ハエさんが異常に発生していることに気づいた。わたくしが、だらしないのは措いたとしても、少し、気になる。六月蝿い(明日からは七月蝿いかな)だけで、別にいらっしゃっても良いのだけれども、ね。
 明日はハエ、でなくて、ハマへ。

Posted at 23:57 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2009.06.25

マックでTS(タラ・ソース抜き)

 仕事の待ち合わせにマクドナルドを利用することがある。たいていは朝であることから、ちょっとした問題が起きる。わたくしはハンバーガーが苦手である、したがって、食べない。ただし、白身魚のフライは食べることができるので、フィレオフィッシュを注文する。今では面倒くさい(待っているお客さまにも気を遣って)ので実行していないが、以前は「ソース(タレ)抜き」とワガママを言っていた。実を申せばタルタルソース系も苦手なのである。カキフライ本体は大丈夫であるが、なぜか、アレ(タルさん)が添えられている場合が多く、タルを除けて食べるのが面倒くさくもある。タルはダメであるが、タラ(≒白身魚)はOKで、チリ(鍋)、チャンジャ(キムチ+塩辛)など好んで食べる。ついでに申せばタラコも好きで、生か、半焼きか、本焼きかは、その夜の気分による(昼は食べない)。
 なぜ、日本でイギリス風のフィッシュ&チップスが流行らないのか不思議である。(ま、どうでもよいけれど)
 前置きが長くなったが、わたくしが訪ねるお店に限っていえばフィッシュが10時半あるいは11時より販売という無茶なことを云われるので、困る。仕方がないものだから、シャカシャカチキンをというと、
 「それも無いです(ペコ)」
 わたくしはお釈迦様ではないので、もう、このあたりでクレーマーになっても良いとも思うが、いつもハッシュポテトで手打ちしている(嫌いではないので)。

 日本マクドナルド社のサイトには終日販売とある。

 朝マック※10:30まで(何時からとは明記されていない)
 レギュラーメニュー※10:30以降

 上記表記に、一行だけ、
 「店舗によっては、販売時間が異なる場合がございます(ペコ)」
とでもあれば、納得できるのにね。 
 (一応、※その他の商品についても、店舗によりお取り扱いしていない場合がございます。詳しくは、各店舗までお問い合わせください。〜とあるが、いちいち、問い合わせるつもりはない。)

[マツドのマクド]

マツドのマグド1

 ここでは11時からの販売とメニューカードにあった。15分も待てば頼むことも、食べることもできたのであったが、めんどくさいので、やめ、ボリウムが気になったが、チキンを頼んだ(すべて、食べました)。やはり、タル系で困ったけれども。

 なお、「マックでDS」を実行しているひとを見かけなかったが、バーガーを頬張る容と、DSを操る姿が重なって見え、そのうち、バーガー・デザインのDSが売りに出されると、頬張るのと操るの違いが分からなくなってしまうと、要らぬ心配をしながら、所用先に向かった、さいわい、雨が西の空から上がりつつあった。

[青瞬は一度きり、とも限らないのか]

 これは夏至過ぎ(6月23日19:24)に撮ったものである。マックを訪れた24日は朝から激しい雨で、それも昼前後には真夏のような空が広がったのだが、ブルーモーメントがきれいな夜(夕)の翌朝は雨というデータでもあるのだろうか、まだ、着手していないが、いずれ調べてみようと思う。

青瞬1

[同じ日時分に撮ったものであるが、数秒(瞬)で変貌する]

青瞬2

Posted at 22:32 | 雑に | COM(1) | TB(0) |
2009.06.21

横濱村開港壱百伍壱拾年之圖繪(拙)

[インド水塔]

 全体を示せば、ご祈念塔、目的であらわせば、飲泉であったのであろうか。

 山下公園にある。ふと、天井部を見上げると、鮮やかな世界が。

 同公園は震災の際に生じた瓦礫、焼(残)土でもって造られた。当時、居留地であろうか、住んでいられたインドの方も被害に遭われ、犠牲者もでた。もちろん、当たり前のことであるが、内外籍関係のない救いの手が差し延べられたのであるが、のちに、在日インド人協会により贈られ、今ではインド水塔と呼ばれている。(タイムスリップよこはま

インド水塔  インド水塔天井画  インド水塔碑

拙ブロ
 ⇒メリケン波止場(コダワリ2枚のカルタ)/06年4月9日付
 ⇒横浜、オリエンタル・ホテル/06年4月22日付

[新港橋梁]

 もとは、鉄路であったらしく、今も、軌道が残っている。大勢の方が歩いて渡っているものだから、かづら橋のように揺れて、ちょっと怖い。桜木町駅より新港(ワールドポーターズ、コスモクロック21、赤レンガ倉庫方面)には汽車道もあって、こちらのほうは今でも「おさるの電車」なら運行できそうである。

新港橋梁  新港橋梁碑

[ネクスト・マリンタワー]

 まだ、「麓」にしか行っていない。もともと、高い処は苦手なので、この先も登頂は適わないのであろうか。
 公園側から携帯「写」したが、見ようによっては、ワールドカップ最終予選の弾丸ツアーで記念に撮ってきたのかと、勘違いされそうである。
 もちろん、行っていないし、行ったとしても、そのような隙はなかったのであろう。(行っていないので、実際のところはまったく分からない)

マリンタワー

 近々、ハマ再訪を、と。

Posted at 00:55 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2009.06.17

羹に懲りて、膾を吹く

(前回より)

 今夕(6月15日)は、食べようという力はなく、とにかく、伺って、このお店の空気を吸おうと思っていたので、ビールを頼んで、しばらく呑むことに集中した。わたくしのあとにすぐ他の席に二組(各二人)いらっしゃったので、当面、食べるのはそちら様にお任せした。二本目の際に、青菜炒めをこのぐらいと、諸の手のひらを小さく丸めてみると、それはできないですよ、と、あっさり、わがままは却下されてしまった。それはそうである。本来、中華料理店は大勢で食べる仕様(経費などの運営のことも含めて)になっているのであって、ひとりで行ってはいけない、そういう「イケテイナイ」ことをしている自分なのだからと、他の二卓の方の食べぶりを眺めているしかなかった。
 可哀想に想っていただけたのだろうか、小皿に盛った紅白ナマス(膾)を持ってきてくださったので、ありがたく、抓みながら、『羹(酸辣湯)に懲りて、膾を吹く』などと意味のないことを想っていた。
 三本目に、シュウマイを頼む(3ケ)。ある事を確かめておきたかった。前回、支店でもって草餃子を頼んだことは書いた。その際にお店の方が蒸篭を持って本店に行き、戻ってくると、奥の部屋に篭もり、出てくると、壁に吊るしてある小さな機器のボタンを何度か指でもって押していた。数〜十分ほどして、草餃子が卓に置かれたので、あの部屋に蒸し器があるのかと想像した。帰る際に、確かめると、蒸し器は通りにあって、湯気を立てていた。押していたのはタイマーであったのだろう。
 今回(本店、シュウマイ編)はどうかと観察していたら、どうもコチラで具を詰めて、支店(路上の蒸し器)へと作業が進んでいる。お店(本店)に入った際に、支店の一卓で職人さんの餃子を設えている様子が開口部から覗けて、ひと区切り(トレイ)ごと本店の厨房に搬入していたのを視ていた。
 どうやら、本店に食材を保冷しているようである。したがって、本店で注文すると、具入りの蒸篭を通りの蒸し器に、また、支店の場合は空の篭を本店にある具を詰めて、通りへという流れなのだろうと、蒸しあがるまでの時間を待っていた。当然、本店でもタイマーが所定時間になると報せてくれるから、あ、蒸しあがったなぁと、期待が膨らみ、舌やお腹(なか)もせっつく。

 「これ、サービスね」と、女将さんの指の先にある篭の中をみると、シュウマイに加え、蒸し餃子(草ではなく、蝦入り、半分に割ってみて分かった)が3ケ座していた。

 恩を仇で返すことはできない。

 シュウマイ3ケで十弐分なわたくしの腹具合を6ケ分に、また、生以外の(加熱された)エビが苦手であるわがままもギアチェンジして、すべて戴いた。

 もちろん、旨いしい。

 もちろん、また、行きたい。

Posted at 22:55 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2009.06.16

首都圏デビュー

 三週、そして一週明けて、四度、ハマに降りた。いずれも、みなとみらい21近辺であり、最終的には中華街である。四回ともに山下公園をぶらぷらし、初回はインド水塔、二度目には改装なったマリンタワー、三回目(6月5日)は雨の中、象の鼻を(2日に公園完成)。そして、今回は氷川丸の中をと想っていたが、中には入っていないというか、うっかりしていた。お休みであった。ここはわたくしにとって、首都圏入り(デビュー)の場所である。中学校時の修学旅行であって、したがって、三百数十人の同級生らもほぼ同じようにデビューをしていることになる。それ以前に東京へ行ったというようなハイカラな話を聞いたことがないし、皆、そのような暮らしぶりではなかった。
 一泊目は天下の嶮を越えた箱根(ココも一応、首都圏)であって、翌朝、次泊の東京へ向けて、バスに乗り、連れていかれたのが氷川丸であった。確か、同船内でカレーライスを昼食として頂いたと頭の中にある。また、頂いたというは誉め過ぎで、なぜ、折角の修学旅行なのに(キャンプではないよ)、カレーかという疑問を抱きながら食した想いが残っている。果たして、それが本当なのかどうなのかが分からない。
 そこで、よそ様のサイトを色々と調べてみると、改装前には食堂があって、カレーライスも供されていたようであると判った。そして、福神漬けを初めて添えたのは氷川丸を有する日本郵船が運航していた客船上であったともある(同社サイトより)。
 だからであろうか、わたくしは福神漬けが苦手なのである、船上のカレーに良い気もちをもつはずがない。
 ただし、食べたというのは、記憶のウソ(憶え間違い)の領域のことなのかもしれない。
 余計なことであるが、海軍とカレーというのは肉じゃがとよりもなんだかシックリとくる。
 三度目となるお店にしばらく滞っていた。四度目では、と思われるだろうが、前回は16時過ぎに伺うと、まだ休憩中で店内は真っ暗(もともと照明の暗いお店だけれど)、向かいのお店を潜(くぐ)って、
 「まだ、アチラは営(や)っていないですね」と尋ねると、
 「あら、おかしいわね」と、まあ、同じだからと、そちらへお邪魔した。
 初めて(今、閉まっているお店に)伺った際に、向かいのお店の方と制服(エプロン柄)が一緒で、また、互いの従業員の方が二店を行き来していたので、尋くと、「はい、こちら(初回にゐたお店)が15年目、向こう(三度目に伺った方)は10年目です」と知っていたので、どちらでも同じという気もちがあった。ただ、造りは若干異なっている。
 こちら(ややこしいので本店とするが、お店の名前はなぜだか異なっている)は、小さな空間全体が暗い灯りの中にある。さらに闇の度合いが深い奥壁際の席で、チンタオビールを頼み、焼きビーフンが初めての注文料理であった。予想はしていたものの、やはり量がとてつもなく多い。もう、夕餉はこれだけで十分であったにもかかわらず、春巻を頼んでしまった。これはひとつ食べてみて旨いしいと思ったので、残りは持ち帰りさせていただいた。
 二度目は、腸詰と春巻、少し食べて、残りを持ち帰る。そして、三度目(支店)はサンラータン(酸辣湯)を頼むが、最初に大きさを確認し、「半分にしようか」とお店の方に奨められて、でてきたのはラーメンの器ほどの大きさである。もう、ごめんなさいの量である。この酸っぱ辣(から)いスープ(湯)は昨年の初秋以来である。(拙ブロ;本牧「北方」町;08年9月5日付)この際は適度な量であったと記憶しているが、今回は1/4ほど残してしまった。残念なことであるが、こればかりは持ち帰りができない(できないことはないが、その様を想うと侘びしい)。プラス、蒸し野菜餃子を。写真付きのメニューが壁にあり、3ケとあったので、頼み、蓬だろうか、鮮やかな「緑菜」色が餃皮に染みていて、更に深緑野菜を下敷きにした蒸篭でほっこりと仕上げている。顔(口、鼻付近)を近づけると、そして、頬張ると、草もち(団子)のような香りが峻と立つ。具も野菜がたくさんで、美味。ひそかに草餃子と呼んでいる。
 本日(6月15日)は所用を終えると、ランドマーク⇒コスモワールド⇒ワールドポーターズと歩き、いったん、万国橋を渡って陸(オカ)側へ。日本郵船の歴史博物館へと向かったけれどもこちらも月曜定休であることを忘れていた。横浜税関本関(クイーンの塔)の脇をから二たび象の鼻へ。

[左切れ端キングと右切れ端クイーン]

キング&クイーン

[象の鼻とハマのインタコ]

6月15日の象の鼻

 山下公園(氷川丸)より中華街に向かう。途中、足を攣りながら、本店三度目は、16時をかなり回っていたので、OK。

 そのことは引き続き。

Posted at 23:23 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2009.06.13

ごちそうさま(忍中給食おっかけ)

 いちいち、報告はしていないが、「台東区立忍岡中学校の給食」はブックマーク(記憶標)にしている。その都度、伺うことは迷惑行為防止条例等に触れてしまう可能性もあるので、控えているが、サイトでもって、こっそりと、覘いている(週に2〜3回)。
 今週でいえば、6月11日(木)がお気に入りである。ポイントは「梅入りご飯」、ただし、忍中の方(生徒)には、あまり受けなかったのかもしれない。いまさら、梅なんてね、梅雨をもじって考えたのかしらね、そのような季節感はイマドキのヒトには無効果であるとも思うけれども、防腐の効果かね、それは確かにあるよね。
 画像はないが、6月17日(水)に期待している。できることなら、その日だけ忍中生になって、食べてみたい。(コーンクリームスープは苦手だから残して、先生に叱られるのだろう)

 ほんとうに、ごちそうさま      。

Posted at 23:49 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2009.06.10

タシケント

 もちろん、6月7日付のタケシントは岡田武史さんに重ねたまでである。ウズベキスタンの州都、いえ、首都であるタシケントへは1983年に一泊だけしている。悪い書き方であるが、ほんの経由地という程度で、同じウズベクの中でも他に行きたいと思っている処があった。したがって、ほとんど記憶にない。

  (ハバロフスクからの航空便にて)着いて、ホテルに連れて行かれて、呑んで、寝て、翌日、目的地へ向かった

 以上が、頼りないメモリーのほとんどである。

 とはいい、先日のフットボールをみていて、タシケントについて想ってもみた。

 連れて行かれた(これについては少し注釈が要るので、最後に)ホテルで呑んだのは、シャンパンで、一瓶空けた。隣席の方から、呆きれられ、それでも、これからひと月の旅という緊張からか、まったく酔うこともなく、むしろ、メニューにあった鶏料理の価格が他に比して高いことが気になって、そのことは、旅を終えるまで、各所で感じた。豚さんや牛さんにはダメという宗教上の枠もあるが、鶏さんに限っていえば、養鶏業の発展具合という事情(生産が消費に追いつかない)にもよるだろうが、その枠(宗教上)が緩やかであって、その分、需要もあるのだろうと、勝手に解釈していた。とにかく、鶏さんは割と皆に食されるので、需要と供給のシーソーが前者に偏っている、そういう想像をしながら、わたくしも、牛さん<豚さん<鶏さんという食の嗜好にあるものだから、(今後一ヶ月の)財布の具合を考えながら、タンドリーを頼んだ、と記憶している。

 ウズベキスタンではコーランが流れている、ゆえに豚はダメだが、牛は妙に安くて、美味であったなぁ、そういうことも憶(おも)いだしている。そして、いつのまにか羊さんがふだんの食となった。

 翌朝はブハラへ。10人乗り(ぐらい)のプロペラ機は、わたくしと、米国人(2人)以外には貨物と乗務員だけである。あ、もうひとつ、タシケントの空港で購入したタンバリンがあった。もう、手許にないが、旅の期間中、なぜか、携えて、迷惑と思いながら、鳴らしていた。

 以上、本日のマッチ同様、中途半端に終わりたいと思う。

 (注釈)
 当時の「ソ連」旅行は日本で予め日程を決め、宿泊先も確定したうえ、前もって全額を支払い、ようやくビザが出た=行くことができる。旅費の中に、空港または鉄道駅から宿泊先までの送迎料金というのが無条件に含まれていて、確か1万円(着と発2回分と記憶している)もした。わたくしのような方向音痴には良いことなのかもしれないが、一度、来ないことがあって、そういう時は逆に困る〜。

Posted at 23:26 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2009.06.09

もう限界です(MO.LIMITED)

 しばしば乗っている常磐線の車窓に「金町(かなまち)」という駅があり、そこに「金町とうきゅう」がある。東急ストアというのはおおむね東急沿線を中心とした西側にあるという予断があるものだから、最初は意外に思った。降りて、買物をしたこともある。何度か遠く(列車内)から眺めているうちに、このお店が23区内における東、あるいは北限なのかと考えだし、気になっていた。ようやく、その調べモノを行なった。まず、東急ストアのサイトより店舗検索、次に東京都を。「とうきゅう」と「東急ストア」及びフードステーション、プレッセがあるが、後2者は別として、前2者の一覧は同じであるようで、五十音順に並んでいる。(※とうきゅうとストアの違いは良く分かっていない)
 もちろん、(23区の)西側に多いので、東や北にありそうな店舗を眼で追ってみる。そして、ライバルとなりそうなお店に見当をつけた。まず、一之江東急ストアに気づいた。例によって電子地図を開いて、一本線を心の中(想像)で描きながら競合わせてみた。

 結果は金町の負け。

 ◆金町とうきゅう/E139度52分24秒8/N35度46分2秒5
 ◆一之江東急ストア/E139度52分39秒1/N35度40分50秒9
 
 それではと、北に賭けた。

 金町、2敗目。

 ◆高島平とうきゅう/E139度40分9秒2/35度47分14秒7

 なんとも中途半端な想いである。

 (二敗を喫した)そのお店をみるたびに、限界集落ということが過(よ)ぎる。この言葉の意味は下記が分かりやすい。

 《「限界集落」という用語については、必ずしも明確な定義が確立しているとはいえないが、代表的なものとして、大野晃氏(北見工業大学教授、高知大学名誉教授)による以下の定義がある。
 『65歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え、冠婚葬祭をはじめ田役、道役などの社会的共同生活の維持が困難な状態に置かれている集落』》
「平成17 年度限界集落における集落機能の実態等に関する調査報告書」
(財団法人農村開発企画委員会)より引用

 現在社会の立場から視ると、田役、道役といった言葉(慣習)自体がおとぎ話(限界用語)のような面もあるが、前半の65歳以上については、高齢者をその年齢で区切ってよいものかという課題はあるものの、現実社会にはそれに近い存在があり、必ずしも過疎地域だけのことではない。

 例えば、「とうきゅう」の北限(23区における)である高島平(団地)が、そう云われている。

[高島平の高齢者比率]

 ◆高島平(1〜9丁目)/18.8%(65歳以上人口比率) 
   ◆2丁目/23.9%
   ◆3丁目/26.8%
 ◆東京23区/18.5%
 ◆全国/20.1%

 上記は2005(平成17)年国勢調査による。この2・3丁目に72年より造られた高島平団地が在る。確かに高い、ちなみに二つの町丁目を除いた高島平(1・4〜9)の高齢者比率は14.4%と23区平均よりも低いのだから、やはり、高い。

 「日本の将来推計人口」(06年12月推計:国立社会保障・人口問題研究所)によれば、2045年に65歳以上人口比率が国全体で4割に達するという数字もある。これは、そのあと十数年程度、推計線を下方に垂らせば、日本という国そのものが限界集落(国家)になることをあらわしている。(※65歳で区切ってよいのかどうかは措く)

 明確な定義はないということであるから、単純に市町村単位でふってみた。以下は、高齢者比率(くどいけれど、65歳以上)が50%を超えている町村である。(05年国勢調査による)

 群馬県南牧村/53.43%
 三重県紀和町/53.42%(05年11月1日消滅)
 福島県昭和村/52.39%
 福島県金山町/51.76%
 山梨県芦川村/51.82%(06年8月1日消滅)
 高知県大豊町/50.76%

 平成の大合併は比較的若い世代が住む「市」などに老いた村を吸収させるという方法でもって、これ(高齢化比率)を薄めているという作為があって、実際には限界集落(町村)が増えているのにもかかわらず、意図的に、消滅させているフシもある。

 喜多方というのは、若松に平日滞在、週末帰りを半年ほど続けたことがあるのに、とうとう訪ねることがなかった、わたくしにとっては痛悔の里である。06年1月4日に喜多方市は熱塩加納村、塩川町、山都町、高郷村と合わさった。05年国勢調査の数値を示す(合併前最後の村町市別データ)。

 村町市名/高齢者比率/←小数点四捨五入/人口占有率

 熱塩加納村/33.2%/33%/6%
 塩川町/25.9%/26%/18%
 山都町/38.9%/39%/7%
 高郷村/34.7%/35%/4%
(旧)喜多方市/28.7%/29%/65%
(新)喜多方市/29.4%/29%/100%

 わざわざ、四捨五入(数字の真ん中)したのは旧と新の喜多方市では高齢者比率が変わっていないという希釈の例を示したかったからである。そもそも65%を占めている「市」に村と町が呑みこまれているのだから当たりまえである。

 でも、国全体の比率はごまかす(希釈する)ことはできない。

 国家の限界については、近々(希釈して、いずれ)。

Posted at 23:40 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2009.06.08

歯形穿刻

 歯というのは、やはり大切であるね。

 ずっと、’な病んでいて、薬で抑えているけれども、その間にも虫蝕まれているね。その所為なのか、呑んでいるためか、本日、書いていたブログがすべて消えてしまった。さようなら。

 もちろん、ブログなど、たいしたことではない。歯を無くすことのほうが、よほど、さびしい。

 収穫の時季でもある、葉の生りぐあいも大事だね。

 このところ、陽気も妖し気である。

Posted at 23:59 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2009.06.07

タケシント

 もう、四半世紀ほど前に伺った都でのマッチ。
 お陰でもって、睡眠時間帯がアッチ・バージョンになっている。
 とりあえず、入場整理券をゲットしたということなのであろうか。

Posted at 23:59 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2009.06.03

還暦

 閑だと思われるが、そうでもない。^△^
 下の写真はこの2週間ほどの消費行為(支払い)より生じた「おつり」の中から10円玉を取り置いた結果である。

[10円玉の歴史]

 10円の歴史

 並べ方は、上より、

 ●1950〜
 ●1960〜
 ●1970〜
 ●1980〜
 ●1990〜
 ●2000〜
 
 としている。右下が2009(平成21)年で、やはり、まだ光を保っている。きっかけは、この09年硬貨にあり、妙に輝いているなぁと、おつりとして頂いた際に思い、それから、では、(各年を)揃えてみようという俄か蒐集家を決意した。
 統計を取るほどのものではないが、最近年の硬貨が多いのは「そうねぇ」と承諾できるが、1977・78(昭和52・53)年あたり(写真の3段目右から2・3列目/分かりづらいね)が群を抜いているのは(承諾)しかねるので、調べてみた。
 独立行政法人「造幣局」である。このサイトに《貨幣に関するデータ》があって、「年銘別貨幣製造枚数」をみると、73〜81年にかけて発行枚数が年間10億枚を超えており、中でも上記2年間が頂きにある。ちなみに14億枚超、昨年(08年、3.6億枚)の4倍程度の量が造られている。もっとも多いのは74=昭和49年で18億万枚に迫っており、10円時代を築いており、確率論的に考えると、77・78年(造幣)が多く積まれていても異存はない。
 偶然であるが、本日付のヤフーニュースに「なぜ10円玉の数が減っているのか」(資料元は雑誌プレジデント)という記事があり、電子マネーなどの普及により「おつり」需要の逓減化が少額貨幣の流通を減少させているという内容である。確かにそういう見方ができるのであろう。ただ、(少額貨幣の)発行枚数が減っているということ、ひいては、70年代に比して、モノの価格から10円単位が失われていることも考えておきたい。もちろん、ヨシ牛(並380円、400円出せばオツリ20円)、 g.u.ジーンズ(990円、千円札で10円)というのもあるけれど、目立つのは50円、100円区切りのザッパ(ザックリ)な値付けである。おそらく、97(平成9)年の消費税+地方消費税(あわせて5%)と04(平成16)年の総額表示による影響であると思うけれども、算数に弱いので、これ以上書くことは難しい、ただし、70年代というのは10円が「頭(かしら)」でもって、十分買物ができたと記憶している。したがって、オツリ≒流通も同貨が流れの中心にあったように思う。
 100円硬貨は57(昭和32)年に発行されているが、本格的な製造(造幣)は現在の白銅製となった67年以降であり、10円とほぼ同時期にピークを迎え、なぜか製造(造幣)数が連動している。この頃が「10円」(少額貨幣)時代の終焉なのであろうか、まだ、考えを倦(あぐ)ねている。

[年銘別貨幣製造枚数]

硬貨発行枚数

 現在、調子の悪い「ブログトコラボ(Blog To Collaboration)」にでも詳細をお伝えしたいと思う。(いずれ)

[ギザ10]※これも、みづらいね

 昭和29年モノ、上記画像最上部にポツンとある。側面を刻んでおり、51(昭和26)〜58(33)年まで造幣された。(※56=昭和31年は造られていない)

ギザ10

 その10円硬貨もまもなく還暦を迎える。

 (あなた、本当は、閑なのでは?)という小悪魔の囁きが聞こえているが、このこと、もう少し、こだわってみたい。

Posted at 23:58 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2009.05.31

ハイボール

 日ごろ呑んで(お世話になって)いるウヰスキゐにはたいていおまけや籤(くじ)のたぐいが付いている。後者はどうせ当たらないし、結果を待つのも厭なので、捨てられる運命にあるが、前者はそうもいかない。著名シェフの缶詰やオリジナルグラスなどがあって、最初のうちは、喜んでいただいていたが、そのうち、過剰になっていることに気づき、酒屋のお方に断って、おまけだけ、置いてくることになる。実をいうと、まだ、消化していない缶詰や使っていないグラスがたくさんあって、捨てることもできないので、難儀している。
 先週、ウヰスキゐを仕入れにいくと、おまけはハイボール用の炭酸水(ソーダ)であった。燦鳥さんも力を入れていらっしゃるのか、同社サイトに旨しい作り方が紹介されている(サントリー/ウイスキーミュージアムより )。余計なことであるが、鳥取県、沖縄県では角ハイボールを呑むことができないのか、たいへん気になっている。(同社サイト/角ハイボールが飲める店
 
 以前にも、おまけとしての炭酸水はあったけれども、それをどう消費したのか、もちろん憶えていないが、今回は、缶(炭酸水)ごと冷やしておいて、試してみた。一口で、これはイケてないと思いながら、卑しいものだから、一缶を終えるために、二杯飲んだ。

 やはり、イケてなかった。

 顛末は5月19日付の拙ブロ開港一番のとおりである。

 本日は忙しい(呑)ので、ここまで。(半端レ中途)

 「レ」はレ点のつもりであったが、なんだか怪しい。(半端、途、中)と、読むのだろうか、やはり怪しい。

 わたくしがハイボールになっていた。

[おまけの炭酸水とグラス]

高頭

 おまけグラスは繊細すぎて、壊しそうなので、使っていない。撮影のために、わざわざ、(棚の奥より)お越しいただいた。

 本日(正確には5月20日以降)は、もう、懲りて、右奥の水割を、デュラレックスで。残っているソーダは果実酒のお伴にでもと想っている。

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2009.05.26

貧乏と不況は違う

みぞ(う)ゆう
ひゃくねんにいちど

 と云われる昨今である。

 前者は(嘗てないという意味だから)ともかく、後者は、林芙美子さんに重ねている。彼女は百年前を生きた人である。そして、貧乏である。どれぐらい貧しいかは、まるで○○のようだ、が、たいてい、食べ物であることから、推(お)せる。いちいち、数えていないけれども、『放浪記』で頻繁(’はんざつ’)にこぼして(グチッテ)いる。風景にも、光景にも、その鋭い観察眼にも「食」が壁のようにいつも芙美子さんの前にある。

 富士山も土まんじゅう
 
 に比して、食が細いだの、食堂の飯の量を減らしてくれだの、百年後のものが羨ましいなり。

 うで玉子飛んで来い。 (フミコ)

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