2008.09.05
本牧「北方」町
バスは本牧通りを山手警察署辺りで大きく曲がると本郷町の商店街が車窓の両側に広がる。本牧山を迂回しているためであるが、この山(丘か)が本牧を南北に分断もしている。実をいうと特に宛てはなく、ここが「ほっぽう(北方)」ではなく、「北方」(きたがた)であることを、わたくしが気づいた、その御礼のつもりで、北方皇太神宮(きたがた こうたいじんぐう)にうかがった。「太」と「大」の違いはあるけれども、伊勢神宮(内宮を皇大神宮という)の末社なのであろうか。御祭神は、天照皇大御神(アマテラスオオミカミ、ほかに読み方も存在するらしい)とある。お伊勢では天照坐皇大御神アマテラススメオオミカミと称している。
それまで、ほっぽうと思い込んでいたけれども、漁業組合はともかくも、神社に北方はない、と、電子地図の少し上(北)に眼を遣ると、北方町の文字があり、誤りに気づいた。
[北方皇太神宮]

広くない境内を歩いて、暮れていく空を見上げながら、ついでだから、中華街にでも行こうかと思ったけれども、今夕はみなとみらい辺りで花火大会があると知っていた。そういう中に飛び込むのもいやなので、そのまま、バスに乗って、戻ろうかと、ふと、ここへ来る前に気になっていた中華料理屋さんの灯りが点いていることを確かめて、古い押し式ドアを開けて、中に、まだ、先客はいなくて、窓際の席を選んで座った。といっても、窓外の景色が良いということではなくて、ここから、お店全体が、また、そこで働いていらっしゃる皆さんを眺めることができるという、わがままな理由からである。比較的低い天井から遅い速度でもって扇が回転し、席(卓)の数は4か5(覚えていない)、席からは厨房がみえて、3人か(覚えていない)、仕込みをしている姿をよくみることができる。
シュウマイを頼み、少しすると、小振りな5個入りが蒸篭(せいろ)に盛られてきた。もう、それだけで、かなり満腹感に近かったので、本格的な麺類や米飯類は遠慮して、酸辣湯(スープ)と小ライス(普通椀の1/2程度)を追加して、付いてきたキュウリ・ニンジン・ダイコンという香の小片とともに、きれいにいただいた。
わたくしが席に着いて、すぐだったか、わたくしからみると左手奥(厨房の左)に、さっと、ご主人が隠れて、すぐ戻ってきた。やはり、開店早々であったのか、トイレの灯りがまだ点いていなかったらしい。帰りがけに“そこ”へ寄ってみた。入って、少し驚いた。中には大小(あるいは、女性・男性用か)の器が備わっており、そこに仕切りはない。以前、部屋の真ん中に便器がデンと座しているホテルに宿泊したことがあって、これにも驚かされたけれど、ソッチは、一人で泊まる分には差し支えは(あまり)ない。しかし、コッチ(下写真)はちょっと事情が異なる。どのようにして使われているのであろうか。おそらく、二人同時にはありえないと思うけれども、であるとすれば、贅沢なトイレということになろう。
[贅沢なトイレ]

盆の入り前の話であり、まだ暑いある一日のことである。(8月1日訪)お店にはまだ美味しそうなメニューがたくさんあり、このこと(トイレ)が気になっているのものだから、もう一度、本牧・北方町、本郷町あたりをさ迷い歩いて、最後は、此処を訪ねてみたいと想っている。
それまで、ほっぽうと思い込んでいたけれども、漁業組合はともかくも、神社に北方はない、と、電子地図の少し上(北)に眼を遣ると、北方町の文字があり、誤りに気づいた。
[北方皇太神宮]

広くない境内を歩いて、暮れていく空を見上げながら、ついでだから、中華街にでも行こうかと思ったけれども、今夕はみなとみらい辺りで花火大会があると知っていた。そういう中に飛び込むのもいやなので、そのまま、バスに乗って、戻ろうかと、ふと、ここへ来る前に気になっていた中華料理屋さんの灯りが点いていることを確かめて、古い押し式ドアを開けて、中に、まだ、先客はいなくて、窓際の席を選んで座った。といっても、窓外の景色が良いということではなくて、ここから、お店全体が、また、そこで働いていらっしゃる皆さんを眺めることができるという、わがままな理由からである。比較的低い天井から遅い速度でもって扇が回転し、席(卓)の数は4か5(覚えていない)、席からは厨房がみえて、3人か(覚えていない)、仕込みをしている姿をよくみることができる。
シュウマイを頼み、少しすると、小振りな5個入りが蒸篭(せいろ)に盛られてきた。もう、それだけで、かなり満腹感に近かったので、本格的な麺類や米飯類は遠慮して、酸辣湯(スープ)と小ライス(普通椀の1/2程度)を追加して、付いてきたキュウリ・ニンジン・ダイコンという香の小片とともに、きれいにいただいた。
わたくしが席に着いて、すぐだったか、わたくしからみると左手奥(厨房の左)に、さっと、ご主人が隠れて、すぐ戻ってきた。やはり、開店早々であったのか、トイレの灯りがまだ点いていなかったらしい。帰りがけに“そこ”へ寄ってみた。入って、少し驚いた。中には大小(あるいは、女性・男性用か)の器が備わっており、そこに仕切りはない。以前、部屋の真ん中に便器がデンと座しているホテルに宿泊したことがあって、これにも驚かされたけれど、ソッチは、一人で泊まる分には差し支えは(あまり)ない。しかし、コッチ(下写真)はちょっと事情が異なる。どのようにして使われているのであろうか。おそらく、二人同時にはありえないと思うけれども、であるとすれば、贅沢なトイレということになろう。
[贅沢なトイレ]

盆の入り前の話であり、まだ暑いある一日のことである。(8月1日訪)お店にはまだ美味しそうなメニューがたくさんあり、このこと(トイレ)が気になっているのものだから、もう一度、本牧・北方町、本郷町あたりをさ迷い歩いて、最後は、此処を訪ねてみたいと想っている。
2008.08.25
浮っかり
いまさらのことでもないけれど、ぬぅ〜ぼぉ〜としている。昨日の拙ブロをうっかりアップ時間ではないまま、アップしたり、本当にアップアップである。
で、本日もアップである。所用で、でかけたのであるけれど、今朝、確認(間違えないように)を受けたのにもかかわらず、間違えた。実は昨夜のうちに調べておいたネットによる時刻検索の時点ですでに行くべき場所と異なっていた。おかげで(もちろん自分のせいで)、予想よりも30分以上遅く、現地近くにたどり着いた。ただし、約束の時間よりも1時間前に着こうというつもりがあったものだから、所用に遅れることはなかった。
アップアップのついでだから、帰路、呑んでしまった。初めてのお店であったが、思わず見つけて、ボトルを入れてしまった。
石垣の泡盛「於茂登(おもと)」である。懐かしいお名前である。(拙ブロ
やんばる05年12月31日付)
[於茂登]※はじめて見る炎ブランド、販売元は伏見の寶酒造であった

次にいつ来るのかも分からないと思って、1/2程度干してきた。アップアップに加えて卑しい、わたくしである。
で、本日もアップである。所用で、でかけたのであるけれど、今朝、確認(間違えないように)を受けたのにもかかわらず、間違えた。実は昨夜のうちに調べておいたネットによる時刻検索の時点ですでに行くべき場所と異なっていた。おかげで(もちろん自分のせいで)、予想よりも30分以上遅く、現地近くにたどり着いた。ただし、約束の時間よりも1時間前に着こうというつもりがあったものだから、所用に遅れることはなかった。
アップアップのついでだから、帰路、呑んでしまった。初めてのお店であったが、思わず見つけて、ボトルを入れてしまった。
石垣の泡盛「於茂登(おもと)」である。懐かしいお名前である。(拙ブロ
やんばる05年12月31日付)
[於茂登]※はじめて見る炎ブランド、販売元は伏見の寶酒造であった

次にいつ来るのかも分からないと思って、1/2程度干してきた。アップアップに加えて卑しい、わたくしである。
2008.08.25
本目(ほんもく)
本牧通りは現在では陸の孤島のような謂い方をされることもあるが、70年代初頭(昭和で示すと40年代後半)まではハマの市電が走っていたという。今、みなとみらい21線は「元町・中華街」まで延びているが、計画では、そのまま、旧ハマ電のルートをということらしい。ただ、鉄道開通は功罪あって、つながることによる買物客の減少という罪は小さな商店街にとっては大きな痛手となる。わたくしは、通さない方に一票を投じる。その分、不便であるのかもしれないが、バス路線が充実しており、乗っていて、外の景色が楽しい。ハマの中心にはない絶景を本牧では目と肌で味わうことができる。(1960年当時の市電運行図「横浜市電保存館」より)
牧前の汐風に当たりながら、貨物線に迷い込んで、自分が迷った。神奈川臨海鉄道本牧線という。本牧線とあるから、他にも線があるのであろう。同社(神奈川臨海鉄道株式会社)のサイトを覗くと、浮島線、千鳥線、水江線というのが川崎市内に敷かれている。とはいえ、これだけ(4線)では到底機能するはずはなく、前者は根岸駅、後者は川崎貨物駅から全国へとコンテナウェブを拡げている。(路線図)
[本牧線〜本牧埠頭駅方]

[本牧線〜根岸駅方]

手持ちには出かける前に電子地図を印刷した首都高湾岸線までの地図しかなく、ここら辺り(本牧港)を当てずっぽうで歩いて(さ迷って)いる。本牧「魚」港を一回りして来た道を戻り、高速の手前を左折する辺りは「本牧ポートハイツ」といって社団法人横浜港湾福利厚生協会が68(昭和43)年より加盟組合員のための賃貸住宅を20年以上かけて拵えてきた。お世辞にも「現代的」とはいえない容を呈しているが、団地内にはマーケットや飲食店もあり、17棟(19号棟まであるが4と9は欠番となっている)、総戸数1,280戸の巨艦である。6畳、4.5畳、浴室、台所付きで家賃23,800円〜、共益費2,000円〜、一般者(非組合員)は入居できないけれども、安さもあり、本年2月28日に実施した空き室の応募は4倍であった(同社団サイトによる。ただし、04年に 独立行政法人雇用・能力開発機構から買い受けた19号棟は何故だか13,000円、共益費1 ,600円と破格、すでに入居していた方の既得価格なのであろうか)
その裏手(海手)に日産自動車の輸出用埠頭があり、脇の道を並走する本牧貨物線を頼れば横浜本牧駅まで至ることはできるけれどもその先はもう助けがない。もちろん、湾岸線下の産業道路を素直に下れば、三渓園に至るし、さらに臨海鉄道に沿っていけば、根岸までは確実である。また、本牧通りを西に進めばかつて十二天にあったという本牧神社(旧十二天社)に、という選択肢もあったが、準備していた地図通りに(本牧)通りを北進し、目的地をめざした、と、書けない弱さがわたくしにはある。途中、イスパニア通りという名にすっかり惑わされてしまった。米軍からの返還後、住宅と商業施設などからなる新たな街づくりが展開されたのが今から20年ほど前のことである。先のポートハイツには悪いが、明らかにコッチの方が現代的であった。ただし、あったのであって、只今はそうでもない。その要因として、やはり交通の不便をあげるべきなのであろうが、この当時は、もう鉄道よりクルマの社会優先であったのであろうから、そればかりが往時の勢いを削(そ)いだ理由ではないのであろう。
とにかく迷った、訪ねたい場所付近の地図は持参しているが、ここら辺りは「圏外」にあるので、どうにもならない。あとで確認してみたが、最初の一歩は確実に方向違いであった。本牧通りを逆走(歩)していた。
鉄道はないけれどもバス路線はいくつもある、バス停をみつけて、待っていらっしゃる方に訪ね先を問うと、「大抵のはソッチヘ行くからね」と教えられて、数分もせずに来たバスに「乗っていきなさいよ」と。お礼を言って、やはり混んでいる車内、本牧ではバスが皆さんのアシである。
本牧の地名には標題の「本目」という説がある。横浜市中区のサイトに「中区の町名とそのあゆみ」というのがあり、以下、本牧町の項を引用する。
《『横浜文書』の「北条氏康禁制(天文14年・1545)」に「本牧郷」の記録がある。「本牧」は「本目」と書いた記録があり、地形状からも牧場との関係はないと考えられる。(出典「横浜の町名」平成8年12月横浜市市民局)》
氏康殿とは、早雲の孫で、謙信、信玄らと同時代に生きた名将、智(知)将ともいわれるが、今はそれどころではない、なにしろ、迷っている最中なものだから。いずれ、小田原にでも行ってみたい。
もともと、久良岐(くらき)郡に本牧本郷村があったという。同郡は4〜5世紀にあったとされる現在の横浜市南部一帯を含む広い地域をさしている。⇒拙ブロ[橋(別の)および派大岡川など(06年4月27日付]
この本牧本郷と本牧郷が同一なのかどうかは分からないが、本牧が冠されていることから、先(大字)に本牧があって、次に小字としての本郷があったのかもしれない。本牧が本目だとしたら、「目」、つまり、(本当に)重要な場所というほどの意味があるのだろうか。人の体の中で、目はもっとも重要な部位のひとつであるということに由来するのであろう。おそらく、先の中区サイトにあるように牧場との関係はなかったのかもしれないが、海の牧(漁場)であったことには違いない。東京湾という絶好の牧に小舟を巧みに手繰って、アナゴでも獲っていたのであろうか、あるいは、湾外へと飛び出して、北方漁業をしていたのかもしれない。そういう(海人からの)目からは本牧(本目)が中心であって、本郷などというのは辺鄙としか感じられなかったのかもしれない。その雰囲気をあらわしている文章を紹介する。
本牧福祉のまちづくり協議会という団体のサイトがあって、そこに本牧ついての記述があり、興味深く読ませていただいている。「本牧の歴史紹介」というコーナーの一部を引用する。
《本牧は昭和6年町名・地番の変更があり、それまで本牧○○番地と言われていたのが町名がつけられる様になりました。本牧で町のつくところは本牧元町、本牧大里町、本郷町とありますが、本牧大里町は大谷戸と下里(さがり)を合わせて作られた地名ですし、本郷町は昔、本牧一帯を本牧本郷村と呼んでいたその一部が残ったのでしょう。ただ本牧のはずれにありとても中心地とは言えないのになぜこのような地名が付いたのか不明です。》(本牧の歴史その1)
本牧(本目)人の誇りが伝わってもくる。
司馬遼太郎氏の《街道をゆく》『本郷界隈』〜『縄文から弥生へ」の中に
《上野の不忍池は、海の切れっぱしだっただろう。(少し略)その”海”から、本郷台地をながめてみると、堂々たる陸地である。(残りは略)》とある。測ってみると不忍池(弁天堂)と本郷(三四郎池)は1キロ弱である。
南下して本牧(三渓園)から本郷町(最中の喜月堂辺り)は2キロ弱、上野の衆が本郷衆をどう思っていたかは分からないけれども、本郷の在は存外、コッチが中心と、やはり思っていたのであろう。陸(おか)人からみると、本牧における本郷というのも、そういう自負の上に立っていると妄(みだ)すこともできる。
蔵とラーメンで良く知られている福島県の喜多方へは結局行くことがなかったけれども、ここの名づけは会津の北方(きたかた)ということらしい。(同市サイトより〜喜多方市の紹介)
きたがた(北方)というのも、同じのようで、「本郷」からみた方向である。(↑中区の町名とそのあゆみ〜北方町)
だいぶ、迷っている。続きは、いずれということで、本日は、ほかのことにも想いを馳せたい。
※うっかりして、8月10日付でアップしていた(この項の書き始め)。改めて、今朝付(8月25日)とする。
牧前の汐風に当たりながら、貨物線に迷い込んで、自分が迷った。神奈川臨海鉄道本牧線という。本牧線とあるから、他にも線があるのであろう。同社(神奈川臨海鉄道株式会社)のサイトを覗くと、浮島線、千鳥線、水江線というのが川崎市内に敷かれている。とはいえ、これだけ(4線)では到底機能するはずはなく、前者は根岸駅、後者は川崎貨物駅から全国へとコンテナウェブを拡げている。(路線図)
[本牧線〜本牧埠頭駅方]

[本牧線〜根岸駅方]

手持ちには出かける前に電子地図を印刷した首都高湾岸線までの地図しかなく、ここら辺り(本牧港)を当てずっぽうで歩いて(さ迷って)いる。本牧「魚」港を一回りして来た道を戻り、高速の手前を左折する辺りは「本牧ポートハイツ」といって社団法人横浜港湾福利厚生協会が68(昭和43)年より加盟組合員のための賃貸住宅を20年以上かけて拵えてきた。お世辞にも「現代的」とはいえない容を呈しているが、団地内にはマーケットや飲食店もあり、17棟(19号棟まであるが4と9は欠番となっている)、総戸数1,280戸の巨艦である。6畳、4.5畳、浴室、台所付きで家賃23,800円〜、共益費2,000円〜、一般者(非組合員)は入居できないけれども、安さもあり、本年2月28日に実施した空き室の応募は4倍であった(同社団サイトによる。ただし、04年に 独立行政法人雇用・能力開発機構から買い受けた19号棟は何故だか13,000円、共益費1 ,600円と破格、すでに入居していた方の既得価格なのであろうか)
その裏手(海手)に日産自動車の輸出用埠頭があり、脇の道を並走する本牧貨物線を頼れば横浜本牧駅まで至ることはできるけれどもその先はもう助けがない。もちろん、湾岸線下の産業道路を素直に下れば、三渓園に至るし、さらに臨海鉄道に沿っていけば、根岸までは確実である。また、本牧通りを西に進めばかつて十二天にあったという本牧神社(旧十二天社)に、という選択肢もあったが、準備していた地図通りに(本牧)通りを北進し、目的地をめざした、と、書けない弱さがわたくしにはある。途中、イスパニア通りという名にすっかり惑わされてしまった。米軍からの返還後、住宅と商業施設などからなる新たな街づくりが展開されたのが今から20年ほど前のことである。先のポートハイツには悪いが、明らかにコッチの方が現代的であった。ただし、あったのであって、只今はそうでもない。その要因として、やはり交通の不便をあげるべきなのであろうが、この当時は、もう鉄道よりクルマの社会優先であったのであろうから、そればかりが往時の勢いを削(そ)いだ理由ではないのであろう。
とにかく迷った、訪ねたい場所付近の地図は持参しているが、ここら辺りは「圏外」にあるので、どうにもならない。あとで確認してみたが、最初の一歩は確実に方向違いであった。本牧通りを逆走(歩)していた。
鉄道はないけれどもバス路線はいくつもある、バス停をみつけて、待っていらっしゃる方に訪ね先を問うと、「大抵のはソッチヘ行くからね」と教えられて、数分もせずに来たバスに「乗っていきなさいよ」と。お礼を言って、やはり混んでいる車内、本牧ではバスが皆さんのアシである。
本牧の地名には標題の「本目」という説がある。横浜市中区のサイトに「中区の町名とそのあゆみ」というのがあり、以下、本牧町の項を引用する。
《『横浜文書』の「北条氏康禁制(天文14年・1545)」に「本牧郷」の記録がある。「本牧」は「本目」と書いた記録があり、地形状からも牧場との関係はないと考えられる。(出典「横浜の町名」平成8年12月横浜市市民局)》
氏康殿とは、早雲の孫で、謙信、信玄らと同時代に生きた名将、智(知)将ともいわれるが、今はそれどころではない、なにしろ、迷っている最中なものだから。いずれ、小田原にでも行ってみたい。
もともと、久良岐(くらき)郡に本牧本郷村があったという。同郡は4〜5世紀にあったとされる現在の横浜市南部一帯を含む広い地域をさしている。⇒拙ブロ[橋(別の)および派大岡川など(06年4月27日付]
この本牧本郷と本牧郷が同一なのかどうかは分からないが、本牧が冠されていることから、先(大字)に本牧があって、次に小字としての本郷があったのかもしれない。本牧が本目だとしたら、「目」、つまり、(本当に)重要な場所というほどの意味があるのだろうか。人の体の中で、目はもっとも重要な部位のひとつであるということに由来するのであろう。おそらく、先の中区サイトにあるように牧場との関係はなかったのかもしれないが、海の牧(漁場)であったことには違いない。東京湾という絶好の牧に小舟を巧みに手繰って、アナゴでも獲っていたのであろうか、あるいは、湾外へと飛び出して、北方漁業をしていたのかもしれない。そういう(海人からの)目からは本牧(本目)が中心であって、本郷などというのは辺鄙としか感じられなかったのかもしれない。その雰囲気をあらわしている文章を紹介する。
本牧福祉のまちづくり協議会という団体のサイトがあって、そこに本牧ついての記述があり、興味深く読ませていただいている。「本牧の歴史紹介」というコーナーの一部を引用する。
《本牧は昭和6年町名・地番の変更があり、それまで本牧○○番地と言われていたのが町名がつけられる様になりました。本牧で町のつくところは本牧元町、本牧大里町、本郷町とありますが、本牧大里町は大谷戸と下里(さがり)を合わせて作られた地名ですし、本郷町は昔、本牧一帯を本牧本郷村と呼んでいたその一部が残ったのでしょう。ただ本牧のはずれにありとても中心地とは言えないのになぜこのような地名が付いたのか不明です。》(本牧の歴史その1)
本牧(本目)人の誇りが伝わってもくる。
司馬遼太郎氏の《街道をゆく》『本郷界隈』〜『縄文から弥生へ」の中に
《上野の不忍池は、海の切れっぱしだっただろう。(少し略)その”海”から、本郷台地をながめてみると、堂々たる陸地である。(残りは略)》とある。測ってみると不忍池(弁天堂)と本郷(三四郎池)は1キロ弱である。
南下して本牧(三渓園)から本郷町(最中の喜月堂辺り)は2キロ弱、上野の衆が本郷衆をどう思っていたかは分からないけれども、本郷の在は存外、コッチが中心と、やはり思っていたのであろう。陸(おか)人からみると、本牧における本郷というのも、そういう自負の上に立っていると妄(みだ)すこともできる。
蔵とラーメンで良く知られている福島県の喜多方へは結局行くことがなかったけれども、ここの名づけは会津の北方(きたかた)ということらしい。(同市サイトより〜喜多方市の紹介)
きたがた(北方)というのも、同じのようで、「本郷」からみた方向である。(↑中区の町名とそのあゆみ〜北方町)
だいぶ、迷っている。続きは、いずれということで、本日は、ほかのことにも想いを馳せたい。
※うっかりして、8月10日付でアップしていた(この項の書き始め)。改めて、今朝付(8月25日)とする。
2008.08.22
江戸五川
所用の際、数日間、以下の川を電車内より、都度確認しながら、ながめてきた。暑さのせいもあり、いくばくかの涼を求めてのことでもある。
隅田川
荒川
綾瀬川
中川(高砂・青砥付近で岐かれる前)
江戸川
要するに常磐線を東征あるいは川の順番を逆にすれば西侵している状態である。望みとしては、一度、西、東いずれかの方法で徒してみたいものである。ただし、往復はご勘弁願いたい。もちろん、その前に北十間川を沿って、身を流してみたい。
前回のブログから新たに求めたパソでもって記している。軽くて(携っていることを、うっかり、忘れそうでもある)、駆動時間の長い(期待したほどではないけれども)機種にした。カバー(蓋被)の両面にカメラを備えているので、試しに表(外)側の200万画素(拙ブロに用いている携帯「写」と同じ)で撮ってみた。いつのことかが分からないけれども、うっかりしてサンタさんの右肩を殺(そ)いでしまった(ごめんなさい)。お詫びに、ゴーヤ君を介添えとして就けさせていただくこととした。
[サンタさんとゴーヤ君]

隅田川
荒川
綾瀬川
中川(高砂・青砥付近で岐かれる前)
江戸川
要するに常磐線を東征あるいは川の順番を逆にすれば西侵している状態である。望みとしては、一度、西、東いずれかの方法で徒してみたいものである。ただし、往復はご勘弁願いたい。もちろん、その前に北十間川を沿って、身を流してみたい。
前回のブログから新たに求めたパソでもって記している。軽くて(携っていることを、うっかり、忘れそうでもある)、駆動時間の長い(期待したほどではないけれども)機種にした。カバー(蓋被)の両面にカメラを備えているので、試しに表(外)側の200万画素(拙ブロに用いている携帯「写」と同じ)で撮ってみた。いつのことかが分からないけれども、うっかりしてサンタさんの右肩を殺(そ)いでしまった(ごめんなさい)。お詫びに、ゴーヤ君を介添えとして就けさせていただくこととした。
[サンタさんとゴーヤ君]

2008.08.17
bonjour mademoiselle
数日間、涼しい山に滞在しているはず(つもり)であったが、こちらも暑い。ただし、東京とは最高も最低も5℃程度異なり、盆の入り(13日)を迎えると、それよという感じで、夜半は少し厚めの毛布が欲しくなるほど空気の熱が下がっている。
二、三日で江戸に「下る」が、今は本所吾妻橋のことを想っている。たびたび訪れる町ではあるが、いまだもって、何も分からない。下った際に、まず行ってみようかと企てている。所要で都営浅草線に乗ることが多いが、呆けていて、本所吾妻橋駅の車内アナウンスが、時々、標題のごとく、耳をかすめてくる。
ホンジョ アズマバシ
ボンジュール マドモワゼル
旧中川から岐かれて、大川(隅田川)と出逢う北十間川に沿って歩いてみたいと思う。
きた じゅっけん がわ
きた じっけん かわ
上の東京都のサイト(東京都建設局)では「じゅっけん」※しかも、がわわ・・・となっている。一方、墨田区の、あるサイトでは「じっけん」www.city.sumida.lg.jp/matizukuri/kasen_kyouryou/kitajikken_kousou/index.htmlである。
そのあたりを訪ねてみたい。
今夜はまして、寒い。
二、三日で江戸に「下る」が、今は本所吾妻橋のことを想っている。たびたび訪れる町ではあるが、いまだもって、何も分からない。下った際に、まず行ってみようかと企てている。所要で都営浅草線に乗ることが多いが、呆けていて、本所吾妻橋駅の車内アナウンスが、時々、標題のごとく、耳をかすめてくる。
ホンジョ アズマバシ
ボンジュール マドモワゼル
旧中川から岐かれて、大川(隅田川)と出逢う北十間川に沿って歩いてみたいと思う。
きた じゅっけん がわ
きた じっけん かわ
上の東京都のサイト(東京都建設局)では「じゅっけん」※しかも、がわわ・・・となっている。一方、墨田区の、あるサイトでは「じっけん」www.city.sumida.lg.jp/matizukuri/kasen_kyouryou/kitajikken_kousou/index.htmlである。
そのあたりを訪ねてみたい。
今夜はまして、寒い。
2008.08.09
横浜北方漁業
わたくしは”甚だの”勘違いを(また)していた。
1日に訪ねた本牧十二天にある横浜北方漁業協同組合記念碑のことである。
以前、電子地図上に見つけて、どうしても行きたくなり、今回実現した。ちょっとした木陰の公園になっていて、この日はなかったものの潮風が気持ちよさそうである。ただ、園内にはごみが散乱していて、到底管理されているとは思えない状態にあった。少し、飛躍するけれども、全国各地には記念碑に類する建立物があるが、それぞれ志をもって建てられた経緯があるものの、志は継がれることなく、数多くの碑が棄てられていく、そういう想いを、此処でも抱いてしまった。もちろん、勝手な想像であり、今でも碑の志を受け、管理をされているのかもしれないが、少なくとも公園内の様子からはその気配を感じることができない。
[横浜北方漁業協同組合記念碑]

[北方(ほっぽう?!)の文字]

横浜市の統計サイトによると、同市の漁業は細々と続けられているとある。
年次/経営体数/従事者数(※漁業センサスによる)
78(昭和53)年/238/468
83(58)年/244/467
88(63)年/192/475
93(平成5)年/191/321
98(10)年/211/386
03(15)年/194/344
区別では金沢区(110/202)がもっとも多く、中・西区ではわずか18/34にすぎない。「神奈川農林水産統計年報」による最新(06年)データでは経営体数は163(金沢区89、中区16、西区1)とあり、さらに減少している。88⇒93年に従事者が激減しているのは、ちょうどこの頃に「みなとみらい21」が本格的に始動したことと関係があるのかもしれない。
漁獲・収獲量(高)をみると、昭和の時代には「かつお一本釣」「遠洋かつお・まぐろまき網」といった威勢の良さもみられたが、平成に入って、さっぱりで、わずかに板のり養殖と牧前アナゴなどで成り立っている。
以前に本牧を訪ねようと想った際に、サイトで「笹 加工直売所」という食堂のことを知った。ここの名物がアナゴ天丼で、残念ながら、本年5月末で閉店となったけれども、漁港の突先まで行くと、潮の香りが薄っすらと漂い、それだけで満腹感を味わうことができる。
[本牧漁港]※この一角に「笹」さんはあった(建物は閉店の貼り紙とともに残っている)

[原油高騰の影響はどうなのであろう]

[上屋群]※この辺りにも牧前の海(港)の幸を食べることのできる食堂がある(行っていないけど)
※日産の自動車もここら辺りから輸出されるので、牧前なのであろう。

ずいぶん寄り道した。北方漁業に関して、わたくしが犯した勘違いについて書きたかった。当初、わたくしは、これ(北方)を「ほっぽう」と思い込んでいた。本牧の埋め立てが始まったのは1963(昭和38)年、東京オリンピックの前年であるという。高度成長期の一端を担うためであろう。それ以前は港ではなく、魚港(ぎょこう)であったと断言できる。ただ、わたくしは、港と思い違いしていた、ここ(記念碑辺り〜本牧)から遥か北洋に鯨でも追いに漁師さんたちが出ていたのかという妄想を描いていた。
この間違いは、別の場所を知って、気づいた。
「ほっぽう」ではなく、「きたがた」であった。
潮の風を浴びたあと、本牧の軍艦のような団地群を抜け、本牧通りへと向かった。実は、また、迷った。そのことは、次の機会に。
明日は、パソコンを物色しに、出かけたいと思っている。持ち運び用なので、軽くて、駆動時間(マックでコンセントを借りないでも済むような)が長いものを所望しているので、おおむね心は決まっている。できれば、ソッチで、この続きを記してみたい。
[お詫び]
昨日の拙ブロに、Goodnews.Sunnydayさんからトラックバックを戴いたのですが、試みたもののトラバもコメントもお返しできませんでした。ふつつかで申し訳ありません。ありがとうございます。
1日に訪ねた本牧十二天にある横浜北方漁業協同組合記念碑のことである。
以前、電子地図上に見つけて、どうしても行きたくなり、今回実現した。ちょっとした木陰の公園になっていて、この日はなかったものの潮風が気持ちよさそうである。ただ、園内にはごみが散乱していて、到底管理されているとは思えない状態にあった。少し、飛躍するけれども、全国各地には記念碑に類する建立物があるが、それぞれ志をもって建てられた経緯があるものの、志は継がれることなく、数多くの碑が棄てられていく、そういう想いを、此処でも抱いてしまった。もちろん、勝手な想像であり、今でも碑の志を受け、管理をされているのかもしれないが、少なくとも公園内の様子からはその気配を感じることができない。
[横浜北方漁業協同組合記念碑]

[北方(ほっぽう?!)の文字]

横浜市の統計サイトによると、同市の漁業は細々と続けられているとある。
年次/経営体数/従事者数(※漁業センサスによる)
78(昭和53)年/238/468
83(58)年/244/467
88(63)年/192/475
93(平成5)年/191/321
98(10)年/211/386
03(15)年/194/344
区別では金沢区(110/202)がもっとも多く、中・西区ではわずか18/34にすぎない。「神奈川農林水産統計年報」による最新(06年)データでは経営体数は163(金沢区89、中区16、西区1)とあり、さらに減少している。88⇒93年に従事者が激減しているのは、ちょうどこの頃に「みなとみらい21」が本格的に始動したことと関係があるのかもしれない。
漁獲・収獲量(高)をみると、昭和の時代には「かつお一本釣」「遠洋かつお・まぐろまき網」といった威勢の良さもみられたが、平成に入って、さっぱりで、わずかに板のり養殖と牧前アナゴなどで成り立っている。
以前に本牧を訪ねようと想った際に、サイトで「笹 加工直売所」という食堂のことを知った。ここの名物がアナゴ天丼で、残念ながら、本年5月末で閉店となったけれども、漁港の突先まで行くと、潮の香りが薄っすらと漂い、それだけで満腹感を味わうことができる。
[本牧漁港]※この一角に「笹」さんはあった(建物は閉店の貼り紙とともに残っている)

[原油高騰の影響はどうなのであろう]

[上屋群]※この辺りにも牧前の海(港)の幸を食べることのできる食堂がある(行っていないけど)
※日産の自動車もここら辺りから輸出されるので、牧前なのであろう。

ずいぶん寄り道した。北方漁業に関して、わたくしが犯した勘違いについて書きたかった。当初、わたくしは、これ(北方)を「ほっぽう」と思い込んでいた。本牧の埋め立てが始まったのは1963(昭和38)年、東京オリンピックの前年であるという。高度成長期の一端を担うためであろう。それ以前は港ではなく、魚港(ぎょこう)であったと断言できる。ただ、わたくしは、港と思い違いしていた、ここ(記念碑辺り〜本牧)から遥か北洋に鯨でも追いに漁師さんたちが出ていたのかという妄想を描いていた。
この間違いは、別の場所を知って、気づいた。
「ほっぽう」ではなく、「きたがた」であった。
潮の風を浴びたあと、本牧の軍艦のような団地群を抜け、本牧通りへと向かった。実は、また、迷った。そのことは、次の機会に。
明日は、パソコンを物色しに、出かけたいと思っている。持ち運び用なので、軽くて、駆動時間(マックでコンセントを借りないでも済むような)が長いものを所望しているので、おおむね心は決まっている。できれば、ソッチで、この続きを記してみたい。
[お詫び]
昨日の拙ブロに、Goodnews.Sunnydayさんからトラックバックを戴いたのですが、試みたもののトラバもコメントもお返しできませんでした。ふつつかで申し訳ありません。ありがとうございます。
2008.08.08
ア□□□ン
数日前に電車内で以下のような広告をみかけた。本来(実物)は□(空白の意味)であるが、ここでは、見分けが難しいので、■であらわした。
■不足| 熱帯■
■ルマ| ■■ンス
わたくしの位置が遠目であったせいもあって、その意図はよくわからなかったけれども、勝手に、横並びの2句がつながるような文字で■内を埋めなさい、という、車内ではお馴染みの日能研のようなものかと、少し、真剣に考えてみた。
1列目は、すぐ、解かった!、というか、フツウの解答であれば、時節柄、「寝不足、熱帯夜」となる。では、ほかには、と考えた。ちなみに、わたくしは、暑かろうと寒かろうと、寝不足にはならない。^zzz)
食不足、熱帯魚・・・・食糧難が深刻な地球において、今後は熱帯魚も日常的な食料になりうる。
でも、沖縄(グルクンなど)やアマゾン(ピラニアなど?)などでは、すでに日常食でもある。
客不足、熱帯園・・・・そういう事態にならないよう、皆さん、■ルマで■■ンスに出かけましょう。
2列目に移る。(■ルマ| ■■ンス)
第一候補は、クルマ、バカンスであろうか。原油高騰の折、少し、控える方が多い夏でもある。ただし、高騰は便乗の疑いも否めない。また、バカンスでなく、ヴァカンスと気どられる方もいらっしゃるが、こちらは■内(原則的に■イッコは一文字)には納めることができない。
パルマ、フランス、かと思ったけれども、(パルマは)イタリアであった。では、ビルマ、フランスか、いえ、ミャンマーはイギリスの占領下にあった。その所為でもって現在も混乱が続いている。
ヒルマ(昼間)、ロマンスは、なんだか日活ロマンポルノを想い起す。
結局、わたくしには、ダルマ、バランスがピタッときている。
起き上がりこぼし(こぶし)をこしらえる際にもっとも重要なのは重しを埋め込む位置であるという。その置き方によって、出来上がったダルマのバランスがほぼ決定づけられる。おそらく、人間もそうであって、生まれながらにして、重しの置き位置が、わたくしの場合、間違っていたようである。
標題のア■■■ンは、アリナミン(V)の広告であった。ほかに■を埋めるとすれば、
アフリカン、アメリカン、アラビアン、アライヤン、アスハキン(明日は金曜日・・・本日だけど)、
アシツルン(足攣るん)、本日も相変わらず攣っている。
■不足| 熱帯■
■ルマ| ■■ンス
わたくしの位置が遠目であったせいもあって、その意図はよくわからなかったけれども、勝手に、横並びの2句がつながるような文字で■内を埋めなさい、という、車内ではお馴染みの日能研のようなものかと、少し、真剣に考えてみた。
1列目は、すぐ、解かった!、というか、フツウの解答であれば、時節柄、「寝不足、熱帯夜」となる。では、ほかには、と考えた。ちなみに、わたくしは、暑かろうと寒かろうと、寝不足にはならない。^zzz)
食不足、熱帯魚・・・・食糧難が深刻な地球において、今後は熱帯魚も日常的な食料になりうる。
でも、沖縄(グルクンなど)やアマゾン(ピラニアなど?)などでは、すでに日常食でもある。
客不足、熱帯園・・・・そういう事態にならないよう、皆さん、■ルマで■■ンスに出かけましょう。
2列目に移る。(■ルマ| ■■ンス)
第一候補は、クルマ、バカンスであろうか。原油高騰の折、少し、控える方が多い夏でもある。ただし、高騰は便乗の疑いも否めない。また、バカンスでなく、ヴァカンスと気どられる方もいらっしゃるが、こちらは■内(原則的に■イッコは一文字)には納めることができない。
パルマ、フランス、かと思ったけれども、(パルマは)イタリアであった。では、ビルマ、フランスか、いえ、ミャンマーはイギリスの占領下にあった。その所為でもって現在も混乱が続いている。
ヒルマ(昼間)、ロマンスは、なんだか日活ロマンポルノを想い起す。
結局、わたくしには、ダルマ、バランスがピタッときている。
起き上がりこぼし(こぶし)をこしらえる際にもっとも重要なのは重しを埋め込む位置であるという。その置き方によって、出来上がったダルマのバランスがほぼ決定づけられる。おそらく、人間もそうであって、生まれながらにして、重しの置き位置が、わたくしの場合、間違っていたようである。
標題のア■■■ンは、アリナミン(V)の広告であった。ほかに■を埋めるとすれば、
アフリカン、アメリカン、アラビアン、アライヤン、アスハキン(明日は金曜日・・・本日だけど)、
アシツルン(足攣るん)、本日も相変わらず攣っている。
2008.08.04
パソ陥落
実はもう前から、日常的に用いている携帯パソコンがおかしかった。1日に出かける際もシャットダウンできないまま、強制終了(電源オフ)をして、飛び出した。それ以来、ずっと、セーフ(ティ)モードでしか開けない状態が続いており、困っている。只今はというと、バックアップ用のデスクトップをなんとか、1日以前の携帯パソコンと同じ環境に整える作業を行なっているけれども、まだ、不安感はぬぐえていない。こちら(デスクトップ)も過去に傷がないわけではない。
ともかく、ウィルスチェック試用版をいただいている最中である。せっかくだから、カスペさんにした。
でも、にわかにカミナリさんが轟いてきて、本日は早めにパソを閉じようと思う。ノートと異なり、デスクトップは停電に至極弱いし、わたくしはカミナリに弱い。くわばらくわばら。古いかね・・・。
ともかく、ウィルスチェック試用版をいただいている最中である。せっかくだから、カスペさんにした。
でも、にわかにカミナリさんが轟いてきて、本日は早めにパソを閉じようと思う。ノートと異なり、デスクトップは停電に至極弱いし、わたくしはカミナリに弱い。くわばらくわばら。古いかね・・・。
2008.08.02
本牧十二天、さ迷い歩記
所用のあと、横浜駅東口のバスターミナルより小港橋をめざした。例によって、運転手さんに確認を取ってから、料金(210円)を支払い、混んでいる車内の真ん中付近へと。たまたま、対面式4人掛け席の走行とは逆向きに座ったものだから、途中、風景を眼で流しながら、過去を振り返ることができた。「紅葉ケ丘」は居留地の古いホテルを探し求めて訪ねた県立図書館があり、ココから眺めるランドマークタワーが異様だと以前記した。(拙ブロ;徒歩数帰路06年5月3日付)かつては、ココから開港間もない横浜村(港)を神奈川奉行所の役人が監視していた。今はというと、ハリスとの開港交渉を進めた井伊直弼像が睨んでいる。桜木町駅を過ぎて、左に折れ、馬車道駅を経て、本町通りを中華街方向へと。ホテルサンポートの確認を試みたけれども、わたくしのピカチュリンは使いものにならない、わずかに、あの落ち着いた建物の雰囲気と異なる様子を感じた。当然ながら、ミセスピアソンの像(拙ブロ;横浜居留地84番(オリエンタル・ホテル)06年4月24日付)まで眼で追うことはできなかった。
小港橋を降りると、道路の反対側にあられ屋さんをみつけたので、歩道橋を渡って、店内へと。工場の一階にある事務所の片隅で細々と売っていらした。それでも、何人かが、わたくしのほかにもいらした。試食コーナーもあったが、適当に、「マドロス酒場の横濱ビア柿」(柿ぴぃ〜)と「オリーブオイルのバジリコ仕立て ガーリック風 イタリア産オリーブオイル使用のおかき」(名前が長い〜)を求めた。
[マドロスさんの食べる柿ピーは辛い!]

[袋の地図はイタリア]

[中包は素っ気ない、ただ味とあるのみだが、確かに味はイタリアンである]
(下の地図は、ここあたりに、美濃屋あられ製造本舗がある、の意)

戻って、調べてみると、同じ横浜市都筑区に美濃屋あられという会社があって、そちらのHPによると、ご兄弟が、本舗より暖簾分けされたとある。
二たび、道路の向かいへ、港、海へと。小港南公園がある辺りを、
本牧十二天という。

米軍の接収によって、和田山の麓に遷された本牧神社(旧称を十二天社という)がかつてあった土地といわれている。残念ながら、同社のサイトがうんともスンとも云わない。かわりに神奈川県神社庁の紹介に詳しくある。本牧のお馬流しという祭事が本年は明日(3日)に催されるという。
ただし、わたくしの目的は、ここにはなく、その先の海員生協やUSSインターナショナルシーメンスクラブなどの一画にこんもりとした木々に囲まれた港脇に建てられた
横浜北方漁業協同組合記念碑
である。
(続く)※これから、所用(-_-メ)
小港橋を降りると、道路の反対側にあられ屋さんをみつけたので、歩道橋を渡って、店内へと。工場の一階にある事務所の片隅で細々と売っていらした。それでも、何人かが、わたくしのほかにもいらした。試食コーナーもあったが、適当に、「マドロス酒場の横濱ビア柿」(柿ぴぃ〜)と「オリーブオイルのバジリコ仕立て ガーリック風 イタリア産オリーブオイル使用のおかき」(名前が長い〜)を求めた。
[マドロスさんの食べる柿ピーは辛い!]

[袋の地図はイタリア]

[中包は素っ気ない、ただ味とあるのみだが、確かに味はイタリアンである]
(下の地図は、ここあたりに、美濃屋あられ製造本舗がある、の意)

戻って、調べてみると、同じ横浜市都筑区に美濃屋あられという会社があって、そちらのHPによると、ご兄弟が、本舗より暖簾分けされたとある。
二たび、道路の向かいへ、港、海へと。小港南公園がある辺りを、
本牧十二天という。

米軍の接収によって、和田山の麓に遷された本牧神社(旧称を十二天社という)がかつてあった土地といわれている。残念ながら、同社のサイトがうんともスンとも云わない。かわりに神奈川県神社庁の紹介に詳しくある。本牧のお馬流しという祭事が本年は明日(3日)に催されるという。
ただし、わたくしの目的は、ここにはなく、その先の海員生協やUSSインターナショナルシーメンスクラブなどの一画にこんもりとした木々に囲まれた港脇に建てられた
横浜北方漁業協同組合記念碑
である。
(続く)※これから、所用(-_-メ)
2008.07.31
ヨケモン
今月半ばより街が俄かに騒がしい。街というよりも(JRの)電車の中、が、である。例によって、ポケモン・スタンプラリーが始まった。平日昼間の比較的のどかな車内が親子連れに支配され、おじさんたちは、除け(余計)者である。
昨年は延べ31.1万人が参加して、完全制覇は2.3万人だったらしい。(「気まぐれ日記帳」による)倍率に直すと13.5倍、大分県のと変わりなく、厳しい。コッチは商品券は必要ないけれども、乗車券はその都度必要になるそうである。95駅にスタンプが設置してあるので、物理的に一日では不可能と思われる、どうしても、数日間は「お得な」割引切符などを求めて、ひらすら、乗って、降りて、乗っての繰り返しである。JRもせこいものだから、スタンプはエキソト(改札の外)にある。エキナカで儲けて、お子ちゃまからも金を巻き上げる・・・ナカナカ民営化も板についてきたようである。
さて、もう、車内はアッチコッチでお子ちゃまがゴチャゴチャ、ゴソゴソしており、優れた動体視力をもつといわれるイチロー選手のピカチュリン(nature neuroscienceより)をもっても、その動きを捉えることはむずかしいであろう。
[お子ちゃまたち並びにご父兄の方へ]
☆駅や電車はたくさんの人が利用しているから、マナーをきちんと守ろうね。
☆ホームや駅の中を走ったり、騒いだりしないでね。
、と、JR東日本の方も申しておりますので、「ね」
わたくしであれば、京成バスグループのこどもんどころパスのほうが、楽しそうだなぁ、と思う。ラリーはある意味与えられたお題を消化していくだけのことであるが、こどもんどころは一か月間乗り放題で東京の東から千葉西南辺りを探検できる。(バスの)車窓から外を眺め、何か気になることでもあったら、ピン〜ポ〜ンと降車サインのボタンを押して、降りてみるのも良いだろう。残念ながら、おじさんは使うことができないので、みんなで使って「ね」(拙ブロ;こどもんどころ2006年8月3日付)
明日は所用で横浜に出かける。帰りは本牧辺りへ足を延ばそうかと考えている。十二天が気がかりである。(拙ブロ;本牧十二天、摩利支天・・・テンテンテン2006年4月12日付)
夜は、MM21辺りで花火大会と、昨日乗った京急線にお知らせが吊ってあったけれども、もしかしたら、本牧山の頂から眺めることもできるのであろうか。いずれにしても、みるつもりはないが。
もちろん、JRを避けたい(横浜駅にはディアルガさんがいらっしゃる)何者か、おじさんは知らないけれど(~_~)
昨年は延べ31.1万人が参加して、完全制覇は2.3万人だったらしい。(「気まぐれ日記帳」による)倍率に直すと13.5倍、大分県のと変わりなく、厳しい。コッチは商品券は必要ないけれども、乗車券はその都度必要になるそうである。95駅にスタンプが設置してあるので、物理的に一日では不可能と思われる、どうしても、数日間は「お得な」割引切符などを求めて、ひらすら、乗って、降りて、乗っての繰り返しである。JRもせこいものだから、スタンプはエキソト(改札の外)にある。エキナカで儲けて、お子ちゃまからも金を巻き上げる・・・ナカナカ民営化も板についてきたようである。
さて、もう、車内はアッチコッチでお子ちゃまがゴチャゴチャ、ゴソゴソしており、優れた動体視力をもつといわれるイチロー選手のピカチュリン(nature neuroscienceより)をもっても、その動きを捉えることはむずかしいであろう。
[お子ちゃまたち並びにご父兄の方へ]
☆駅や電車はたくさんの人が利用しているから、マナーをきちんと守ろうね。
☆ホームや駅の中を走ったり、騒いだりしないでね。
、と、JR東日本の方も申しておりますので、「ね」
わたくしであれば、京成バスグループのこどもんどころパスのほうが、楽しそうだなぁ、と思う。ラリーはある意味与えられたお題を消化していくだけのことであるが、こどもんどころは一か月間乗り放題で東京の東から千葉西南辺りを探検できる。(バスの)車窓から外を眺め、何か気になることでもあったら、ピン〜ポ〜ンと降車サインのボタンを押して、降りてみるのも良いだろう。残念ながら、おじさんは使うことができないので、みんなで使って「ね」(拙ブロ;こどもんどころ2006年8月3日付)
明日は所用で横浜に出かける。帰りは本牧辺りへ足を延ばそうかと考えている。十二天が気がかりである。(拙ブロ;本牧十二天、摩利支天・・・テンテンテン2006年4月12日付)
夜は、MM21辺りで花火大会と、昨日乗った京急線にお知らせが吊ってあったけれども、もしかしたら、本牧山の頂から眺めることもできるのであろうか。いずれにしても、みるつもりはないが。
もちろん、JRを避けたい(横浜駅にはディアルガさんがいらっしゃる)何者か、おじさんは知らないけれど(~_~)