2005.01.31

はばかり(トイレ考)

 常々、思っていることの一つにトイレのことがある。わたくしは、建築家でも、設計家でもないけれど、憚りながら、書く。
 トイレといっても家庭にあるのではなく、不特定多数が利用する、例えば、公共施設とか、ホテル、遊園地、高速道路のパーキングエリアなどにあるトイレについてである。わたくしが気になるのは、どうして、トイレ(全体)の面積は男女ほぼ同じなのだろうかということである。
 仮に♂用♀用が同じ面積であるとすれば、当然ながら淑女用の方が1人当りに要する広さが♂用よりも上回っているので、定員も紳士用に比べ少ないという想像がつく。とはいえ、中々、淑女用トイレに入って観察というわけにはいかないので、実際に見てはいないが、長野県が田中知事の指示で?実施している「トイレの長野モデル指針」の資料に紹介されている例を見ると、おおむね♂用の方が多いという結果になっている。
 1人当り面積と1人当り利用時間を考えれば、回転率も淑女用の方がはるかに悪いはずだから、混雑するのが当たり前であろう。やはり、設計の段階で、左右対称の安易なトイレを造るのではなく、淑女用の方をより広く取るべきだと、駅やデパートで通路まではみ出して並んでいる淑女方を見るたびに、考えさせられる。

http://www.pref.nagano.jp/jyuutaku/sisetu/hp/pdf/naganomo.pdf

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2005.01.30

お釈迦(オシャカ)

 雪祭り期間中に札幌へ行かなくてすみそうだ。というよりも、来週に行けるよう、調整して、ほぼ、その予定で、すでに、航空券も宿も手配した。これで、雪祭りの夜を過ごすというのはオシャカになったが、わたくし的には釈、然とした。やはり、人が少ない方がよろしい。
 ところで、徳永康元さんの言に従い、古書店へ行く予定であったが、どういうわけか、新宿にある普通の書店に入ってしまった。
http://blog3.fc2.com/hisada/blog-entry-9.html
 そこで、また、釈然としないことが。これは、もう随分前から思っていることだが、アノ書店の従業員教育はどうなっているのかを知りたい。無愛想だったりするのは、個人差もあるだろうから、それはそれで良いのだけれど、客が棚の前で、あれこれ物色していると、その前(つまり、わたくしと棚の間のわずかな隙間)に、無言で、割り込んできて、棚の下にある書籍一時置場を開けて、在庫の整理を始めるのは、どういうことか。昔、立ち読みしていると、叩(はた)きでパタパタというのはあったけれども、まさか、そのつもりではないと思うが、まず、一言あっても良いと思うし、それ以前に客と棚の隙間に入るなと言いたい。でも、これが釈然としないことではないのである。
 この日(29日)は、ある作家の未だ読んでいない作品を何冊か仕入れようと思いつき、アノ書店の電子検索で2作ないしは3作は在庫があるという情報を得て、いざ、レジカウンターへ向かった。「あのぉ、この3冊が欲しいのですが」と、プリントアウトしてきた著作名他が印字されている紙片を店員に見せたところ、
「はぁい、あのですね、これは、ここで買えますが、これとこれは、ここでは買えないのです、むにゃむにゃ…」
 さらに説明を聞くと、要するに、わたくしが求めようとする書のうち2冊は単行本、そして文庫本という構成なのであるが、この売場(フロア)では後者は売っていても、前者は売らないということらしい。アノ書店では文庫本は2階、そして、同じ作者でも単行本は1階で売っているから、こういうことになる。
 (では、申し訳ないけれど、1階から、これとこれね、持ってきて下さる?)と頼もうとしたが、その前に、
「これとこれは、1階で買ってください」と言われた。
 例えが少々(かなり)悪いが、スーパーで直径30cm以上のフライパンは1階で売っていて、それ未満は2階で、などということはありえないと思うのだけれども、そうだとしても、気を利かせて、1階から(あるいは2階から)持ってくるのが筋だと思うが、アノ書店ではそうは、してくれない。おそらく、店舗の床効率という面では同じサイズの書籍をまとめて置いた方が良いのだろうけれど、客によっては、同じ著者の本をまとめて見たい、買いたいという事情、都合があることも、配意してほしい。
 気になるので、ついでに、他の書店も調べてみた(各店のHPによるが)。あれ、東京駅のアノ書店も、神田のアノ書店も、同じなんだねぇ。関西発のアノ書店(池袋)はフロア詳細が分からないけれど、レジを1階に集中、というので、とりあえず、△、文庫も単行本も一緒には見られないかもしれないけれど、一緒に買うことは可能なはずだから。
 活字離れが著しいなどと言われるが、書店が、作品(著作)をサイズで分けるような「品物扱い」をしているのだから、それも致し方ないとでも考えたら良いのか。
 釈然としない日が続く。
 







Posted at 23:26 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2005.01.28

ふなべた(新潟)

 新潟の特定の、お酒が、未だ、もて囃されている頃、そういう店を避けて、なるべく、客のいない、できれば(店の人以外は)誰もいない宿り木を選んでいた。もともと、旧二級酒≒現本醸造が好きな、わたくしには、それで十分なのであるが、新潟市で入った店も、「そういう店」であった。
 ご夫婦二人でやってらっしゃるのだが、最初は無口に呑む、わたくしに遠慮しているのか、話しかけることもなかったが、何本か呑んだ末に、わたくしの口も滑らかになっていることもあり、会話が成り立った。娘さんが東京の大学に通っており、ご夫婦も揃って、上京することがあるそうで、上野の鈴本亭(演芸場)に行くのが楽しみという。恥ずかしいことであるが、わたくしは行ったことがなく、そう正直に申告すると、「ま、私の趣味ですから」と、横目で奥さんを窺っている。すかさず、「私も楽しんでいますよ」とフォローする奥さま。
 そのうち、「ふなべた」の話になった。おそらく、わたくしが何ですかと聞いたのだと思うけれど、ご主人が丁寧に教えてくれた。「ふなべた」は鰈(かれい)の一種であり、中でも小振りの方で、以前は所謂、雑魚扱いだったという。ふなべたとは、舟の底という意味で、舟から水揚げする際に、最後まで船底にへばり付いているのが「ふなべた」で、せいぜい、漁師が家に持ち帰って、食すか、猫の御馳走になる程度だったらしい。
 今は、もう、そうではなく、「ふなべた」という御品書として、立派に通用するまでになり、その背景には漁獲そのものが減っていることがあるらしい。したがって、「こんな店だからこそ、ふんだんに出せた、ふなべたも、もうウチのような所には手に入り辛くなってしまいました」と、当然ながら、その夜もメニューを見るだけで、わたくしの口には入ることはなかった。
 もう十数年前になるが、鰯(いわし)が同じ運命を辿っている。その頃仕事で外房に行っていたが、鰯が消えた(獲れない)と地元の人が悩んでいた。原因は、当然、獲り過ぎ(獲るだけで、育てない)、地球・海洋環境の劣化、漁師さんの高齢化・跡継ぎ難などがあるだろうが、もしかしたら、鰯も、ふなべたも、自分たちをぞんざいに扱う人間どもに愛想がついて、どこか、海の奥底に引き篭もってしまったのかもしれない。あるいは、人間たちに倣って(あるいは先行して)、リストラが進み、今では、勝ち組鰯やふなべたのみが、(高嶺で)世に出ているのかもしれない。
 
 雑魚が成り上がるのは、ある意味心地よいことかもしれないけれど、できれば、雑魚は雑魚のまま、わたくしの口に気軽に放り込める程度に留めてほしい。




 

Posted at 21:50 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2005.01.27

サッポロ

 再来週あたりにサッポロに行かなければならない。そのことで頭が痛い。ちょうど、雪まつりが始まるから、それはそれで、良い時季に行けると思えばだが、宿がとりにくい、(取れても)人が多い、何故、そういう時に行くのだろうという、ちょっとした不満が、わたくしの気持ちの中に在る。以前にも仙台の七夕にぶつかってしまったことがあり、電話をかけまくった結果(当時、ネット予約はなかった)、ようやく一室確保できた。それが意外に中心街区に近く、結局、その夜は、しっかりと七夕を見てしまった。おそらく、サッポロの夜もそうなるのだろうか。
 釈然としない。

Posted at 21:31 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2005.01.25

ブダペスト三部作

 ハンガリー(マジャル)共和国の首都ブダペスト(ブダペシュト)は代表的な双子都市(ツインシティズ)で、ドナウ川を挟んだブダとペシュトが「逢わさって」できた町である。他に合衆国ミネソタ州のミネアポリス・セントポールも有名で、当地にあるメジャー球団の名はミネソタ・ツインズ。日本では群馬県の前橋と高崎がそれに近いといえる。また、福岡市の福岡部と博多部もその成り立ちからすると立派な双子である。
 ブダペストはまことに美しい街であり、わたくしが漁夫の砦でその景観に見惚れていたのが87年、それから半世紀ほど前に、この地に渡ったのが標題の三部作を著した徳永康元氏である。「ブダベストの古本屋」(82年、恒文社)、「ブダペスト回想」(89年、恒文社)はいずれも、わたくしがブダペストが忘れられない当時に偶然知った書であり、「ブダペスト物」の希少な当時、自らの旅行体験とあわせ、興味深く読んだものである。それから、20年近く、2冊は拙宅の書棚にひっそりと置かれていたのであるが、「ブダペスト日記」(04年、新宿書房)が出たということを、行きつけの呑み屋で、たまたま、いらしていた同書の編集者の方から聞いて、翌日、早速書店で買い求めた。残念ながら徳永氏は03年に亡くなられたということである。
 著書の中に「古本漁りはパフォーマンス」という山口昌男さんとの語りがあり、氏の漁りぶりに改めて驚きを感じた。詳細は現物を手にして頂きたいと思うけれど、「鈍行列車に乗って、各駅停車して、歩くのが好き」と仰られているところなど、その行動力に対して、敬意を表すのは必然として、一駅降りるたびに、掘り出し物はないかと胸躍らして、小走りに古書店へ向かう姿を想像すると、大変失礼なことではあるが、親しみを通り越して、滑稽ささえ覚える。
 ブダペスト日記の巻頭に氏のお写真があるが、右手にはしっかりと手提げ袋が握られており、いかにも(獲物を)獲たりという顔の表情がほほ笑ましい。
 氏も言われているが、近頃は地方都市から古書店がすっかり姿を消し、東京でも神田か早稲田界隈ぐらいしか思い当たらないほど、寂れてしまった。かわりに新手のチェーン店などが現われたとはいえ、漁るほどではないので、氏もさぞかし気落ちするだろうなと思うのは間違いで、おそらく、古書の看板と見れば、隈なく、覘いていたのであろう。(と、勝手な想像でしかないが)
 死ぬ二、三日前まで古書を買っていた御仁もいるそうで、却って、その方が呆けないのだろうという徳永氏のお言葉に従って、久しぶりに古書店廻りでもしてみようかと思う。





Posted at 19:15 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2005.01.24

 拙作ブログのプロフィールにあるのは夫婦梅という一つの花から二つの実をならせ、しかも主に観賞用のため、写真のような真っ赤な花の輪で、魅せてくれる。残念ながら、その実は梅干用には向いていないので、砂糖漬けや焼酎漬けで食すことになる。
 10年ぐらい前からか、わたくしも梅干づくりを始めた。ビギナーズ・ラックというのか、料理本を見ながらの、第一号は殊の外評判が良く、我ながら、梅干職人になった思いであった。それから、毎年、梅を近所から頂いて、勤しんでいたが、ある年、どういう加減か、カビを生やしてしまった。同年、ごく近い人を失ったことから、梅にカビが生えたら身内に不幸がある、という言い伝えは本当なんだなぁと、翌年は怖くて、梅を漬けることはできなかった。悪いことに、それから何年かして、再度、同じような不幸に遭い、もう梅干には手を出さないと決めたが、昨年手を出し、これは成功した。今、思うに、減塩志向が言われる中、梅を漬ける際に塩が少なすぎる傾向にあったと反省し、昨年は、料理本通りの塩梅としたことが良かったのだと思う。
 19日に沈んでいた酒場で花見の話が出た。恒例の谷中墓地での集まりが昨年途絶えたので、今年は必ず開きましょうという、要するに呑む機会を一回増やす魂胆だけなのであるが、その際、わたくしは花見は嫌いで、その会にも一度も顔を見せたことがないと言うと、怪訝な(意外な)顔をされた。やはり、花といえば櫻なのだろうか。わたくしは梅の方がずっと愛らしくて、可憐に思えるのだが。
http://blog3.fc2.com/hisada/blog-entry-4.html

 西行も花(櫻)がお好きなようで、「ねがはくは花のもとにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」は、自ら、その歌のとおりに果てたことでも有名であるが、梅を詠んだ例は少ないように思う。

「香を求む人をこそ待て山里は 垣根の梅の散らぬかぎりは」

 独り、修行に没入し、現世への想いを絶とうとした西行のような人でも、俗世への未練はあったのだろうから、わたくしのような俗人には、垣根の梅を見て、赤紫蘇の出回る梅雨時を待つことしか、到底できないのであろう。
 ただ、もう、この先、梅干には、やはり手を出さないと改めて、心の奥で念じている。


Posted at 17:13 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2005.01.23

へしこ(福井)

 福井県の若狭には何度か行ったことがあるのだが、そこでは、この存在が分からず、ある時、福井市に行き、たまたま入った居酒屋で知った。カウンターに座り、一杯やっていると、店主の背中越しにぶら下がっている短冊メニューの中に、「へしこ」というのを見つけた。恐る恐る、それが何かを尋ね、注文した。女将さんが「そのままで食べますか、焼きますか?」と聞くと、背後から店主が「焼いた方が美味しい」と一喝、しばらくすると、カウンターにも香ばしさが伝わってきて、酒呑みの咽喉を刺戟する。どうぞと出されてきたのは、コンガリ焼けた鯖の半身が何やらゴソゴソした、お焦げのような粒状の物体で包まれている。焼き加減はミディアムより少しレア寄り、ちょうど、タラコを半生焼きにした程度の具合。表面のゴソゴソの正体は糠だった。口に入れると、その糠の芳ばしい香りと少し、いや大分ショッパイ鯖本体の味があいまって、これはもう肴としては十分すぎる。他にツマミが要らない、店泣かせの逸品である。
 へしこは、新鮮な鯖の身を塩漬けしたあと、糠に漬けて、保存食として、越前、若狭、丹後辺りでは昔から珍重された食べ物であるらしい。後日、へしこのことを旧知の若狭の漁師さんに聞いたら、「今は家庭で作ることは少なくなった」と言い、以前は、家庭ごとの秘伝の味があったらしい。一度口にしたへしこの味は忘れられなく、以来、魚屋や土産物屋の軒先が気になり、覗いてみると、意外に売られていることに気づいた。あれだけ何度も乗り降りしたはずのJRの駅構内でも販売されており、その都度、一本か二本買って行くようになった。しかし、どれも、最初に食べた福井の店から比べると、う〜む、という感じは否めなかった。何でも最初は美味しく感じるのだろうけれど、どう客観的に判断しても、それを超越する、へしこには出逢えなかった。
 数年後、北陸方面に仕事ができ、福井にも行くことになった。翌朝の日程上、お城近くのホテルに泊まらざるをえなかったけれど、「アノ」へしこが食べたくて、駅前まで歩いた。店の名前も覚えておらず、場所さえ確定できず、散々歩いた挙句、此処だという店を見つけ、思い切って入ると、あの短冊メニューを見つけ、酒を頼む前から「へしこ」を。お酒で咽喉を潤していると、待望の品が目の前に。忘れかけていた至福の感覚(味覚)を堪能できた。
 観察してみると、どのお客さんも頼んでいる様子がない。カウンターの左隣に座していた酔客も(かなり出来上がっている様子)、前にそれらしい痕跡がない。すでに、食べ終わり、証拠を隠した(店の人が片付けた)のかもしれないが、と思っていると、やおら、「へしこ、と、ライス」と女将に呟く。
 「やられた」
 確かに家に買って帰った、へしこを温かいご飯と一緒に食べるのも、至福のひとときなのである。しかし、すでに遅かった、わたくしの目の前のへしこは幾分の糠の滓を除くと、跡形もなかった。
 次回は隣の客のようにしよう、と思いながら、以来、3年が過ぎようとしている。
 







Posted at 21:08 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2005.01.22

JFK

 ネットで小泉首相の施政方針演説というのを読んだ。ああ、この人には標題のJFKがふさわしいと、改めて思った次第。
 「Juんいちろう・F・Koいずみ」。Fには適当に言葉を入れることにしよう。例えば、「Fu ざけるなぁ!」とか「Foo※ish」とか、「ファー!(OBですね)」とか。ご本人はForever〜ラブとでも入れたいと思うが。
 仕事柄、全国各地に行く、わたくしとしては、何処にでもある、こんな所にもあるかぁ郵便局、は、使い勝手の良い「金融機関」である。郵政民営化関連法案の骨子によると、「郵便局は各市町村に1以上」とあるけれど、どんなに広い面積の町村でも一つということもあるのだろうかねぇ。あるいは、今盛んに(無理矢理)押し進めている市町村合併で、廃止される〒も出てくるのだろうかねぇ。瑣末なことだけれど、たいへん、気になっている。




Posted at 20:03 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2005.01.21

nhk

 一昨日(19日)は希望通り、呑み屋で沈むことができた。ただし、お酒に酔っているのではなく、その酒場内の還流しない淀んだ空気に麻痺していたといったほうが良い。そういう雰囲気を求めてきた他の数人のお客とポツリポツリと会話。店主がつけた7時のnhkニュースをきっかけに受信料を払っているかどうかが話題に。結果、半数が支払っていない。わたくしも昨年までは支払い派であったが、暮れに年払いの時期が来たのを機に引き落としの中止を行ないに金融機関へと。田舎の寂れた支店なのに、行員は事情を言うと、奥にいったん下がるが、すっと戻ってきて、手続き用の用紙をわたくしに。見ると、それ(nhk受信料自動引落中止手続・・・、よく記憶していないが)専用の用紙であり、そのようなモノがあること自体に驚き、そのような普段使うことはあまりないはずのモノがすぐ出てきたことにも愕いた。もしかしたら、今回のnhK問題で慌てて専用用紙を作成し、いつでも、わたくしのような不払い者が来ても、すぐ出せるよう、支店長の机の脇にでも置いてあったのだろうか。お陰で、年末の通帳にはnhkからの引落としは記録されていなかった。
 もちろん、不払い派になったのだから、nhkを見るのは控えているが、といって、民放を見る気にもならないから、近頃はTVから遠ざかっている。
 ところで、TV付き携帯電話にも受信料は発生するのだろうか?

 12時頃にお客が帰り始め、主も帰り、最後に残ったお客が退くと、わたくし一人、酒場の硬い椅子に寝転んで、睡眠の世界へと沈んでいった。相変わらず空気は動いていない。











Posted at 11:10 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2005.01.19

踊る阿呆に観る阿呆(徳島)

 仕事の関係で何年か徳島に通っていた。ある本で読んだのだが、伊丹空港と徳島空港を往来する飛行機は凄まじいらしく、離れたと思ったら、もう着いたという感じで、飛行というより発射→着弾という風らしい。残念ながら、その貴重な経験はできなかったが、徳島に行くと決まってから、毎回、なるべく手段を変えて、視線を違えて、向かいたいと思っていた。
 実際、空路、鉄路、陸路、海路とその度に行き方を変え、結局、もっとも馴染んだのは海路であった。残念ながら明石大橋や関西国際空港の影響で海路は次第に姿を消し、今では徳島〜和歌山港のみとなってしまった。(関空〜淡路島〜徳島航路や東京などからのフェリー航路はあるが)
 もうこれで仕事として定期的に来ることもなくなるだろうというある年の夏、阿波踊りをじっくり観ることにした。直前だったので市内のホテルはとれないと覚悟していたが、キャンセルでもあったのか、奇跡的に演舞場前の宿がとれた。
 着いてみると、京阪神から、わざわざ踊りに来る「連中」が、もう自宅あるいは職場から踊り衣裳のまま、飛び出してきたような勢いで、狭くもないホテルのロビーを埋め尽くしている。
 部屋に向かうエレベーターで連中と出くわしても、(この時期、徳島に泊まっている客は)もう他人ではないとお互いが承知しているので、気軽に声を掛け合える。
「どこで踊るんですか?」
「ハイ、藍場浜で踊れるんですわ」
 そこは泊まっているホテルの真横で、市内には藍場浜のほかに、市役所前、紺屋町、南内町、合計四か所の演舞場があり、他の会場と異なり、熟練した連中しか踊れない処であるという。確かにこの四つの演舞場は座席に限って有料制であり、お金を払ってまで観る価値のある連だけが集まるということなのであろう。
「あとで観に行きますから」
「一緒に踊りまひょ」
 そんな会話が気軽に成立してしまう雰囲気がある。
聞くと、今朝早く、バスで関西方面から来たという某企業の人たち(連)で、「今は便利になったけれど、橋がなかった頃は、大変でしたわぁ」と、世紀の無駄遣いともいわれた架橋も、彼らには大変な恩恵を与えているようである。
 部屋に入ると、早速窓越しに隣の演舞場へと視線を下げると、まだ日の落ちないうちから、観客席には観る阿呆どもが集まり始めていた。
 陽がまだ高い真夏の夕刻六時過ぎに、新町川沿いに控えていた連中の出番である。鉦やお三味の軽快な鳴り物の音(ぞめき囃子)とともに、一連一連ごとにマイクを通じて紹介され、舞台へと登場してくる。観衆の眼という眼が集まる。舞台の総延長は百メートルほど、そこを一年間の練習の成果を、舐めるように練りながら、時には観衆の前に立ち止まり、踊りを披露する。拍手喝采。それでも一連に与えられた時間はわずか、四十連ほどが踊り切るのは二時間ほどでしかない。(〇四年から、演舞場では時間を置いて、このあと第二部が始まるようになった)
 それを観終わると、次は『街角踊り』に出かける。この期間ばかりは市内の目貫き通りも車を絶ち、阿呆たちに開放する。演舞場のような観客席はないから、観る方は道路脇に立って並んでいる。後ろの方の観客は、普段は車が往来している「俄(にわ)か演舞場」を背伸びしないと、見ることが難しいほどの混みようである。
 連が踊り始めると、観客も、最初は遠慮がちに遠目で観ているが、そのうち、体が自然に前へと出て行き、と、次第に踊り手たちの方へ近づき、遂には、踊ると観るの区別がつかなくなる。そして、阿波踊りは最高潮を迎える。
 わたくしが阿佐ヶ谷に住んでいた頃、もう二十年ほど前になるが、隣駅の高円寺駅周辺で阿波踊りが行われていたので、観に出かけたことがある。当時は、わたくし自身の興味が薄いこともあったのか、それほどの賑わいを感じなかったものの、改めてHPを見ると、昨年で四十八回目を迎え(一九五七年から)、三日間で延べ七千人の踊り手と百万人の観客(高円寺阿波おどり連協会による)というから、本家に匹敵していると言ってよい。(徳島市は四日間で百三十六万人、踊り手はさすがに多く、延べで千連十万人)
人口八十二万人の徳島「県」と五十二万人の杉並「区」の違いといえばそれまでではあるが、高円寺の連中たちの半世紀にわたる奮闘ぶり、いや踊りぶりがうかがえる。
 もちろん、徳島県内でも各地で行なわれているが、どこも踊り手不足が深刻になっていると聞くから、ここにも東京集中、地方の過疎化が影響しているのかと、少し、悲しくなってくる。もっとも、徳島駅前にある行きつけの呑み屋の親父に言わせれば、もともと二日間だったのを(観光振興とやらのために)四日間に延ばしたこと自体、無理があった。しかも、たいていはお盆休みとはいえ、毎年一二〜一五と日程が固定しているから、平日も混ざってくる。せめて土日を必ず入れるとかすればねぇ、と、なるが。
 土日はたいていの呑み屋はお休み、ところが阿波踊りがあれば、界隈には普段では考えられない人の数、そのうちの何十人、いえ何人かは、しがない居酒屋に目を留めるかもしれない。しかし四日間全てが平日だったりすると、普段来てくれるお客さんまでもが踊りに目がいって、店はさっぱりということらしい。わたくしが街角踊りの終わった(ついでに)寄った日も、確かにお客さんは多いとはいえない状況であったので、親父の言うことにも一理ある。

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 アメリカのボールパーク(野球場)はフィールドとスタンド(観客席)が危ないくらい接近していて、例えば甲子園のような広いファールゾーンがない。初球から力ないファールフライを上げてしまい、アウト!という間抜けな状況を少なくして、なるべくベースボールを楽しもうという意図が感じられるが、お互いの距離が近いだけに、プレイする方も、見る方も臨場感を肌で感じることができ、ゲームに集中できる。日本の球場のような、ただ、うるさいだけの応援も、勝敗だけにこだわる雰囲気もない。誰もが集中しているから、打者の打ち損じたファール球にもプレイヤーと同じ程度に反応する、決して、避(よ)けない、たいていの男たち(子どもも大人も)は手にグラブを着けて、球を追う。捕れても、捕れなくても、満面、笑顔である。そして、潔く、捕った者を勇者と褒め称える。だから、野球が面白い。誰もがボールパークに連れて行って欲しいのである。
 あるいは、フットボール。
二〇〇二年に韓国との共催で行なわれたワールドカップを機会にフットボール(サッカー)に興味を抱かれた方も多いだろう。フットボール場も驚くほどフィールドと観客席の間が狭い。うっかりすると、スローイングさえ、ままならぬ競技場もあり、アウェイチームの振りかぶったボールをひょいと観客席から取りあげることさえできそうな至近距離である。

 ボールパークやフットボール場にはプレーヤーと観衆の距離がない。それゆえ、両者は励ましあい、時には厳しい言葉を掛け合うことで、一体となることができる。
阿波踊りにはそれと同じ距離がある。
(踊る阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃ、そんそん。)


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2005.01.18

前年同月比0(ゼロ)

 昨日はたまたま1月17日であったので阪神淡路震災について、ふれたが、では今日は何か、ということで、世間のことを調べるのも面倒なので、わたくし自身の18日を追ってみた。手元にある交通費のデータ(申告に必要なため、ほぼ毎日記録している)5年分を調べてみた。まず00年…0円(何処にも行っていない)、では01年、0円、ならば02年、0円、03年、0円、04年、0円。そして、今日(05年)は何処にも出かけないつもりなので、やはり0円である。政府の各種経済動向指標の発表風に言えば、前年同月比0(%)が5年続いているわけだ。あまり、深く考えないことにしたい。明日(19日)は出かけるつもり。最後は呑み屋で沈んでいたい。
 

Posted at 21:38 | 雑に | COM(0) | TB(0) |
2005.01.17

雑に

 別にHPを持ち、そのリニューアルを考えていたが、いっそのこと、ブログでやってみようかと思い、いつまで続くか分からないけれど、これまで訪ねた町、聞いた話、感じた事を、雑に、書き溜めていこうと思う。特に、方針はないので、何を書くのかは、分からない。
 今日は阪神淡路大震災から10年目の朝。その時、わたくしは名古屋にいて、大きな揺れで目が覚めた。それが6000人の犠牲者と阪神淡路の人たちに大きな痛みをもたらせたとは予想もつかなかった。当時、徳島に定期的に行くことがあったので、必ず神戸の町を訪れるようにしていた。まだ、傾いたままのビルディングの横を、まるで悲しみを封じ込めているかのように、無視して歩く人々を見た。街は日に日に再建され、傍目には復興だと思われるが、おそらく、今でもその傷は癒されることがなく、これからも背負っていくのだろう。
 04年末にはアジアを災害が襲った。87年に訪れたスリランカ・ヒッカドゥワという小村の惨状を知って、数年前から、連絡が途絶てしまった友だちと撮った、もう色褪せた写真が、心寂しい。










Posted at 16:42 | 雑に | COM(1) | TB(0) |