2006.06.09

東京都青ヶ島村無番地

 先月初め、ある呑み屋で、青ヶ島より、就学のため、東京に上ってきた、ご子息に会うため、ご自身も今回、上ってきたというお方にお会いして、そのとき、竹芝桟橋で行なわれる島フェスタのことをお聞きした。正確には、『東京愛ランドフェア 島じまん2006』という。(5/27・28)初日、降りしきる雨の中、出かけてみた。すでにたくさんのお客さんで混み合っており、売り切れましたという札も何冊かあり、盛況ぶりが分かる。もう、サイトからなくなっているかなと確認してみると、まだ残っていた。[島じまんのサイトです]
 青ヶ島村というのは全国でもっとも人口の少ない行政単位である。実は、つい最近までは2番目に少なかったのであるが、愛知県富山村が隣村と一緒になったことにより、とうとう、最小になってしまった。表現は稚拙だけれど、新宿、渋谷、銀座辺りで大仏様がヨイショと地上に手を落とせば片手にその程度は掬われてしまう数である。広報「あおがしま6月号」によれば5月1日現在で世帯数117、男118人、女76人、計194人。そのせいかどうかは分からないけれど、住所には番地が無い、標題の無番地というのはそのような意味であり、試しに、村のサイトを開いてみると、町役場の住所は、○凹は、■※さんのお宅は・・・全て無番地である。呑み屋で知り合った方が、郵便番号と名前で届くと仰言ったのは本当というか、番地が無いのだから、それしか方法がないのかもしれない。以前、わたくしも、郵便番号とわたくしの氏名だけで郵便を送ったことがあるが、確かに届いた、ただし、一応、(心配なので)番地を書き込んだ記憶がある。青ヶ島の場合はどうなのであろう、想像でいえば、姓も限られていて、中には同姓同名の方もいらっしゃるのであろう、それでも、届くのであろう、それほど、皆が近(親)しい土地ということであろうと、勝手に思っている。徐福伝説については、拙ブロ「海の道、海への道」(05年10月9日付)でふれたことがあるけれど、お話としては、たいへん面白い。司馬遷がその著作「史記」の中で記述していることから、信憑性が高いとも評せられる「伝説」は日本の十数か所の地に伝わっている。青ヶ島もそのひとつであり、嵐に見舞われた徐福一行の中で、生き残った童女、童男らがそれぞれ、八丈島と青ヶ島に漂流したという。以来、前者は女護ヶ島、後者は男(ヶ)島と呼ばれ、確かに青ヶ島においては上記人口内訳のとおり、女性よりも男性が多い男高女低という全国的には異質の傾向を未だに有しているので、妄想が膨らんでも、おかしくはない。対して、八丈島は♀4,323人:4,391人♂、以前は女性の方が圧倒的に多かったという説もあるけれど、現在は全員女性という状況にはなっていない。ためしに国勢調査(2005年)によって、女性100人に対して男性が何人いるかを示した人口性比をみると、全国平均は95.3(女性100人に対して、男性が95.3人)である。性比が100を超えると、女性<男性という構造になる。生存期間が女性>男性という状況においては性比が100を下回るというのは当然のことでもあるけれど、そうではない、女性<男性の現象(人口性比100以上)があらわれることについては、いくつか理由があるのだろう。ちなみに、全国の市町村を性比の大きい順に並べてみると、青ヶ島が断然大きく174.4、以下、小笠原村162.9、渡名喜村156.0、西成区142.5、北大東村135.2、占冠村128.8、南大東村128.2と続いている。東京愛ランド関係では利島村(123.2)、御蔵島村(122.9)、三宅村(120.1)も高く、沖縄、奄美など島嶼部で高い傾向にもある。これらは、どう解釈したらよいのだろうか。西成区は東京山谷と並ぶ、いわゆるドヤ街を擁しており、男性比が高いのであろうか(実証できる根拠はないけれど)、島嶼部はというと、島内での就労機会の男女格差(女性の働き場所が少ない→島外に就労する)もあるだろうか、以前、お聞きしたところでは、島嶼部には国などの補助事業によるさまざまな工事があり、その働き手として本土から男衆が派遣されるという事情も性比を逆転させる要因にはなっていると考えられる。(国勢調査は10月1日時点で3ヶ月以上、居住している、あるいは居住する予定の場所を基点とする)従前的な考え方では工業都市が性比100以上という見方ができた。今でも、川崎区(114.5)、豊田市(112.6)などがそうであるが、現代の都市は多様化しており、単純に工業都市、商業都市、住宅都市といった仕分けが難しく、明確な都市の特徴は失われつつあり、上記、工業都市=性比100以上というのも怪しくなっている。また、都道府県で分けると、神奈川県、埼玉県、愛知県、千葉県において100を超えているというが、その理由も明確には分からない。地方から都市近辺に就学する人の数が女性よりも男性の方が多いということも関係しているのであろうが、それだけでは説明不足であろう、また、あれやこれや考えても、やはり、正解は出てこない気もする。東京区部(98.4)や大阪府(94.3)が性比100以上に含まれていないことも、その解釈を複雑にしており、必ずしも人口規模の多寡によって決まるものでもないようである。それではと、世界に目を転じてみると、少しデータは古い(01年)が、大雑把な傾向として、女<男型はアジア・アフリカ地域に多く、ヨーロッパは女>男型が多いという傾向があると、総務省の解説にはある。少し紹介すると、3千万人以上の国(37ある)の人口性比は、インド106.4、バングラデシュ106.3中国105.8、パキスタン105.7、イランが104.7、アルジェリア102.7、エジプト102.5、トルコ102.0などで14ヶ国全てがア・アの国である。日本は31番目である。逆にウクライナ86.7、ロシア87.9、イタリア94.2、ポーランドが94.5、フランス95.0、スペインが95.6などヨーロッパの国で低くなっている。これを、どう解釈すればよいのだろうか。もちろん、ひとくくりで表現できるものではないが、ウクライナおよびロシアにおいては各地で行なわれてきた(行なわれている)戦争というのも影響しているのであろうか。日本も45年において89.0という時期があり(ただし、琉球が含まれていない)、それ以前は100を超えており、40年にピタリ100、敗戦後は一度も超えることなく、少子高齢化+女性長寿現象ということから考えれば、おそらく、今後も超えることはないのであろう。ただ、上記データはあらかじめ決められた行政区域、国境という範疇でのみ比較しているに過ぎないので、単純にあれこれ考えても致し方ないことであるのだろう。だから、何なの?という思いにもなってしまう。ただし、青ヶ島の場合、そういう余計な背景、事情などを考えずに、ただただ、想像できるところがうれしい。

Posted at 23:49 | 雑に | COM(0) | TB(2) |
2006.06.03

夢・現

 所用で出かけた「みなかみ町」、旧水上町、新治村そして、月夜野町が昨年10月1日にあわさった名が上記である、群馬県土の1割以上を占める大きな町にもなった。JR上越線「後閑(ごかん)」駅に初めて降り立ったが、発駅にて乗る時点から、おそらく、そこには所用開始までの時間を潰す場所もないのかもしれないという危惧と、ま、一軒ぐらい喫茶店でもあるのだろうという気楽さでもって、午(ひる)前に時折り降る小雨の中、駅前に立つと、一瞬、危惧が広がったけれど、ふと、右側をみると、どうやら、杞憂に終わる気配となる建物を見つけた。ドイツコーヒーの店「夢」とある。20060601202738.jpg

 模様の異なる左側がコーヒー店の入り口で、隣は2階が美容室であるという案内があったけれど、よく分からない。恐る恐る二重戸の奥に進むと、無人の店内は一間ばかりの幅をより狭くして、両側、天井、室内全体に、あとでお聞きすると、ご主人がドイツに行った際に買い求めていらした品々で満ちている。4人掛けの木机が3卓、しばらくすると、二重目の扉を開けて、ご主人が。いらっしゃい、(珈琲ください、と、わたくし)ドイツの珈琲は、と、三種類ほどのメニューを教えていただいて、わたくしは甘党であるから、ヴィエンナ風のメレンゲをかぶ(冠)せた濃〜いのを注文すると、少し、経って、大振りのカップが供せられた。が、スプーンも、砂糖もなく、「口の周りを真っ白にさせながら、飲んでください」と、ご主人はわたくしの座る真ん中の卓の奥にある卓に、余った?珈琲をデミタスカップに入れたようで、それを持って、座られた。では、と、口をカップに近づけると、芳ばしい香りが、そして、一口。甘〜い、しかも、わたくしの好みに近〜い甘〜さ、ご主人は、客の顔、なりを見て、甘さ判断でもしているのだろうか。あとで、もう少し珈琲が残っているので、と、厨房に入り、戻る際、砂糖入れていきますよ、と、砂糖ケースからカップに入れている様が見えたが、いかにも適当なのであるけれど・・・。でも、甘さは、やはり、わたくし好みになっている。聞くと、八十路を迎えたというご主人はドイツ珈琲に魅せられて何度か訪ね、ついでに、店内の主役ともなっている各種民芸・調度品を求めてきたそうである。戦後、焼き尽くされた東京を諦めて、在所近くのこの地に移り、いつころから、この店を始めたという、ずっと、東京へ戻りたい(ご本人は東京生まれ、親戚を頼って、こちらに来られた、当時の東京では、もう、生きる術が見つからなかったと仰言っていた)、そう想うばかりで、今日まで至った、今でも、戻りたいけれど、東京はずいぶん変わっただろうから、もう、無理だろうかねぇ、と。半端な生き方しかしていない、わたくしには、応えはない。たった、40、50分、滞在して、所用地に向かう。去りがけに、ご主人が、農家の人から三つ葉をもらったので、少し持っていきませんかと、帰りに寄ってくださいと言われて、(ああ、もう一度、この時間、空間に、そして、この方と浸りたいなぁ)と、約束して、激しく降る雨の中、すぐ近くの所用場所まで。一時間後、浸っていた。二度目は、ビールを頼んだ。絶品だった。甘党のわたくしだけれど、黒ビールが甘いのは×、大根をスパイラル状に設えて(そうなるようにしてくれる機械があると教えていただいた)、塩で漬けたという肴が美味しい。失念して、その名を憶えていない、「ドイツ、大根、くるくる」でネットに頼ったけれども、探しきれない。
 乗るべき列車の時間まで、楽しいお話をうかがっていた。たった、二時間(二度で)足らずではあるけれど、その日、翌日、帰りの列車の中、そして終着駅に降り立っても、その時間が夢の中としか想えない。確かに、忘れないようにと、水気を切らさないようにと気を留めていた三つ葉は、その「こと」が現であることを証明しているけれども、その三つ葉さえ袋ごと、なんだか、宙に浮いていくような危うい軽さでもって、結局、全てが夢のような気分へとなってしまう。
 不思議な。

Posted at 22:29 | 雑に | COM(1) | TB(0) |