2007.01.25
ルノアールの謎
といっても、あの画家さんの方ではなく、珈琲屋(喫茶室)さんの方である。所用で何度か立ち寄っているのが淡路町にあるお店、都営新宿線「小川町」ならびにメトロ丸の内線「淡路町」のA4出口が近い(A6も可能か?)。ビルの地下に降りると、その店はある。さて、初めての訪問時において「異変」に気づいたのは他の店舗に較べ、フードメニューが多いことであった。お馴染みモーニングメニュー(値段は微妙に異なっていたような気もするけれど・・・)以外にハンバーグカレーセットやパスタセットもあり、なんだか「充実!」。二度目の異変気づきは、所用のパートナーが好むルノ定番「ガラナ」がメニューにないことからである、念のため、検めると、わたくし好みのビール(ただし、軽〜い、バド)もない・・・あれ。というようなことがあって、本日も所用・打ち合わせのため、立ち寄った次第であるけれど、いくつか、また、「ヘン」を感じた。整理すると、
.罐縫侫ーム(制服)が異なっている
▲泪奪舛ない(頼んだら、他のお客さんが忘れていったライターを下さった、帰りにレジ回りを確認したが、無かった)
オーダー票がなんとなく違う?(これは他店での再確認作業をまだしていないけれども、票裏に店舗名が列挙してあったような、してなかったような・・・わたくしの記憶もアテにならない)
こ里、正式には「喫茶室GINZAルノワール」ではなかったか・・・(ここはギン抜き)
タ沺垢靴長居していても、笑顔で出していただく「お茶さん」が出てこない(水は出ます)
Α丙戮いが)先日頼んだ「お汁粉」と一緒に供された梅昆布茶がたいへん塩辛(しょっぱ)かった(梅昆布成分が濃すぎる)。上記、お茶はありがたいけれども、薄いのが特徴なので、ココの濃さ加減はルノアールの経営方針(原価管理)にそぐわない・・・
以上のようなことを確認しながら、また、なんとなく、店内の雰囲気も・・・どこか、違う・・・、など、首を傾げながら、帰途に着いた。で、レジで、マッチが存在しないことに加え、レジ器に「ココではルノのプリペイドカードは使えません」と念を押されるような告知の貼り紙の存在が、謎の決定打となってしまった。
「銀座ルノアール」のHPで、千代田区を検索してみた。区内には9店舗あるけれども、該当しそうなブツが見当たらない、念のため、各店の地図を開いてみたけれども、いずれも、お目当てではない、中央区でも調べたけれど、これはお門違いである。
[こちら、喫茶室ルノワール淡路町店のHP]
ルノアール淡路町店ホームページ・・・やはり、少し、違うような気が、あなたもしませんか。もちろん、上記、銀座ルノあるいは、コッチ淡路ルノに問い合わせることで、何か糸口がつかめるかもしれないけれど、わたくしには、そういう度胸もないし、また、それで、どうなるかということでもないので、抛ってある。
コッチはリンクされている鈴蘭通り店(アドレスがまるで違う)、雰囲気はこちらの方が良さそうでもある。(アッチは地下1階、コッチは1階の差かもしれない)ちなみに両店ともアルバイトを募集している。(ただし、HPの更新は01年以降、されていない模様でもある)お閑な方、または、お好きな方は、どうぞ、あるいは、情報がありましたら、お願いいたします。
.罐縫侫ーム(制服)が異なっている
▲泪奪舛ない(頼んだら、他のお客さんが忘れていったライターを下さった、帰りにレジ回りを確認したが、無かった)
オーダー票がなんとなく違う?(これは他店での再確認作業をまだしていないけれども、票裏に店舗名が列挙してあったような、してなかったような・・・わたくしの記憶もアテにならない)
こ里、正式には「喫茶室GINZAルノワール」ではなかったか・・・(ここはギン抜き)
タ沺垢靴長居していても、笑顔で出していただく「お茶さん」が出てこない(水は出ます)
Α丙戮いが)先日頼んだ「お汁粉」と一緒に供された梅昆布茶がたいへん塩辛(しょっぱ)かった(梅昆布成分が濃すぎる)。上記、お茶はありがたいけれども、薄いのが特徴なので、ココの濃さ加減はルノアールの経営方針(原価管理)にそぐわない・・・
以上のようなことを確認しながら、また、なんとなく、店内の雰囲気も・・・どこか、違う・・・、など、首を傾げながら、帰途に着いた。で、レジで、マッチが存在しないことに加え、レジ器に「ココではルノのプリペイドカードは使えません」と念を押されるような告知の貼り紙の存在が、謎の決定打となってしまった。
「銀座ルノアール」のHPで、千代田区を検索してみた。区内には9店舗あるけれども、該当しそうなブツが見当たらない、念のため、各店の地図を開いてみたけれども、いずれも、お目当てではない、中央区でも調べたけれど、これはお門違いである。
[こちら、喫茶室ルノワール淡路町店のHP]
ルノアール淡路町店ホームページ・・・やはり、少し、違うような気が、あなたもしませんか。もちろん、上記、銀座ルノあるいは、コッチ淡路ルノに問い合わせることで、何か糸口がつかめるかもしれないけれど、わたくしには、そういう度胸もないし、また、それで、どうなるかということでもないので、抛ってある。
コッチはリンクされている鈴蘭通り店(アドレスがまるで違う)、雰囲気はこちらの方が良さそうでもある。(アッチは地下1階、コッチは1階の差かもしれない)ちなみに両店ともアルバイトを募集している。(ただし、HPの更新は01年以降、されていない模様でもある)お閑な方、または、お好きな方は、どうぞ、あるいは、情報がありましたら、お願いいたします。
2007.01.22
苦しまギレ(紛れ)
昨夜のうちは、わたくしも、ややギレになっていたためか、キレていたのは、琥珀ではなく、それを乳白色に染めてくださる牛乳の方であった(わたくしの勘違い)。で、今夜も相変わらずキレているのであるが(牛乳が)、思い立って、焼酎に通常、インスタントコーヒーなどに添える粉末ミルクを混ぜてみた。
不味くはない。
この程度であれば、琥珀とも相性は悪くないと勝手に思っているけれども、本日は試さない、今夜は焼酎さんとわたくしの相性が良さそうなので、このまま続ける。ウヰスキー(琥珀)さんとはいずれまた。

彼らには消費期限も賞味期限も特定されていない、本当かなぁ・・・とも思うけれど、まっぁ、呑めるだけでもヨロシイかと、ありがたく頂いている。
不味くはない。
この程度であれば、琥珀とも相性は悪くないと勝手に思っているけれども、本日は試さない、今夜は焼酎さんとわたくしの相性が良さそうなので、このまま続ける。ウヰスキー(琥珀)さんとはいずれまた。

彼らには消費期限も賞味期限も特定されていない、本当かなぁ・・・とも思うけれど、まっぁ、呑めるだけでもヨロシイかと、ありがたく頂いている。
2007.01.21
期限ギレ
『定められた方法により保存した場合において、腐敗、変敗その他の食品又は添加物の劣化に伴う衛生上の危害が発生するおそれがないと認められる期限を示す年月日』(食品衛生法)
と、
『容器包装の開かれていない製品が表示された保存方法に従って保存された場合に、摂取可能であると期待される品質を有すると認められる期限』(JAS法)
は、
《JAS法の消費期限と食品衛生法の消費期限とは同一の意義。》と、され、これが、現在の「消費期限」を曖昧にさせたと考えられる。さらに、賞味期限に至っては、乱暴で、
『定められた方法により保存した場合において、食品又は添加物のすべての品質の保持が十分に可能であると認められる期限を示す年月日』(食衛法)と『容器包装の開かれていない製品が表示された保存方法に従って保存された場合に、その製品として期待されるすべての品質特性を十分に保持しうると認められる期限』が同じであるということを言いたいがために、三段構えでもって、
/品衛生法(品質保持期限→賞味期限)、品質保持期限と同一の期限を示す文字として「賞味期限」を規定。
■複腺嗚 幣淕4限→品質保持期限)、「賞味期限(品質保持期限)」と規定。
○JAS法(賞味期限→品質保持期限)、JAS法の賞味期限及び品質保持期限と、食品衛生法の品質保持期限及び賞味期限とは同一の意義。
として、現在に至っている。(文書はマンマ、ペーストに近い)
したがって、今騒がれている消費期限切れ、賞味期限・・・などと騒いでいること自体が問題外なのではと思う。そもそも、JAS法とは「品質に関する適正表示を行わせることによって一般消費者の選択に資する」とあり、食衛法は「飲食による衛生上の危害の発生を防止し、国民の健康の保護を図る」とある。まったく、法のもつ意図というか、趣旨が異なっている。消費期限の定義を例えてみるならば、おすし屋さんで、「今日は暑かったからね、ああ〜、痛んでいるかもしれないからねぇ、お客さん、折角、いらっしゃって下さったけれど、今夜は出せませんわ」(食衛法)というのと、「遠くから、来て頂いて、申し訳ないですぅ、味は保証しますからぁ〜」と、出す前に板さんが鼻を近づけている(JAS法)ぐらいの違いはあるのであろう、でも、いずれも、消費期限といえば、それに違いない。これが、消費者の混乱を防ぐために施行された名称の統一と聞くと、余計に寂しい限りである。
以前、牛乳関係の所用に携わっていた時に、その(牛乳の製造年月日)曖昧さを教えられ、製造とは、牛さんの立場から(搾乳された日)なのか、箱(壜)詰めした時点なのか、素人の、わたくしにはそう問われてもサッパリ分からなかった。さらに、牛さんはどこに住んでおられ、牛乳はどこで詰められるか・・・そういったことを教えられた。他の食品も同様であるのだろうか、一体、どうなっているのだろう、そういうことを知りたいと思う、同族会社の云々などといったありふれた話はどうでもヨロシイ。本日は消費いえ、賞味、いえ、品質保持・・・、いずれにせよ期限の切れた琥珀さえ、手元にない(キレテイル)ので、(少し)キレ気味の、わたくしである。(-_-)♯
ちなみに相変わらず分かりにくいお役所文書を当たってみたけれど、コッチもよく分からな〜い。お暇でしたら、どうぞ。
参考資料 「第1回食品の表示に関する共同会議」)
参考食品衛生法施行規則等の一部改正について
参考食品衛生法施行規則・・・第五条は一も二もなく、△里濟頂椶気譴討い襪韻譴鼻△海旅爐法崙団蠅もちや」というのを見つけて、どんな、お餅屋かと・・・調べてみようとも思ったけれど、おもちやではなく、おもちゃのようであった。おしゃぶりの類をさすらしい、分かりづらい。
と、
『容器包装の開かれていない製品が表示された保存方法に従って保存された場合に、摂取可能であると期待される品質を有すると認められる期限』(JAS法)
は、
《JAS法の消費期限と食品衛生法の消費期限とは同一の意義。》と、され、これが、現在の「消費期限」を曖昧にさせたと考えられる。さらに、賞味期限に至っては、乱暴で、
『定められた方法により保存した場合において、食品又は添加物のすべての品質の保持が十分に可能であると認められる期限を示す年月日』(食衛法)と『容器包装の開かれていない製品が表示された保存方法に従って保存された場合に、その製品として期待されるすべての品質特性を十分に保持しうると認められる期限』が同じであるということを言いたいがために、三段構えでもって、
/品衛生法(品質保持期限→賞味期限)、品質保持期限と同一の期限を示す文字として「賞味期限」を規定。
■複腺嗚 幣淕4限→品質保持期限)、「賞味期限(品質保持期限)」と規定。
○JAS法(賞味期限→品質保持期限)、JAS法の賞味期限及び品質保持期限と、食品衛生法の品質保持期限及び賞味期限とは同一の意義。
として、現在に至っている。(文書はマンマ、ペーストに近い)
したがって、今騒がれている消費期限切れ、賞味期限・・・などと騒いでいること自体が問題外なのではと思う。そもそも、JAS法とは「品質に関する適正表示を行わせることによって一般消費者の選択に資する」とあり、食衛法は「飲食による衛生上の危害の発生を防止し、国民の健康の保護を図る」とある。まったく、法のもつ意図というか、趣旨が異なっている。消費期限の定義を例えてみるならば、おすし屋さんで、「今日は暑かったからね、ああ〜、痛んでいるかもしれないからねぇ、お客さん、折角、いらっしゃって下さったけれど、今夜は出せませんわ」(食衛法)というのと、「遠くから、来て頂いて、申し訳ないですぅ、味は保証しますからぁ〜」と、出す前に板さんが鼻を近づけている(JAS法)ぐらいの違いはあるのであろう、でも、いずれも、消費期限といえば、それに違いない。これが、消費者の混乱を防ぐために施行された名称の統一と聞くと、余計に寂しい限りである。
以前、牛乳関係の所用に携わっていた時に、その(牛乳の製造年月日)曖昧さを教えられ、製造とは、牛さんの立場から(搾乳された日)なのか、箱(壜)詰めした時点なのか、素人の、わたくしにはそう問われてもサッパリ分からなかった。さらに、牛さんはどこに住んでおられ、牛乳はどこで詰められるか・・・そういったことを教えられた。他の食品も同様であるのだろうか、一体、どうなっているのだろう、そういうことを知りたいと思う、同族会社の云々などといったありふれた話はどうでもヨロシイ。本日は消費いえ、賞味、いえ、品質保持・・・、いずれにせよ期限の切れた琥珀さえ、手元にない(キレテイル)ので、(少し)キレ気味の、わたくしである。(-_-)♯
ちなみに相変わらず分かりにくいお役所文書を当たってみたけれど、コッチもよく分からな〜い。お暇でしたら、どうぞ。
参考資料 「第1回食品の表示に関する共同会議」)
参考食品衛生法施行規則等の一部改正について
参考食品衛生法施行規則・・・第五条は一も二もなく、△里濟頂椶気譴討い襪韻譴鼻△海旅爐法崙団蠅もちや」というのを見つけて、どんな、お餅屋かと・・・調べてみようとも思ったけれど、おもちやではなく、おもちゃのようであった。おしゃぶりの類をさすらしい、分かりづらい。
2007.01.20
暖かな極東
六❄花(りっか рикка)〜ハバロフスク日本人会会報の07年冬号(通巻21号)をアップした。文字どおり雪の季節、当地の天気を確認すると、本日はマイナス10度が最高、最低はマイナス21度とあった。ただし、お空は晴れているようである。確認時点(正午過ぎ)では、マイナス12度とあるが、体感温度はマイナス22度・・・。まことに厳しいというしかないけれども、向こうの方(かた)はウォットカの度数(40度前後)を反転させた気温を下回ると、「今日はわりあい寒いなぁ」と感じるそうである。もちろん、やせ我慢だと思うけれど、それでもエライと感心させられる。しかも、屋外でアイスクリームを食べているらしい。そういうことも、ああいうことも、ただただ、その場にいなくては、実感できないことであり、こればかりは、ネットの中に潜り込んで、出口を探し、向こうへ飛び出すといったことは、とりあえず不可能のようである。ぐるぐるアースで眺めてみるしかない、ハバ市は意外と内陸にあって、海岸線との距離は北海道の最大横幅とほぼ同じである(ザッパにあらわして400キロ)。とはいえ、それ自体が遠いことを忘れてはいけない、東京から同距離といえば、盛岡あるいは姫路辺りか、いずれにしても、近くはない。それでも海寄りと(わたくしが)錯覚しているのは、大陸感覚という良い意味でのザッパさに幻惑されている所為なのであろう。
会報誌の方もご覧ください。
会報誌の方もご覧ください。
2007.01.19
日帰り限界
今月16日、所用でもって、福岡にうかがった。昼前に羽田をJUMP〜、戻ったのは20時発である。軽い食事のあと、所用開始時間に先方が間に合わないと知り、川端付近をプラプラと小一時間、実働2時間弱、呑み1時間半、羽田便発の10分前に空港着で、あわただしく機内へと。たった、それだけのことである。福岡部と博多部については拙ブロでふれていたのか、確かめてみると、「ブダペスト三部作」(05年1月25日付)にあった。ココは高崎と前橋よりは少し仲の良さそうな?ツインシティでもある。プラプラしながらも現在地を示す住居表示を確かめながら、この福岡(博多)というのは想像を膨らませてくれる地名が今でも頑として残っていると、改めて感じながらいた。幸い、これから、何度かうかがう機会がありそうなので、今度は、ぷらではなく、じっくりと歩いてみたいと思うけれども、川端あるいは中洲辺りは相変わらず開発ラッシュで、街もずいぶんと様変わりしたという印象が強い。ただ、鳴り物入りで完成した商業施設は、いずれも今ひとつ元気がない。天神には勝てぬ、と諦めてしまえば、それだけのことではあるが、何か、足りぬ・・・いくつか施設内を覘いてみたが、そのような感じをもった。はっきりとしたことは言えないが、アジアの玄関口を標榜しているはずなのに、なぜか、東京的ブランドが目立つ、などといったことである。福岡の人が望んでいたからなのか、それとも、そういうテナントづけの発想しかできないのか、そのことは判断しかねるが、少なくとも街場をほっついていた方が、イニミニマニモ(博多リバレイン内の施設に名づけられた愛称、どれにしようかなぁ〜、というような意味らしいが)・・・と悩むに違いない。次回、訪ねた際は、おおいに悩んでみたいと思っている。
2007.01.17
三河町(北関東垂れ記8)
本項は1月3日に書くつもりであったけれども、横に逸れてしまい、戻ることができず、そのまま宙に浮いていた。標題は、前橋市内にある地名のひとつである、「みかわちょう」と読む。西・南生まれの、わたくしは、つい「−まち」と言いそうになるが、東・北では「−ちょう」が一般的のようである。市町村の方の「町」は東・北では「−まち」、西・南では「−ちょう」が多いのと関係があるのであろう。さて、改めて、前橋市の中心街を電子地図を頼りに確かめてみると、現在は官庁街となっている厩橋(前橋)城付近を大手町という。そこから東方向へと、ご城下を通りが延びており、北側が「千代田町」、南側を「本町」と称す。まことに優等生的な地名づけである。全国各地のモトご城下ではこれらのほかに、丸の内、三の丸などがお城周りの名づけとして多く存在している。わたくしが長く育った小城下を思い起すと、殿町、本町、上町(これだけはウワ−チョウと呼んでいた)、新町、寺町などがあったが、より大きな、栄えたご城下であれば紺屋町、魚町、大工町、鍛冶屋町など職人の顔が今でも浮かびそうな名も残っている。前橋駅前にいたる一帯は表町とあるが、一体、何に対して表なのか、もうひとつはっきりしないが、駅前町と付けられるよりは益しなのであろうか。もう少し調べてみると、もともと、千代田町にも本町にも旧名があり、そのことは、呑み屋さんが集積している千代田町への賭場口付近に建てられている朔太郎さんの碑にも記してあった。もう、その旧町名を失念しているが、ほかにも前記↑職人顔の名がいくつかあったらしい。おそらく、これらの名と同じように、三河町も後から付けられた名であることには違いないのであろう。少なくとも、酒井氏が入城する前には異なった名なり、名無しの地であったのかもしれない。三河モンが移ってきて、住み始めたので三河(ノ)町、分かりやすい名づけである。東京(江戸)にも三河町はあったと、千代田区の資料にある。江戸から長崎に飛ぶが、県庁は江戸町に所在する。紀尾井町というのはもう有名で、紀伊藩、尾張藩および井伊藩のお屋敷があったことから今でも使われている。これは想像であるが、三河町、紀尾井町(これは明治期に名づけされた)、江戸町・・・など、いずれもモトの名があったのを、江戸期以降に名替えがされ(A段階)、おそらく、多くの場合、その後に、例えば、前橋の千代田町のように、それらしい名に振りかえられた場合が多く(B段階)、言い換えれば、三河、紀尾井、江戸はBをまぬがれて、辛うじて残っている方(ほう)なのかもしれない。表町もBなのかもしれない、また、前橋駅の南側に文京町というのがある。確かに教育機関が多く所在し、此処も、想像の範囲でいえば、Bであり、東京都文京区的発想なのであろうか。較べて、新潟市の閑静な住宅街に近い学校町通あるいは医学町通、特に「学校裏町」には感心しているし、関心もある。(もっとも、此処も明治期に新潟町に吸収される前は寄居村であって、新潟大学のHPをみると、その前後に前身の師範学校などが成立し、学校町通あるいは裏町と付けられたようである・・・また、それるけれども、新大=シンダイのエンブレムは六花(りっか)、拙HPに掲載中の《рикка六花(りっか)ハバロフスク日本人会会報》と同じで、もちろん(?)新潟市とハバロフスク市は姉妹都市である)学校裏町などという名づけをする「気が知れる(分かる)」というと乱暴だろうか、三河町もそうであるように、せめてA段階で留めている土地を探して、いつも、ほっつき歩いているのも、なんだか、おかしな話であるが、今どきはナカナカそういうオイシイ場所が見つからないので、いささか失望している。もちろん、A段階の名づけも、当時の人からみれば、なに?という感覚であったのかもしれない、そういうことを思うと、なおさら、Aの前、さらに、Aの前の前、そして、・・・、というような振り返りをしてみたい気持ちが強くなっていくのは、わたくしが、只今に、存在していないためなのであろうか。できれば3千年ほど前を、あるいは(地球が)残っているのであれば1千年ぐらい先を訪ねてみたいというのでは、前回(14日)に続く妄想旅行でしかないのであろうが、そのほうが、身の置場ができたような気がして、とにかく楽しい。ま、どうでもよいことであるのだけれども。
前橋での所用およびホッツキを終え、帰りは上毛電鉄を利用してみた。中央前橋という全国でも数少ない「中央」を冠した駅である。都市名や区名の「ちゅうおう」は今ひとつであるが、コッチは威風堂々としていてよろしい。ほかに中央弘前、中央林間などがある。暗くなっていく、車窓を眺めながら、途中、大前田英五郎の墓があると思ったけれど、その筋には近づかないようにしているので、さっさと、逃げるようにして・・・、ひとまず、垂れ記も手仕舞(〆)にする。
前橋での所用およびホッツキを終え、帰りは上毛電鉄を利用してみた。中央前橋という全国でも数少ない「中央」を冠した駅である。都市名や区名の「ちゅうおう」は今ひとつであるが、コッチは威風堂々としていてよろしい。ほかに中央弘前、中央林間などがある。暗くなっていく、車窓を眺めながら、途中、大前田英五郎の墓があると思ったけれど、その筋には近づかないようにしているので、さっさと、逃げるようにして・・・、ひとまず、垂れ記も手仕舞(〆)にする。
2007.01.14
区界および川内について(妄想旅行の巻)
国鉄が分割されてJR東日本ができた時、同社は、国有ならともかくも、株式会社になったのだから、会社の情報を外に漏らすことはできぬ、と、久しく、所管する駅の乗車人員を公表してこなかった。で、最近、所用もあって同社のHPをのぞいたら、あった!。参考までに、上位10駅を列挙すると(05年度)、
/圭鼻 747,930人/日
池袋 564,669
渋谷 423,884
げI諭 384,594
ヅ豕 379,350(※)
ι弊遏 302,862(※)
Э袈供 236,116
大宮 231,599
高田馬場 201,936
上野 179,978
となる。ただし、東京(※)と品川(※)は新幹線(こちらはJR東海だから)は含まれていないし、もちろん、民鉄(昔の私鉄)の数字も「外」である。・・・にしても、75万人というのは、もうすぐ、政令市になる新潟市(80万人)にも匹敵するし、島根県(74万人)の方々が全員毎日、同駅に集まっていることになる。ずいぶん、昔に(修学旅行で・・・)後楽園球場(現在は東京ドーム)に行った際に、自分の住む町よりも多い人が一堂(ドーム)に会していることに驚いたことがあるけれども、新宿駅にも、そのような感情を今でも、もってしまう。(だから、最近は行かぬ・・・)
今、2つの電子地図とグルグルアースでもって確認している。いずれも、岩手県下閉伊(しもへい)郡川井村の中にある。閉伊だけでさえ、強い反応を覚えてしまうけれども、脇にそれるので、本日はそれない。乗車人員に関してである。同じHPのコッチをみると、標題の2つの駅が、最下位と「あきた白神」駅をはさんでイッコ上にある。両駅は、いずれも、JR東日本「山田線」上にあり、距離にして25キロ、ほぼ宮古街道に沿うように、そして、閉伊川を右に左に揺られながら、時刻表をみると、30分程度で、お互いに行くことができる(ただし、運行本数は・・・少ない)。くどいけれども、下から10駅をあげると、
ゞ莖 5人/日
△△た白神 7
川内 9
ぢ臟鮴 10
ノΡ沢辺 11
信濃白鳥 20
徳沢 22
平滝 22
只見 26
羽後四ツ屋 26
とある。あきた白神駅は世界遺産のお膝元、太白川駅は只見線の中、隣駅は田子倉駅・・・やはり、ダムを想ってしまう。陸奥沢辺は五能線、これも白神山地に近い、信濃白鳥駅は飯山線、徳沢駅は磐越西線、平滝駅は一つ前と同じ飯山線、隣駅である。只見駅は田子倉駅の次である。只見線というのは、もうずいぶん前にうかがった本郷や坂下(ばんげ)といった懐かしい場所もあり、広く「会津」については、いずれ書きたいと思う。→(1214??26??拙ブロ06年12月14日付参照) 羽後四ツ屋駅は田沢湖線、”こまち”ものろのろと、優雅に走る。
前置きが長くなったけれども、川井村区界(くざかい)および川内(かわうち)についてであって、区界駅の5人と川内駅の9人に思いをはせている。やや古いけれども、国勢調査(2000年)の常住地による人口(常住地又は従業地・通学地による人口)というのを閲覧している。自宅(居住地)から、どこへ通勤・通学しているかを聴いているもので、川井村の欄をみると、村外へ通っている方は434人とある。当然ながら、1日に数本しかない列車をあてにする方も少ないであろう、車で通う方が多いであろう、そういう風に思えば、14人は学生さんかという想いにいきつく。村には高校(分校)もあるけれど、中には、へそ曲がりもいるだろう、村外に通っているのだろうかと、妄想が進んでいる。区界の向こうは盛岡市、川内は幾重にも折れ、曲がりくねった閉伊川に包まれている。冬が明けたら、ぜひ、訪ねてみたいと、今から楽しみにしている。
/圭鼻 747,930人/日
池袋 564,669
渋谷 423,884
げI諭 384,594
ヅ豕 379,350(※)
ι弊遏 302,862(※)
Э袈供 236,116
大宮 231,599
高田馬場 201,936
上野 179,978
となる。ただし、東京(※)と品川(※)は新幹線(こちらはJR東海だから)は含まれていないし、もちろん、民鉄(昔の私鉄)の数字も「外」である。・・・にしても、75万人というのは、もうすぐ、政令市になる新潟市(80万人)にも匹敵するし、島根県(74万人)の方々が全員毎日、同駅に集まっていることになる。ずいぶん、昔に(修学旅行で・・・)後楽園球場(現在は東京ドーム)に行った際に、自分の住む町よりも多い人が一堂(ドーム)に会していることに驚いたことがあるけれども、新宿駅にも、そのような感情を今でも、もってしまう。(だから、最近は行かぬ・・・)
今、2つの電子地図とグルグルアースでもって確認している。いずれも、岩手県下閉伊(しもへい)郡川井村の中にある。閉伊だけでさえ、強い反応を覚えてしまうけれども、脇にそれるので、本日はそれない。乗車人員に関してである。同じHPのコッチをみると、標題の2つの駅が、最下位と「あきた白神」駅をはさんでイッコ上にある。両駅は、いずれも、JR東日本「山田線」上にあり、距離にして25キロ、ほぼ宮古街道に沿うように、そして、閉伊川を右に左に揺られながら、時刻表をみると、30分程度で、お互いに行くことができる(ただし、運行本数は・・・少ない)。くどいけれども、下から10駅をあげると、
ゞ莖 5人/日
△△た白神 7
川内 9
ぢ臟鮴 10
ノΡ沢辺 11
信濃白鳥 20
徳沢 22
平滝 22
只見 26
羽後四ツ屋 26
とある。あきた白神駅は世界遺産のお膝元、太白川駅は只見線の中、隣駅は田子倉駅・・・やはり、ダムを想ってしまう。陸奥沢辺は五能線、これも白神山地に近い、信濃白鳥駅は飯山線、徳沢駅は磐越西線、平滝駅は一つ前と同じ飯山線、隣駅である。只見駅は田子倉駅の次である。只見線というのは、もうずいぶん前にうかがった本郷や坂下(ばんげ)といった懐かしい場所もあり、広く「会津」については、いずれ書きたいと思う。→(1214??26??拙ブロ06年12月14日付参照) 羽後四ツ屋駅は田沢湖線、”こまち”ものろのろと、優雅に走る。
前置きが長くなったけれども、川井村区界(くざかい)および川内(かわうち)についてであって、区界駅の5人と川内駅の9人に思いをはせている。やや古いけれども、国勢調査(2000年)の常住地による人口(常住地又は従業地・通学地による人口)というのを閲覧している。自宅(居住地)から、どこへ通勤・通学しているかを聴いているもので、川井村の欄をみると、村外へ通っている方は434人とある。当然ながら、1日に数本しかない列車をあてにする方も少ないであろう、車で通う方が多いであろう、そういう風に思えば、14人は学生さんかという想いにいきつく。村には高校(分校)もあるけれど、中には、へそ曲がりもいるだろう、村外に通っているのだろうかと、妄想が進んでいる。区界の向こうは盛岡市、川内は幾重にも折れ、曲がりくねった閉伊川に包まれている。冬が明けたら、ぜひ、訪ねてみたいと、今から楽しみにしている。
2007.01.13
ほ(穂OR宝)の国
3〜4日と所用を兼ねて三河に行く際、漠然と考えていた標題の「ほの国」を、着いた先で、乗ったバスの車内広告に見つけた。地方鉄道会社が東京のバス会社と共同運行している長距離深夜バスである。以前、拙ブロで、えぬ(江沼)の国(05年5月30日付)、あるいは、毛(けぬ)の国(北関東垂れ記4.0〜余話、06年11月2日付)ということにふれたが、8世紀以前の日本には、より詳細に分国された時代があり、その「ひとつ国」として、「穂の国」があったらしい。(宝と併記したのは現在の愛知県宝飯郡〜豊川市の横あたりがその芯だという説もあるので、ただし、裏づける術は手元にない)実は、豊橋駅近くの書店にもぐって、『先代旧事本紀・訓註 (センダイクジホンギ・クンチュウ)』を見つけてしまった。8,000円?だったか、躊躇してしまったが、当分、お酒とタバコを控えて(少なめにして)、今度は、どこかの店で求めてこようと思うけれど、いわゆる律令制度が敷かれる前の姿を垣間見ることのできる貴重な資料である。ではと、手元にある『日本史年表・地図』(児玉幸多氏・編、吉川弘文館)をみると、「古墳文化・国造の配置」という頁があって、そこに「穂」の国が示されている。エヌ(江沼)も出ており、ケヌはすでに、カミツ(上野毛)とシモツ(下野毛)に分かれている。この地図を眺めていると、畿内とともに、ケヌの国一帯に古墳(前方後円墳)が数多く分布していることが改めて、よく分かる。古墳にはまるきり興味はないのであるが、この数日間、あれこれ考えている中に、その存在も加わり、北関東垂れ記をなかなか終えることができないでいる。もう少し、妄想に沈んでいたいと思う。
2007.01.03
北関東垂れ記Ver07.02.(前橋終端)
地名というのは普段それほど話題にもならないことだけれども、誰もが意識「下」の中にあって、ある時、表にあらわれることがある。市町村合併という、現制度の内容および意図からすると、まことに莫迦馬鹿しい事項においても、しばしば、そのことが表出した。四国中央市というのも、ぅ〜と思わせられたが、つくばみらい市ともなると、もともとない、わたくしの思考力が混乱し、山梨県の例では考えさせられてしまう。新しい市名で話題になったのは南アルプス市であるが、これ自体は、アルプスという地名というか山岳の名づけを行なった時点に戻らない限り、議論はできないのであろう。アルプスは日本ではない、外から持ってきたモノだという反対論もあったけれど、では、東京は?京都は?ということまで考え出したら、きりがなかろう。本日は考えないことにする。山梨には甲府という県庁所在都市があって、書くまでもないが、甲州(甲斐の国)の府という意味に近い。静岡を駿府というのもこれにあたる。合併により、その甲府を挟んで東の方に甲州市ができ、また西側には甲斐市が。少し詳しく記すと、前者は塩山市(えんざんし)と勝沼町(かつぬまちょう)および大和村(やまとむら)が合わさって出来た(05年11月)。より甲府に近い山梨市などとの合併も話されていたが、結局、現状の枠に収まった。ちなみに塩山には武田信玄の墓所があり、大和村は武田氏終焉の地、今は甲斐大和駅となっているが、長く初鹿野(はじかの)という素的な名を持っていた。旧大和村のHPが残っていて、その中に「まほろば連邦国」というコーナーがあり、全国で「大和」(呼び方は異なるが)と標記する市町村が並んでいるけれど、「合併いたしました」がずいぶん目立つ、また、残りをクリックしても、合併というのがいくつかあり、「国」は成り立っているのだろうか?気になっている。数少ない残留組の「大和」のひとつは奄美大島にあった、話が逸れすぎたが、行ってみたいと思う・・・。後者(甲斐市)は少し前(04年9月)に竜王町、敷島町、双葉町が一緒になった。いずれも甲府のベッドタウンとして人口が増えている地域である。以上のように山梨県には甲府があり、甲州があり、甲斐があり、さらには、山梨もあったので、06年2月に新たな市の名づけにかなり苦心したのであろう、玉穂町・田富町・豊富村には中央市しか、残っていなかったのかもしれないけれど、この先、どうするのだろうか、これもまた傍者の余計なお世話なのであろう。
標題の企図するところは、前橋市へと行った際に訪ねてみた稲荷社付近の地名について、想いを馳せてみることであったけれど、時間がない。明日は、ここで、書きたかった地名の本筋ともいえる三河に向かうので、その仕度を行ないたいと思う。続きはそこで、さらに考えてみたい。
標題の企図するところは、前橋市へと行った際に訪ねてみた稲荷社付近の地名について、想いを馳せてみることであったけれど、時間がない。明日は、ここで、書きたかった地名の本筋ともいえる三河に向かうので、その仕度を行ないたいと思う。続きはそこで、さらに考えてみたい。
2007.01.02
わたくしは、YOUなのか?(拙ブロに翻訳機能付帯)
サッカー観戦で折角いただいた幸せだったけれど、戦い後の敗将の言葉はやはり気になる。どのニュースコメントを見ても、「選手が・・・」。たとえ、3年(高校)という短い期間であるとしても、育てるが基本ではないのであろうか、常勝を義務づけられた、という点においては、プロ野球YGと同じなのだろう、また、高校とはいえ、すでにプロフェッショナルの領域に属すのであろう、それらのことから鑑みれば、仰せのとおりなのであるが、その苦悩は理解できるとしても、どこか残念に思うのは、所詮、傍者の観方でしかないのであろうか。
さて、新しくプラグインの道具をお借りした。
試しにプロフィール下に貼り付けた「translate this blog into」のENGLISHをクリックして、拙ブロ「けぬかわ」(06年11月16日付)を翻訳していただくと、以下のような文章となる。
仝曲権猶儻
[ke] rice bran [wa]
It got off in the place where Kinugawa of title can be desired and tried standing. “This year it is slow, the store stripe that is”, it was and taught from direction midst. The hair field (the [ke] [nu]) the river, both hair (the over hair field and the Shimoge field) the raging river which flows, it seems that the ogre gets angry to reason also it is conveyed. That in regard to record the flood rose for the first time in Nara era, it is imprinted, it seems. In present Ibaraki prefecture Yachiyo Cho Kawanishi area, the west side it was flowing with [kunekune] also it is. (From Yachiyo Cho HP)
[Kinugawa just a little it is quick, (it is slow from ordinary year) the yellow coloring of leaves tinted autumn leaves]
This day is completed the hot water while cooling down, cripes.
さらに、「Google Translate」で日本語に反すと、以下のとおりとなる。(原文にある)最後の、「おやすみなさい」はいったい、どこへ行ったのだろうか、早く、帰ってきてほしい。
英語⇒日本語
[keの]米糠[wa]
それはタイトルのKinugawaが試みられた立つこと望むことができる場所に入り。「今年それは遅く」、ある店の縞、それあった方向中から教えられて。毛分野([ke] [nu])毛両方の川(終わる毛分野およびShimoge分野)流れる激怒する川、それは鬼がまた推論するためにそれ運ばれる腹を立てることにようである。 記録に関して洪水は奈良時代、それにはじめて上がったこと、それようである捺印される。 茨城の県のYachiyo現在のCho Kawanishi区域では、によって[kunekune]それと流れていた西側はまたある。 (Yachiyo Cho HPから) [Kinugawaちょうど少しそれは速いの(通常の年から遅い)葉によって染められる秋の葉の黄色い着色]
この日は冷却している間、cripes湯完了する。
(原文は〜、本日は湯冷めしないうちに、おやすみなさい。)
しつこく、原文⇒CHINESEでは、
ke糠wa
能期望标题的鬼怒河的地方试着走下去。请从「今年晚哟」的关门进行中告诉了。所谓毛(发)野地(kenu)的河,沿着两毛(上毛(发)野地及绒毛野地) 流动的闹腾河,所以鬼象发火一样的也被传达。好象被印上奈良时代在记录上第一次发生了洪水。也有在现在的茨城县八千代町川西地区,沿着那个西侧忸怩作态流动着。(八千代町HP基于)
[鬼怒河的稍微快(比往年晚)黄叶・红叶]
本日第冷开水没做之前的,晚安。
と化け、視覚的には、なんとなく、ぅんぅんと、頷けそうであるし、第一、「おやすみなさい(晩安)」が無事、戻っている。
以上は、短い例文をあげたのであるが、たまたま、「わたくし」という言葉が含まれていないので、他の文章で実行してみたが、どうも、「わたくし」は「YOU」と解されているようである。まぁ、そういう細かいことはともかくも、今度は、翻訳ごっこでぐるぐるして、楽しんでいる。
さて、新しくプラグインの道具をお借りした。
試しにプロフィール下に貼り付けた「translate this blog into」のENGLISHをクリックして、拙ブロ「けぬかわ」(06年11月16日付)を翻訳していただくと、以下のような文章となる。
仝曲権猶儻
[ke] rice bran [wa]
It got off in the place where Kinugawa of title can be desired and tried standing. “This year it is slow, the store stripe that is”, it was and taught from direction midst. The hair field (the [ke] [nu]) the river, both hair (the over hair field and the Shimoge field) the raging river which flows, it seems that the ogre gets angry to reason also it is conveyed. That in regard to record the flood rose for the first time in Nara era, it is imprinted, it seems. In present Ibaraki prefecture Yachiyo Cho Kawanishi area, the west side it was flowing with [kunekune] also it is. (From Yachiyo Cho HP)
[Kinugawa just a little it is quick, (it is slow from ordinary year) the yellow coloring of leaves tinted autumn leaves]
This day is completed the hot water while cooling down, cripes.
さらに、「Google Translate」で日本語に反すと、以下のとおりとなる。(原文にある)最後の、「おやすみなさい」はいったい、どこへ行ったのだろうか、早く、帰ってきてほしい。
英語⇒日本語
[keの]米糠[wa]
それはタイトルのKinugawaが試みられた立つこと望むことができる場所に入り。「今年それは遅く」、ある店の縞、それあった方向中から教えられて。毛分野([ke] [nu])毛両方の川(終わる毛分野およびShimoge分野)流れる激怒する川、それは鬼がまた推論するためにそれ運ばれる腹を立てることにようである。 記録に関して洪水は奈良時代、それにはじめて上がったこと、それようである捺印される。 茨城の県のYachiyo現在のCho Kawanishi区域では、によって[kunekune]それと流れていた西側はまたある。 (Yachiyo Cho HPから) [Kinugawaちょうど少しそれは速いの(通常の年から遅い)葉によって染められる秋の葉の黄色い着色]
この日は冷却している間、cripes湯完了する。
(原文は〜、本日は湯冷めしないうちに、おやすみなさい。)
しつこく、原文⇒CHINESEでは、
ke糠wa
能期望标题的鬼怒河的地方试着走下去。请从「今年晚哟」的关门进行中告诉了。所谓毛(发)野地(kenu)的河,沿着两毛(上毛(发)野地及绒毛野地) 流动的闹腾河,所以鬼象发火一样的也被传达。好象被印上奈良时代在记录上第一次发生了洪水。也有在现在的茨城县八千代町川西地区,沿着那个西侧忸怩作态流动着。(八千代町HP基于)
[鬼怒河的稍微快(比往年晚)黄叶・红叶]
本日第冷开水没做之前的,晚安。
と化け、視覚的には、なんとなく、ぅんぅんと、頷けそうであるし、第一、「おやすみなさい(晩安)」が無事、戻っている。
以上は、短い例文をあげたのであるが、たまたま、「わたくし」という言葉が含まれていないので、他の文章で実行してみたが、どうも、「わたくし」は「YOU」と解されているようである。まぁ、そういう細かいことはともかくも、今度は、翻訳ごっこでぐるぐるして、楽しんでいる。
2007.01.01
北関東垂れ記Ver07.01.01(厩橋・来訪後記)
拙ブロ「マリンバ」(06年12月24日付)で、グーグルアースを用い、マリンバを追って、グアテマラまで辿り着いたけれど、どういうわけか、グアテマラシティ(首都)で検索すると、姫路に至ったと書いた。そして、ちょうど良いとも記した。で、その続きから、はじめる。姫路城というのは、奇跡的に戦火を免れたそうで、ああ、なるほど、あの華花とした様相は本(もと)のままの放つ独特な色香だったのかと、何度か、姫路駅を通過する、しかも夕暮れ少し過ぎに、反射的に車窓を眺め、その存在を確かめた記憶があるなぁとも思い返した。別名は白鷺城、法隆寺の建造物らとともに国内で初めて世界遺産に登録された。また、お城と鉄道駅との距離という話を繰り返せば、両者がまことに、至近関係にある例といえる。※拙ブロ「火の国、通りすがりの記(春日駅⇒熊本駅)」(06年2月27日付)築城は14世紀ともいわれるが、やはり羽柴秀吉による大普請(16世紀後半)がそのもとといえるのであろう。大雑把にいえば、東海道と山陽道の結節点、つまり畿内と西国を分かつ要衝にあり、秀吉が姫路に目をつけたのも、それが理由であろうし、それゆえか、この城(姫路藩)は幾度も主を変え、安定しない時代が続いたらしい。城主として、何度かあらわれるのが家康の次男、秀康の流れを汲む親藩、越前松平家である。最後の城主となるのは松平朝矩(とものり)で、まだ元服にも届かない年端であったらしく、要の城を任すことに対する懸念からか、前橋城へと移封され、以来、明治を迎えるまで、前橋城は越前松平家を城主として戴いた。ただし、利根川の浸食に絶えず曝されていた前橋城はその機能を果たすことが困難となり、越・松家は川越に転封し、以降、前橋藩は川越藩付きの領地となり、お城も事実上、廃止された。
以上は前橋藩(城)の末期のことである。加えて記せば、越前松平家が去ったあとの姫路城主には酒井忠恭(さかい ただずみ)が入るが、酒井氏といえば松平家を除けば、あちこちで城主として顔を出す譜代の系にあり、わたくしが育った旧小藩の城主であったこともある。忠恭から数えると8代前にあたる重忠(しげただ)が川越より厩橋に転封し、前橋藩は酒井氏の領地として9代続く。酒井氏と越前松平家は厩橋(前橋)⇔姫路の交換トレードの形でもって、その後、ご一新まで、その状態が続くが、両藩とも決して平安ではなかったようである。さて、前橋である。所用を終え、数か月前に訪ねた居酒屋さんに、暮れの金曜日なので、無理かなと案じながら、それでも、以前と同じ居心地の良いカウンターに座ることができて、閉店まで、お邪魔した。翌朝は、ホテル近くのお寺を歩いてみた。それほど広くない境内の片隅に豊川稲荷があるというので、覘いてみた。明治期に寄進されたという由緒書きがわずかにその社の由来を知る術であるが、何体もの「おキツネ」さんの張り子が奉じられていて、もう何日も経てば、詣で客で賑わうのかと、ひっそりとした中にしばらく留まっていた。もちろん、「無宗教な」わたくしなので、祈ることはしないけれど、コンニチワ程度のご挨拶はかけ、一体一体、どこか異なる風貌のおキツネ様と面した。幼稚園も付設する曹洞宗系の隆興寺が所在する一帯を三河町(みかわちょう)という。想像だけでは書けば、三河の碧海あるいは幡豆あたりを出自とする酒井氏が存していたことを遺す数少ない術ともなっているのであろう。そのことと稲荷社を結びつける糸口は何もなく、上記、明治云々という但し書きにいささか失望したというか、改めて、訪ねて、人をつかまえ、色々とお聞きしたい気もしている。一説によると、酒井氏は譜代という身分にありながら、(前橋の方には大変失礼だけれども)、前橋などという僻地に満足していなかったらしく、姫路移封に際しては、画策も巡らせたともある。そのせいかどうかは分からないけれども、グルグルを確認してみると、相変わらず、グアテマラシティは姫路をさすのは酒井氏の思いがいまだ強いためなのだろうか。前橋の稲荷社を訪ねてみようと思ったのは、もちろん、わたくしの気まぐれであるけれど、グアテマラに行き着くきっかけとなったマリンバ奏者の三村さんは豊川市出身だと知った、色々なことがぐるぐると回っている。
以上は前橋藩(城)の末期のことである。加えて記せば、越前松平家が去ったあとの姫路城主には酒井忠恭(さかい ただずみ)が入るが、酒井氏といえば松平家を除けば、あちこちで城主として顔を出す譜代の系にあり、わたくしが育った旧小藩の城主であったこともある。忠恭から数えると8代前にあたる重忠(しげただ)が川越より厩橋に転封し、前橋藩は酒井氏の領地として9代続く。酒井氏と越前松平家は厩橋(前橋)⇔姫路の交換トレードの形でもって、その後、ご一新まで、その状態が続くが、両藩とも決して平安ではなかったようである。さて、前橋である。所用を終え、数か月前に訪ねた居酒屋さんに、暮れの金曜日なので、無理かなと案じながら、それでも、以前と同じ居心地の良いカウンターに座ることができて、閉店まで、お邪魔した。翌朝は、ホテル近くのお寺を歩いてみた。それほど広くない境内の片隅に豊川稲荷があるというので、覘いてみた。明治期に寄進されたという由緒書きがわずかにその社の由来を知る術であるが、何体もの「おキツネ」さんの張り子が奉じられていて、もう何日も経てば、詣で客で賑わうのかと、ひっそりとした中にしばらく留まっていた。もちろん、「無宗教な」わたくしなので、祈ることはしないけれど、コンニチワ程度のご挨拶はかけ、一体一体、どこか異なる風貌のおキツネ様と面した。幼稚園も付設する曹洞宗系の隆興寺が所在する一帯を三河町(みかわちょう)という。想像だけでは書けば、三河の碧海あるいは幡豆あたりを出自とする酒井氏が存していたことを遺す数少ない術ともなっているのであろう。そのことと稲荷社を結びつける糸口は何もなく、上記、明治云々という但し書きにいささか失望したというか、改めて、訪ねて、人をつかまえ、色々とお聞きしたい気もしている。一説によると、酒井氏は譜代という身分にありながら、(前橋の方には大変失礼だけれども)、前橋などという僻地に満足していなかったらしく、姫路移封に際しては、画策も巡らせたともある。そのせいかどうかは分からないけれども、グルグルを確認してみると、相変わらず、グアテマラシティは姫路をさすのは酒井氏の思いがいまだ強いためなのだろうか。前橋の稲荷社を訪ねてみようと思ったのは、もちろん、わたくしの気まぐれであるけれど、グアテマラに行き着くきっかけとなったマリンバ奏者の三村さんは豊川市出身だと知った、色々なことがぐるぐると回っている。
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