2007.11.24
北関東垂れ記、太田〜のつもりが正(征)露丸、脚気、鴎外・・・
正(征)露丸が自衛隊の装備品として100年ぶりに復活したという記事をみた(SANKEI.JP.MSN.COM、11月12日付)。もちろん、以前は旧陸軍などのことであり、また、もともと、開発したのも軍であったという(異論もあるが、ここでは省略)。わたくしも常備、携帯するようにしている。
[正露丸]※ラッパのマークではないけれど、左下は葛根湯(常備薬)、上は・・・(常備・常呑・・・)

イザベラバード女史はこれから始まる長い旅の支度のための江戸滞在を経て、粕壁(春日部)、栃木、というコースを歩んでいる。ほぼ、現在の東武線は日光街道に並行しているので、擬似的に、その道程を辿ることも可能である。女史は宇都宮を経て、日光へ向かうのであるが、皆に知られた日光街道を使わず、いわば裏通りともいえる道を馬車で日光まで向かった(途中、今市で両道は合わさる)。引用すると、
『日光に通ずる道は二つある。私は宇都宮から行く普通のコースを避けた。その結果、奥州街道と呼ばれる大きな街道沿いに約五〇マイル続いている最もすばらしい街道を見ることができなかった。私のとったコースの例幣使(れいへいし)街道は三〇マイル続く。この二つの街道は、途中で幾つかの村を経て、日光から八マイルの今市という村で合流する・・・』(「日本奥地紀行、イザベラ・バード女史著、高梨健吉氏訳、平凡社ライブラリー)
偶然であるけれども、わたくしも通った、そのことは、一度書いた(拙ブロ;不意、07年3月20日付)。鬱そうとした杉並木に護られた空間に入ると、一瞬にして時間が戻り、バード女史の乗る馬車とすれ違っても、おかしくない。わたくしと逆方向に向かった女史は、こののち、金谷家(現在の日光金谷ホテル)にしばらく投宿している。
森林太郎(鴎外)は第一大学区医学校(のちの東京医学校、現在の東京大学医学部)を10代(19歳)にして卆え(1881=明治14年)、同年に陸軍の医師(軍医副)として採用される。翌年、「官事」のため、北越(現在の新潟県)視察の旅に出る。
二週間ほど前、「鴎外選集・第二十一巻」を手に入れたと書いた(拙ブロ「こしょこしょ」07年11月10日付)。この中には、ドイツ留学時を記した「独逸日記」や小倉赴任の際に記された「小倉日記」などが収蔵されていて、特に後者については、鴎外自身が小倉赴任を左遷と感じていたとされるが、そう思って読めば、他に較べて、暗く、沈んだようにも読めなくもない。このことは、改めて、読んでみてから、また、感ずることがあれば記したいと思う。
さて、北越への官事旅行を記した日記を「北游日乗」(ほくゆうにちじょう)」という、上記日記とともに、収められている。短い文章である。冒頭に壬午2月13日、小網町三丁目の河内屋で券を購入し、新大橋より舟に乗るとある。壬午(じんご、みずのえうま)は82(明治15)年であり、3月29日には『高崎を立ちて都に帰りぬ』とあるから、2か月弱のことであり、淡々と、経路や宿についての記録が続いている。同年9月には箱舘(函館)に向かっているが、この際の日記は「後北游日乗」という(これも選集に収録されている)。小網町というのは寛永時代から江戸と下総を結ぶ行徳船の往来が頻繁で、三丁目の行徳河岸から行徳、そして、利根川(現在の江戸川)を揺られて、北上していたらしい。(「古今・お江戸日本橋/日本橋”町”物語・小網町」〜東京都印刷工業組合(TPIA) 日本橋支部より)
鴎外が古河(こが)に到着するのは14日、小山の駅を過ぎ、栃木・万町の川辺屋に15〜18日まで逗留する。そののち、犬臥(犬伏)〜堀米(堀込)〜佐野を経て、太田にいたる。北游日乗には、『十八日 はれたり栃木を立つこの日陰暦の元旦なりければ軒ごとに松立てゝ童ども新なる衣きて遊べり犬臥堀米佐野を経て太田といふところに宿りぬ旅店を穀三といふ』とある。
詳しくは、もちろん分からないけれども、栃木を出て、太田に至る街道が「例幣使」のようである。バード女史は、宇都宮より日光へ向かう際、この街道を用いたと記しているが、正確には、楡木宿までを指し、以降(以北)、今市宿までを日光壬生道(みぶみち)といって、小山から北上して、今市に至る。さらに、小山から江戸に向かっては、(日光)御成街道が「下って」おり、日光街道の脇道(バイパス)を担っている。また、女史が記している奥州街道は別物であるけれども、まぁ、細かいことは、、、。
(わたくしの)交通費調べを確認すると、直近に群馬県太田市を訪ねたのは、06年8月である。所用で、泊ることになるが、わざわざ、「そこ」を選んだ理由があって、それが、鴎外の日記にある穀三、只今のホテル古久三(こくさぶ)である。同ホテルのサイトにもふれられていて、「森鴎外」という項に詳しく紹介されている。場所は、太田駅北口を少し上った旧例幣使街道沿いにある。もちろん、今は当時の面影はなく、失礼ながら、ふつうのビジネスホテルでしかなく、今では、すっかり寂れてしまった街道筋あるいは太田駅周辺に、125年ほど前の繁華な様子を感じるには、相当の想像力を要する。太田については、この拙文が終わってから、また、記したいと思っている。
[往時の穀三](同ホテルサイトより)
後北游日乗の冒頭にも書かれているが、この年に朝鮮で壬午事変が勃発する。以降、日本と清国の関係は悪化し、日清戦争へと走り、さらに、日本はロシヤとの戦い(日露戦争)へと進む。この両大戦で日本軍を悩ませたのが脚気であることは有名である。膝を普通の状態(直角に折り曲げた)にしたまま、坐し、ソコをカナヅチでもって、軽く叩くと、ヒョッぃと膝から下の部分が撥ねあがると、合格である。以上は、脚気(かっけ)の陰陽を試す簡易的な検査方法であり、わたくしも何度か被験したことがあるが、今はどうなのであろうか。そういう検査を行なった記憶もないし、だいいち脚気じたいの罹患率が分からない、それほど、駆逐された病のひとつでもあるらしい。しかし、明治期には脚気は国家的な深刻さでもって、特に、大陸侵攻の兵士間に蔓延し、甚大な被害、すなわち、死亡者が多数あったといわれる。そして、この時、脚気の原因をめぐって、栄養説を唱える派とウィルス説を主張する側がいて、結果として、白米に偏った食生活をパン、あるいは麦飯を「摂り」入れることで、脚気の原因であるビタミンB1不足などを補うことができるという前者が正しかったのであるが、後者の中心に鴎外がいたことも、よく知られている。(鴎外と脚気について/近代文学研究会サイトより)
医師としての鴎外翁は必ずしも評価されていない、そればかりか、今もなお、鴎外の罪として論じる傾向もある。確認はできていないが、鴎外は、「正(征)露丸」を脚気対策にもたせたという説もある。わたくしには、真偽は分からないけれども、一連のコトを想っていると、鴎外という人物あるいは翁の作風の一端を垣間見ることはできるのであろうか、と、生意気なことを考えている。
[鴎外選集第二十一巻 日記](岩波書店)

先週の土曜日、思い立って、所用のあと、上野の水月ホテル鴎外荘を訪ねた(拙ブロ「2冊目」07年11月17日付)。相変わらず、混んでいらして、この日もほぼ満室、宴会場も大忙しのようであった。中には気の早い忘年会の方たちもいらして、鴎外旧居「舞姫の間」(お座敷)も盛況のようであった。
食事もお酒も敬遠して、ただただ、天然温泉というお風呂に入って、お暇した。下町のお湯はやはり熱い、帰り途、動物園とお山の間の通りは寒かったけれども、そのあと、「まめや」さんで呑んで、帰ったけれども、翌日、木枯し1号(一番)が吹いたというけれども、お蔭で、風邪も引かずに済んだ。
おきなわでは先月、ミーニシ(新北風)が吹いて、秋が来たと書いた。(拙ブロ「絵日記おきなわ/19.OCT」07年10月20日付)、この先、冬至寒(トゥンジビーサ)、鬼餅寒(ムーチービーサー)と冬が到来する、そのことは本土も同じで、日に日に寒さが増すばかりである。
本日は、ずっと気になっていた太田宿・穀三について記したが、実は、標題にもあるとおり北関東垂れ記の〆のつもりであったけれども、どうしても、北游日乗のその一節を目にしたかったため、遅れてしまった。ちょっと、所用をおもいついたので、再び、北関東へ出かけてみようかと、颪のご機嫌をうかがっているところでもある。
(注)「北関東垂れ記」は06年10月26日〜07年1月17日間で、断続的に記。
[正露丸]※ラッパのマークではないけれど、左下は葛根湯(常備薬)、上は・・・(常備・常呑・・・)

イザベラバード女史はこれから始まる長い旅の支度のための江戸滞在を経て、粕壁(春日部)、栃木、というコースを歩んでいる。ほぼ、現在の東武線は日光街道に並行しているので、擬似的に、その道程を辿ることも可能である。女史は宇都宮を経て、日光へ向かうのであるが、皆に知られた日光街道を使わず、いわば裏通りともいえる道を馬車で日光まで向かった(途中、今市で両道は合わさる)。引用すると、
『日光に通ずる道は二つある。私は宇都宮から行く普通のコースを避けた。その結果、奥州街道と呼ばれる大きな街道沿いに約五〇マイル続いている最もすばらしい街道を見ることができなかった。私のとったコースの例幣使(れいへいし)街道は三〇マイル続く。この二つの街道は、途中で幾つかの村を経て、日光から八マイルの今市という村で合流する・・・』(「日本奥地紀行、イザベラ・バード女史著、高梨健吉氏訳、平凡社ライブラリー)
偶然であるけれども、わたくしも通った、そのことは、一度書いた(拙ブロ;不意、07年3月20日付)。鬱そうとした杉並木に護られた空間に入ると、一瞬にして時間が戻り、バード女史の乗る馬車とすれ違っても、おかしくない。わたくしと逆方向に向かった女史は、こののち、金谷家(現在の日光金谷ホテル)にしばらく投宿している。
森林太郎(鴎外)は第一大学区医学校(のちの東京医学校、現在の東京大学医学部)を10代(19歳)にして卆え(1881=明治14年)、同年に陸軍の医師(軍医副)として採用される。翌年、「官事」のため、北越(現在の新潟県)視察の旅に出る。
二週間ほど前、「鴎外選集・第二十一巻」を手に入れたと書いた(拙ブロ「こしょこしょ」07年11月10日付)。この中には、ドイツ留学時を記した「独逸日記」や小倉赴任の際に記された「小倉日記」などが収蔵されていて、特に後者については、鴎外自身が小倉赴任を左遷と感じていたとされるが、そう思って読めば、他に較べて、暗く、沈んだようにも読めなくもない。このことは、改めて、読んでみてから、また、感ずることがあれば記したいと思う。
さて、北越への官事旅行を記した日記を「北游日乗」(ほくゆうにちじょう)」という、上記日記とともに、収められている。短い文章である。冒頭に壬午2月13日、小網町三丁目の河内屋で券を購入し、新大橋より舟に乗るとある。壬午(じんご、みずのえうま)は82(明治15)年であり、3月29日には『高崎を立ちて都に帰りぬ』とあるから、2か月弱のことであり、淡々と、経路や宿についての記録が続いている。同年9月には箱舘(函館)に向かっているが、この際の日記は「後北游日乗」という(これも選集に収録されている)。小網町というのは寛永時代から江戸と下総を結ぶ行徳船の往来が頻繁で、三丁目の行徳河岸から行徳、そして、利根川(現在の江戸川)を揺られて、北上していたらしい。(「古今・お江戸日本橋/日本橋”町”物語・小網町」〜東京都印刷工業組合(TPIA) 日本橋支部より)
鴎外が古河(こが)に到着するのは14日、小山の駅を過ぎ、栃木・万町の川辺屋に15〜18日まで逗留する。そののち、犬臥(犬伏)〜堀米(堀込)〜佐野を経て、太田にいたる。北游日乗には、『十八日 はれたり栃木を立つこの日陰暦の元旦なりければ軒ごとに松立てゝ童ども新なる衣きて遊べり犬臥堀米佐野を経て太田といふところに宿りぬ旅店を穀三といふ』とある。
詳しくは、もちろん分からないけれども、栃木を出て、太田に至る街道が「例幣使」のようである。バード女史は、宇都宮より日光へ向かう際、この街道を用いたと記しているが、正確には、楡木宿までを指し、以降(以北)、今市宿までを日光壬生道(みぶみち)といって、小山から北上して、今市に至る。さらに、小山から江戸に向かっては、(日光)御成街道が「下って」おり、日光街道の脇道(バイパス)を担っている。また、女史が記している奥州街道は別物であるけれども、まぁ、細かいことは、、、。
(わたくしの)交通費調べを確認すると、直近に群馬県太田市を訪ねたのは、06年8月である。所用で、泊ることになるが、わざわざ、「そこ」を選んだ理由があって、それが、鴎外の日記にある穀三、只今のホテル古久三(こくさぶ)である。同ホテルのサイトにもふれられていて、「森鴎外」という項に詳しく紹介されている。場所は、太田駅北口を少し上った旧例幣使街道沿いにある。もちろん、今は当時の面影はなく、失礼ながら、ふつうのビジネスホテルでしかなく、今では、すっかり寂れてしまった街道筋あるいは太田駅周辺に、125年ほど前の繁華な様子を感じるには、相当の想像力を要する。太田については、この拙文が終わってから、また、記したいと思っている。
[往時の穀三](同ホテルサイトより)
後北游日乗の冒頭にも書かれているが、この年に朝鮮で壬午事変が勃発する。以降、日本と清国の関係は悪化し、日清戦争へと走り、さらに、日本はロシヤとの戦い(日露戦争)へと進む。この両大戦で日本軍を悩ませたのが脚気であることは有名である。膝を普通の状態(直角に折り曲げた)にしたまま、坐し、ソコをカナヅチでもって、軽く叩くと、ヒョッぃと膝から下の部分が撥ねあがると、合格である。以上は、脚気(かっけ)の陰陽を試す簡易的な検査方法であり、わたくしも何度か被験したことがあるが、今はどうなのであろうか。そういう検査を行なった記憶もないし、だいいち脚気じたいの罹患率が分からない、それほど、駆逐された病のひとつでもあるらしい。しかし、明治期には脚気は国家的な深刻さでもって、特に、大陸侵攻の兵士間に蔓延し、甚大な被害、すなわち、死亡者が多数あったといわれる。そして、この時、脚気の原因をめぐって、栄養説を唱える派とウィルス説を主張する側がいて、結果として、白米に偏った食生活をパン、あるいは麦飯を「摂り」入れることで、脚気の原因であるビタミンB1不足などを補うことができるという前者が正しかったのであるが、後者の中心に鴎外がいたことも、よく知られている。(鴎外と脚気について/近代文学研究会サイトより)
医師としての鴎外翁は必ずしも評価されていない、そればかりか、今もなお、鴎外の罪として論じる傾向もある。確認はできていないが、鴎外は、「正(征)露丸」を脚気対策にもたせたという説もある。わたくしには、真偽は分からないけれども、一連のコトを想っていると、鴎外という人物あるいは翁の作風の一端を垣間見ることはできるのであろうか、と、生意気なことを考えている。
[鴎外選集第二十一巻 日記](岩波書店)

先週の土曜日、思い立って、所用のあと、上野の水月ホテル鴎外荘を訪ねた(拙ブロ「2冊目」07年11月17日付)。相変わらず、混んでいらして、この日もほぼ満室、宴会場も大忙しのようであった。中には気の早い忘年会の方たちもいらして、鴎外旧居「舞姫の間」(お座敷)も盛況のようであった。
食事もお酒も敬遠して、ただただ、天然温泉というお風呂に入って、お暇した。下町のお湯はやはり熱い、帰り途、動物園とお山の間の通りは寒かったけれども、そのあと、「まめや」さんで呑んで、帰ったけれども、翌日、木枯し1号(一番)が吹いたというけれども、お蔭で、風邪も引かずに済んだ。
おきなわでは先月、ミーニシ(新北風)が吹いて、秋が来たと書いた。(拙ブロ「絵日記おきなわ/19.OCT」07年10月20日付)、この先、冬至寒(トゥンジビーサ)、鬼餅寒(ムーチービーサー)と冬が到来する、そのことは本土も同じで、日に日に寒さが増すばかりである。
本日は、ずっと気になっていた太田宿・穀三について記したが、実は、標題にもあるとおり北関東垂れ記の〆のつもりであったけれども、どうしても、北游日乗のその一節を目にしたかったため、遅れてしまった。ちょっと、所用をおもいついたので、再び、北関東へ出かけてみようかと、颪のご機嫌をうかがっているところでもある。
(注)「北関東垂れ記」は06年10月26日〜07年1月17日間で、断続的に記。
2007.11.19
ゆし豆腐と山羊さん
土曜日(17日)は所用を終え、「まめや」さんに。もう、ずいぶんと寒くなったこともあり、ジーマミー豆腐の揚げだしを頂いた。あとは、前回、たっぷりと入れた泡盛を呑んでいるだけで、売上げにさっぱり貢献していない。この夜もたくさんのお客さんがいらして、渡嘉敷(とかしき)話で盛り上がっていた。三線の音も響いて、神楽坂の花柳に負けていない。翌日は、那覇からメールが届いた。内地から行っている方からであった。「お店開いています、女将さん、とても、元気です」と、那覇マラソンの日まで、ないはずのヤギさん付きの日曜日営業である。(一応、定休日で、そのことは、メール送信者の方にも伝えてあったけれども、さいわい、開いていたようである)
[山羊さんのお刺身:しょうが醤油で頂く]※ご丁寧にも、メールで送ってくださった。このあと、ご本人は食べているのであろう、ね。

もう、那覇も寒いという気分であるのだろうか。ウェザーニューズを確かめると、晴れマーク(太陽さん)が控えめで、20度を切る夜が続いているようである(寒)。この数日間は買い求めた書籍をあれこれ回し(拾い)読みしていて、頭の中が、いつも以上に、混乱している。どういう風にして、一冊一冊に集中していけるものかと、考えているが、策が浮かばない、当分、回転ずしのように、自分の前を通り過ぎる際に、ピンと来たら、抓(つま)む、そういうことを繰り返しているしかない。わたくしの頭に、包まれるようなユシ豆腐の柔らさと山羊刺しを含んだ時のキレがあれば、と、ないものねだりをしている。
[山羊さんのお刺身:しょうが醤油で頂く]※ご丁寧にも、メールで送ってくださった。このあと、ご本人は食べているのであろう、ね。

もう、那覇も寒いという気分であるのだろうか。ウェザーニューズを確かめると、晴れマーク(太陽さん)が控えめで、20度を切る夜が続いているようである(寒)。この数日間は買い求めた書籍をあれこれ回し(拾い)読みしていて、頭の中が、いつも以上に、混乱している。どういう風にして、一冊一冊に集中していけるものかと、考えているが、策が浮かばない、当分、回転ずしのように、自分の前を通り過ぎる際に、ピンと来たら、抓(つま)む、そういうことを繰り返しているしかない。わたくしの頭に、包まれるようなユシ豆腐の柔らさと山羊刺しを含んだ時のキレがあれば、と、ないものねだりをしている。
2007.11.17
2冊目
先日、注文した2冊目が昨夜、届いていた。「白線流し」である。脚本は信本敬子さん、ノベライズ(小説化)は松岡智惠さんである。御二方とも、わたくしは知らない。お話は高校生活最後の夏休みの日、日帰りで松本からミスチルのコンサートを聴きに出てきた三人(一人は行かず)が新宿発の最終あずさに乗る場面で始まる。同じ車両に定時制四年生の青年とその母親も乗り込んだ。そういうところから、その後の展開が想像できるけれども、まだ、その先は読んでいない(現在、たった8頁)。東京の空気を吸いに来たという女の子をマークしながら、続きをゆっくりと読んでみようかと思っている(マークは外れるかもしれないが)。
本日は、ちょっと思いついて、某所に出かける。帰りは“まめや”さんに寄るつもりである。
本日は、ちょっと思いついて、某所に出かける。帰りは“まめや”さんに寄るつもりである。
2007.11.14
東海道新幹線味巡り
11月3日のだんごまつりに引き続き、所用で名古屋にも行った。そこで、今は、どんな、お土産があるのかと、駅構内のキオスクを冷やかした。見かけたのが、標題のお品である。中身はなんということはない。ただし、わたくしも、大好きな「柿の種」である(おせんべいもあるが、コッチも好き)。公式なデータはもちろんないけれども、柿の種を好きという人の確率は、おそらく88.8888・・・%程度ではないかと思う、すなわち、9人に8人は「好き」と答え、1人は本当に嫌い、あるいは、少し、歯が弱いので・・・という人、で、10人に聞けば、たいてい一人ぐらいは、無回答(へそ曲がり)というところであろうか(したがって、正確に記せば8/10=80%)。わたくしでいえば、冷蔵庫に常備しており(湿気ないように)、いつでも、口にできるように、こればかりは、準備を怠らない。柿の種の発祥については、諸説あり、よく分からないし、素人のわたくしが軽々にいえない領分である。どうしても、知りたい、あるいは学びたいという方は、『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でどうぞ。また、その中で元祖とされている浪速屋製菓のサイトにも詳しく説明がある。
「東海道新幹線味巡り」はJR東海KIOSK内にて販売しているそうである。うっかりして、というか、他のことに気がいって、買うことをしなかったが、『鉄道食玩』というサイトに紹介されているので、実物(の写真)はソッチを見ていただければと思う。商品は「東京/もんじゃ焼き風味せんべい」「横浜/肉まん風味せんべい」「静岡/わさび風味柿の種」「名古屋/ひつまぶし風味柿の種」「大阪/たこ焼風味柿の種」の5種である。製造・販売元はアジカル蠅箸いΑ岾舛亮錙彗膽蠅任△覽掬沈讐朖蠅隆慙企業のようである。当分、JR東海に乗る機会がないものだから、入手はできないかと思ったけれども、なぜか、楽天で売っているので、買えないこともない(買わないけれども)。
さて、「味巡り」は東京、新横浜、静岡、名古屋、新大阪と“ひかり”並みの速度での品揃えで、いささか、不満もあるので、全ての駅(こだま並み)について、考えてみようと思ったけれども、想いつかない、ちなみに、全駅を示すと、東京・新横浜・小田原・熱海・三島・新富士・静岡・掛川・浜松・豊橋・三河安城・名古屋・岐阜羽島・米原・京都・新大阪である(下線は販売済みの駅である)。思いつきでいえば、カマボコ(小田原)、ヤキソバ(新富士≒富士宮)、ウナギ(浜松)などとあるが、これでは、つまらない。どなたかの、お知恵を拝借したい想いである。
ヒント(お知恵)はあった。
蠅やつカンパニーという変妙・変梃(へんてこ)な企業がある。本社は三重県津市にあり(合併前の一志町)、小さい頃から、わたくしには近い存在でもある。ただし、同社の主力商品である(というかコレ一筋、そこのところは好きであるが;別商品もあるけれど)ベビースターラーメンは苦手で、あまり食べたことがない。会社沿革(同社サイトより〜おやつカンパニー(-^〇^-)/)をみると会社設立は1948年(当初は松田産業、のちに松田食品、そして、おやつカンパニー〜この社名変更には驚いた、感心している)、55年に味付中華麺の発売とある。59年、「ベビースターラーメン」(10円、当時の商品名は「ベビーラーメン」)・・・。チキンラーメンはというと、58年の販売開始とある(日清食品サイトより)。このあたりの鬩(せめ)ぎ合いは分からないけれども、似たもの同士であることには変わりはない。ヒントは、おやつカンパニーの日本全国おやつ紀行にある。東海道新幹線関係のみを挙げると、ありました、富士宮やきそば味、名古屋はじわじわと人気上昇中のコーチン・手羽先、ほかにコーチンラーメン、味噌煮込みうどん、さすがに準地元だけあって、品数が多い(三重限定もあり)。西に向かうと、ケ(キ)ツネうどん、京風うどん(コノうどん自体食べたことはない)、タイガース味(?)もある。圏(沿線)外であるが、気になる沖縄は、スバ(沖縄そば)味とタコライス味(わたくし自身はタコライスを食べたことがない)である。価格は商品によって異なるが、500〜600円が多いようであるけれども、沖縄以上に気になったのは、価格の末尾に○○円前後とある点で、メーカー希望小売価格を示しているとも思えるが、前後とはどの程度をもって、ゼンゴというのかが、よく分からない。ま、おおらかで良い気もする。
お酒も好きだが、甘いものも大好きなわたくしにとって、スイーツ系がないと思っていたら、
あった。
ベビースタートロピカルカレーラーメン、以下、商品説明を引用する。
《南国風味のベビースター/ココナッツミルクとハワイ産パイナップルを練り込んだベビースター版カレーラーメンとマカダミアンナッツを組み合わせたハワイ情緒たっぷりの逸品です。》ただし、ハワイ限定らしいので、入手は極めて困難である。コノ商品に限って、8ドルと、(前後なしに)きっぱりと表示しているのが、アメリカらしい。
とりあえず、東海道新幹線味巡りも、上記、おやつカンパニーを参考(コピー)にすれば、品揃えも増えそうであるが、やはり、お知恵も待っています。
期限ギレ(拙ブロ07年1月21日付)でふれたが、賞味期限というのは、あって、ないような期限であるので、あまり気にする必要もないけれど、「柿の種」の賞味期限(正確には賞味期間〜製造日を起点としている)はおおむね120〜150日であるが、そこまで、残っていることは、まず、ありえない(ベビースターの方は手許にもなく、サイト内でも表示が見つからないので、分からない)。
(本日中に、食べ尽くしたため)「柿の種」の在庫が切れた。明日、仕入れに行こう。
[亀田製菓蠅スーパーフレッシュ柿の種]
※ぴぃなっつが美味しくなったそうなので、コレを、買ってみよう。今までは別に求めた美味しい、ぴぃなっつを混ぜて、食べていた。
便利なチャック付き、という言葉の響きが懐かしい。
「東海道新幹線味巡り」はJR東海KIOSK内にて販売しているそうである。うっかりして、というか、他のことに気がいって、買うことをしなかったが、『鉄道食玩』というサイトに紹介されているので、実物(の写真)はソッチを見ていただければと思う。商品は「東京/もんじゃ焼き風味せんべい」「横浜/肉まん風味せんべい」「静岡/わさび風味柿の種」「名古屋/ひつまぶし風味柿の種」「大阪/たこ焼風味柿の種」の5種である。製造・販売元はアジカル蠅箸いΑ岾舛亮錙彗膽蠅任△覽掬沈讐朖蠅隆慙企業のようである。当分、JR東海に乗る機会がないものだから、入手はできないかと思ったけれども、なぜか、楽天で売っているので、買えないこともない(買わないけれども)。
さて、「味巡り」は東京、新横浜、静岡、名古屋、新大阪と“ひかり”並みの速度での品揃えで、いささか、不満もあるので、全ての駅(こだま並み)について、考えてみようと思ったけれども、想いつかない、ちなみに、全駅を示すと、東京・新横浜・小田原・熱海・三島・新富士・静岡・掛川・浜松・豊橋・三河安城・名古屋・岐阜羽島・米原・京都・新大阪である(下線は販売済みの駅である)。思いつきでいえば、カマボコ(小田原)、ヤキソバ(新富士≒富士宮)、ウナギ(浜松)などとあるが、これでは、つまらない。どなたかの、お知恵を拝借したい想いである。
ヒント(お知恵)はあった。
蠅やつカンパニーという変妙・変梃(へんてこ)な企業がある。本社は三重県津市にあり(合併前の一志町)、小さい頃から、わたくしには近い存在でもある。ただし、同社の主力商品である(というかコレ一筋、そこのところは好きであるが;別商品もあるけれど)ベビースターラーメンは苦手で、あまり食べたことがない。会社沿革(同社サイトより〜おやつカンパニー(-^〇^-)/)をみると会社設立は1948年(当初は松田産業、のちに松田食品、そして、おやつカンパニー〜この社名変更には驚いた、感心している)、55年に味付中華麺の発売とある。59年、「ベビースターラーメン」(10円、当時の商品名は「ベビーラーメン」)・・・。チキンラーメンはというと、58年の販売開始とある(日清食品サイトより)。このあたりの鬩(せめ)ぎ合いは分からないけれども、似たもの同士であることには変わりはない。ヒントは、おやつカンパニーの日本全国おやつ紀行にある。東海道新幹線関係のみを挙げると、ありました、富士宮やきそば味、名古屋はじわじわと人気上昇中のコーチン・手羽先、ほかにコーチンラーメン、味噌煮込みうどん、さすがに準地元だけあって、品数が多い(三重限定もあり)。西に向かうと、ケ(キ)ツネうどん、京風うどん(コノうどん自体食べたことはない)、タイガース味(?)もある。圏(沿線)外であるが、気になる沖縄は、スバ(沖縄そば)味とタコライス味(わたくし自身はタコライスを食べたことがない)である。価格は商品によって異なるが、500〜600円が多いようであるけれども、沖縄以上に気になったのは、価格の末尾に○○円前後とある点で、メーカー希望小売価格を示しているとも思えるが、前後とはどの程度をもって、ゼンゴというのかが、よく分からない。ま、おおらかで良い気もする。
お酒も好きだが、甘いものも大好きなわたくしにとって、スイーツ系がないと思っていたら、
あった。
ベビースタートロピカルカレーラーメン、以下、商品説明を引用する。
《南国風味のベビースター/ココナッツミルクとハワイ産パイナップルを練り込んだベビースター版カレーラーメンとマカダミアンナッツを組み合わせたハワイ情緒たっぷりの逸品です。》ただし、ハワイ限定らしいので、入手は極めて困難である。コノ商品に限って、8ドルと、(前後なしに)きっぱりと表示しているのが、アメリカらしい。
とりあえず、東海道新幹線味巡りも、上記、おやつカンパニーを参考(コピー)にすれば、品揃えも増えそうであるが、やはり、お知恵も待っています。
期限ギレ(拙ブロ07年1月21日付)でふれたが、賞味期限というのは、あって、ないような期限であるので、あまり気にする必要もないけれど、「柿の種」の賞味期限(正確には賞味期間〜製造日を起点としている)はおおむね120〜150日であるが、そこまで、残っていることは、まず、ありえない(ベビースターの方は手許にもなく、サイト内でも表示が見つからないので、分からない)。
(本日中に、食べ尽くしたため)「柿の種」の在庫が切れた。明日、仕入れに行こう。
[亀田製菓蠅スーパーフレッシュ柿の種]
※ぴぃなっつが美味しくなったそうなので、コレを、買ってみよう。今までは別に求めた美味しい、ぴぃなっつを混ぜて、食べていた。
便利なチャック付き、という言葉の響きが懐かしい。
2007.11.13
南東北西(みなみとうほくにし)
たまたま、所用で利用したJR駅に置かれている旅行パンフレットが賑やかしい。もう、少し、ずれ始めて(南下して)いる紅葉前線だけれども、つい半月前は、東北が見ごろであった(紅葉情報はコッチでどうぞ;ウェザーニューズより)。そういう事情もあって、「東北」の文字が躍っていた。これは、何年前からだろうか、東北を北東北、南東北という二つに分けて、PRすることが多くなったような気がする。おそらく、当該する県なり、市町村の思惑もあって、もしかしたら、道州制というようなことも絡んでいるのかもしれないが、わざわざ1/2(北と南)としている。あるいは、選挙制度の所為があるのかもしれない。従前から定着している例としては、北関東&南関東、北九州&南九州などがあるけれども、前者は、やや差別的(?)だし、後者は同名都市(北九州市)が存在するため、混同を避けて、北部九州&南部九州、あるいは、九州北部&九州南部などともいわれる。で、北・南東北のことである。その後(たまたま見かけた日以降)、他の駅でも、その文字を見るたびに、そこは一体どこなんだろうかと、混乱しており、地名(地域名)ではなく、つい、方角として認識してしまい、今、わたくしがいる場所の南→東→北・・・といったような感覚でもって、その場所のことを想像してしまう。加えて、わたくしは、強度の方向音痴であるので、よけいにコンランが増長され、北東北・南東北という文字ばかりが眼に飛び込んできて、ちょっとした目眩を起こしながら、乗る電車さえ間違えた(逆乗り)こともある。
もともと、東北(地方)というのはどうなのであろうか。他の地域名にはない方角のみの名づけであり、まったく、(方向音痴でなければ)誠実・正確な表現であるけれども、素っ気ない。そのうえ、北・南を冠してしまうから、その“気”さえない。別称でいえば、奥羽または広い意味で「みちのく」とも呼ばれるが、一般的ではなく、東北はあくまでもトウホクと呼ばれることが多く、JRのパンフもそれに準拠しているのであろうが、字面は分かりにくいと、やはり思ってしまう。この先、さらに1/2分割され、南東北西(おそらく、奥羽山地の西側〜山形県や福島県会津地方、ひょっとしたら新潟県も含まれてしまう)などという観光キャンペーンが登場するようなことがあれば、ソコはドコ?という迷いが増殖し、今以上に目眩に悩まされるのであろうか。
(唐突だが)以上を書いているうちに思い出したのだけれども、JR各社の表示(ロゴ)をみると、四国を除いて、「鉄」ではなく、「金ヘンに矢」を用いている。これは、鉄であると、金を失うに通じるため、それを避けているということらしい(もっとも、これまで、ずいぶん、金を失っているが)。「鉃」は、シあるいはヤジリ(鏃)である。まあ、速い・・・を連想することもできる。ただし、公式な社名は全社、矢ではなく、失だそうである。
[JR各社のロゴマーク]
北海道(同社のサイトより、以下同じ)
東日本
東海
西日本
四国
九州
貨物
矢を使い始めたのは、近鉄だったようである。わたくしは、てっきり、西鉄が使っていたとばかり思っていた・・・、
「鉄腕」稲尾和久さんが亡くなられた(時事ドットコムより)。
もともと、東北(地方)というのはどうなのであろうか。他の地域名にはない方角のみの名づけであり、まったく、(方向音痴でなければ)誠実・正確な表現であるけれども、素っ気ない。そのうえ、北・南を冠してしまうから、その“気”さえない。別称でいえば、奥羽または広い意味で「みちのく」とも呼ばれるが、一般的ではなく、東北はあくまでもトウホクと呼ばれることが多く、JRのパンフもそれに準拠しているのであろうが、字面は分かりにくいと、やはり思ってしまう。この先、さらに1/2分割され、南東北西(おそらく、奥羽山地の西側〜山形県や福島県会津地方、ひょっとしたら新潟県も含まれてしまう)などという観光キャンペーンが登場するようなことがあれば、ソコはドコ?という迷いが増殖し、今以上に目眩に悩まされるのであろうか。
(唐突だが)以上を書いているうちに思い出したのだけれども、JR各社の表示(ロゴ)をみると、四国を除いて、「鉄」ではなく、「金ヘンに矢」を用いている。これは、鉄であると、金を失うに通じるため、それを避けているということらしい(もっとも、これまで、ずいぶん、金を失っているが)。「鉃」は、シあるいはヤジリ(鏃)である。まあ、速い・・・を連想することもできる。ただし、公式な社名は全社、矢ではなく、失だそうである。
[JR各社のロゴマーク]
北海道(同社のサイトより、以下同じ)
東日本
東海
西日本
四国
九州
貨物
矢を使い始めたのは、近鉄だったようである。わたくしは、てっきり、西鉄が使っていたとばかり思っていた・・・、
「鉄腕」稲尾和久さんが亡くなられた(時事ドットコムより)。
2007.11.12
変梃
変梃(変的、変哲〜へんてこ)というのは、あまり聞いた憶えも、使ったこともないが、言葉自体は知っていた。本日は、その言葉を聞いたことでもって、そののち、ヘンテコリンな気分が、わたくしを蓋っている(今も)。所用から、戻ると、10日に注文した『鴎外選集』が、もう届いていた。只今、読ませていただいている。そのことは、いずれ書きたい、また、変梃についても調べている。これもまた、いずれ。
2007.11.11
在庫あり
昨夜、寝る子(わたくし)が育っている間に、「白線流し」の在庫があるというメールを頂いた。本品400円(税込)、送料290円という。扱っているお店に出向くことを考えれば、送料は妥当だと考えるべきであろう。街に出たりしたら、どうせ、そこらの居酒屋に寄ってしまうのだから、消費税にこだわっていた意味がない。まだ、届いていないのに、あれこれと想っているうちに、同書のもととなっているドラマの挿入歌がスピッツ(公式サイトへ)というグループによる「空も飛べるはず」と知った。こんな、わたくしでも何度か耳にしたことのある曲であり、今、あらためて、試聴してみると(SPITZ “CYCLE HIT”1991−1997より試聴可・・・いつまでかは分からないけれど)、確かに、記憶の中にあるメロディであった。何度も聴きながら、その余韻を週明けまで、届くまで、残しておこうかと、耳を清ましている。
2007.11.10
こしょこしょ
3コ前に書いた「白線探し」でふれたが、『白線流し』の小説本(脚本のノベライズ版)を古書ネットで探し、注文した。在庫確認しますというメールが届き、その結果を待っているところである。送料はまだ分からないが、本品は「400円」、ただし、税前か後かが明記されていないので、とても不安である。コチラのコショは、まぁ、ついでに読んでみようかという気もちが強いので、税込なのか、そうでないかということに、とても敏感になっている。そもそも、ドラマ自体も見ていないのであるが、プラットホームの白線か黄色線かに気をとられていたら、コッチの方も気になってしまっただけのことである。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で、ドラマのあらすじをみると、舞台は飛騨ではなく、松本に置き換えられている。飛騨と書いたけれども、以前は斐太といわれた(高校も同じ表記である)。あるいは、斐陀とも記す。大化の改新(645年)以前か、その頃にあった国造(くにのみやつこ)のひとつでもある。文字面だけをみていても、惹かれてしまう。白線流しのロケ地は松本と書いたけれども、飛騨と信州は山(峠)をはさんでお隣であり、似ていなくもない、と、勝手に思っている。ちなみに、科野が信州の国造当時の呼称である(現在の諏訪湖地方は須羽と称した)。ずっと、飛んで・・・、大分県日田にも想いは馳せていくけれども、今は、白線流しの在庫があるのを願うばかりである。いずれ、“ひだ”も含めて、記したいと思う。
そして、もうイッコ、以前から、読んでみたいというコショがあって、コッチを、ようやく、見つけることもできた。森鴎外翁の選集のある巻に所蔵されており、これまでも、ネットや古書店または一般の書店に寄り、探してはいたが、なかった。コチラは在庫ありというお返事と発送しますというご連絡を頂いており、来週中にも届きそうで、楽しみにしている。コレについても、いずれ。
本日は、古書店をアッチコッチめぐっていた。ネットの中だから、カサもコオトも必要ない。
そして、もうイッコ、以前から、読んでみたいというコショがあって、コッチを、ようやく、見つけることもできた。森鴎外翁の選集のある巻に所蔵されており、これまでも、ネットや古書店または一般の書店に寄り、探してはいたが、なかった。コチラは在庫ありというお返事と発送しますというご連絡を頂いており、来週中にも届きそうで、楽しみにしている。コレについても、いずれ。
本日は、古書店をアッチコッチめぐっていた。ネットの中だから、カサもコオトも必要ない。
2007.11.09
寝る子は育つ、しかも肥らない、らしい
ネットニュースを眺めていたら、「時事ドットコム」(07年11発6日付)に「よく寝る子は肥満になる確率が低いとの調査結果が米小児科学会より発表された」という記事があった。『寝る子は育つ』とは聞くが、肥らないというのは、新説(初耳)である。ただ、育つと肥るには似たところもあり、何もせず、ただ寝ているばかりでは、肥るはずであるとも思う。
手許の『暮らしの中のことわざ辞典』(折井英治氏編/集英社)で調べてみると、
[よく眠る子はすくすくと大きくなる。人間は一生の中で三分の一は眠っているが、乳児は一日の大部分を眠っている」と説明がされている。
この辞典は全体にシュールで、例えば、「寝る子は・・・」のひとつ前は「根も歯もない」であるが、その解説は、「全然でたらめなうわさのこと。根も葉もなくては植物は生きられないが、ひろい植物界には葉のない植物や根のない植物もある。ラフレシア・アーノルディは、直径1メートルもある花をつけるのに、根も葉もなくて、、ヤブガシラの類に寄生している。」とある。これに準拠すると、根も葉もない噂も、あながちでたらめではないという意味にもとれる。編者は農学博士ということもあり、ソッチ系の諺には自ずと力が入ってくる。例えば、「匂松茸味しめじ」では、(少しが長いが引用すると)、「キノコには食用になるものと有毒なものとがあるが、日本で今まで(筆註;初版は1962年)知られているキノコは一千種くらいで、その大部分は食用になるか無毒である。一般にたいして栄養価のあるものではないが、秋の味として珍重される。その中でもっとも香りの高いのはマツタケで、もっとも美味なのはシメジだとされているが、どちらも地中の植物の根に菌根を形成するものだから人工培養はむずかしい。」と、読んでいるうちに、ことわざ辞典であることを忘れさせてくれる。
さて、(同辞典の)寝る子は育つの項に、類諺(類語)として、『寝る子は太る』とある。残念ながら、これについての言及はないのであるが、上記、米学会の説とは真反対の意味合いである。寝る子は育つは寝る子は肥るであり、それが少なくとも、ことわざ学会における“常識”であったが、米学会によって覆されたことになるのである。はたして、どちらが正しいのであろうか。結果は両学会の喧々諤々を待つしかない。
いずれにしても、博士が仰言るように一生の1/3は眠りの中にある。そういうことを考えていると、“残り”時間ということを、余計に意識することになる。一生というのは生き物によって、また、個々によって差異があるけれども、例えば、人間でいえば80年ぐらいか、それが終わると、また、場合によっては、その前というのは、ある意味、眠り100%に近いとも考えることができる。(乳児がよく眠るのは、前の習慣がまだ抜けきっていないためかもしれない)だからなのか、只今は、老後への執着がアチコチにあって、第二の人生を真摯に考え、実践していらっしゃる方も大勢いるのであろう。何せ、どう勉めても、寝ないわけにはいかないのだから、残り時間は大切なのである。
山口大学に時間学研究所というのがあって、今月末には東京でイブニングセミナーも開かれるという。(詳しい内容はコチラから)同サイトをみていると、おおよそ、時間を、「宇宙の時間」、「地球の時間」、「人間の時間」と分類し、さらに、「時間そのもの」を学び、知り、想うことが趣旨であるらしい。タイトルだけで判断してはいけないけれども、ナカナカ面白そうである。ちょっと、行けそうもないが、申し込みだけでもしようかと、ちょっと、迷っている。ま、どうせ、行けない(行かない)確率が高いので、もっと、まじめな方に行って頂くために、無駄に定員を少なくすることもないのであろう。
『時は金なり』とある。それほど、時間は貴重であると、誰もが意識している。
博士の解説では、
「時間は貴いものであるからむだに過ごしてはならぬということ。時間を有効に使って勉強すれば必ず成功する。」
全然、シュールではない。
手許の『暮らしの中のことわざ辞典』(折井英治氏編/集英社)で調べてみると、
[よく眠る子はすくすくと大きくなる。人間は一生の中で三分の一は眠っているが、乳児は一日の大部分を眠っている」と説明がされている。
この辞典は全体にシュールで、例えば、「寝る子は・・・」のひとつ前は「根も歯もない」であるが、その解説は、「全然でたらめなうわさのこと。根も葉もなくては植物は生きられないが、ひろい植物界には葉のない植物や根のない植物もある。ラフレシア・アーノルディは、直径1メートルもある花をつけるのに、根も葉もなくて、、ヤブガシラの類に寄生している。」とある。これに準拠すると、根も葉もない噂も、あながちでたらめではないという意味にもとれる。編者は農学博士ということもあり、ソッチ系の諺には自ずと力が入ってくる。例えば、「匂松茸味しめじ」では、(少しが長いが引用すると)、「キノコには食用になるものと有毒なものとがあるが、日本で今まで(筆註;初版は1962年)知られているキノコは一千種くらいで、その大部分は食用になるか無毒である。一般にたいして栄養価のあるものではないが、秋の味として珍重される。その中でもっとも香りの高いのはマツタケで、もっとも美味なのはシメジだとされているが、どちらも地中の植物の根に菌根を形成するものだから人工培養はむずかしい。」と、読んでいるうちに、ことわざ辞典であることを忘れさせてくれる。
さて、(同辞典の)寝る子は育つの項に、類諺(類語)として、『寝る子は太る』とある。残念ながら、これについての言及はないのであるが、上記、米学会の説とは真反対の意味合いである。寝る子は育つは寝る子は肥るであり、それが少なくとも、ことわざ学会における“常識”であったが、米学会によって覆されたことになるのである。はたして、どちらが正しいのであろうか。結果は両学会の喧々諤々を待つしかない。
いずれにしても、博士が仰言るように一生の1/3は眠りの中にある。そういうことを考えていると、“残り”時間ということを、余計に意識することになる。一生というのは生き物によって、また、個々によって差異があるけれども、例えば、人間でいえば80年ぐらいか、それが終わると、また、場合によっては、その前というのは、ある意味、眠り100%に近いとも考えることができる。(乳児がよく眠るのは、前の習慣がまだ抜けきっていないためかもしれない)だからなのか、只今は、老後への執着がアチコチにあって、第二の人生を真摯に考え、実践していらっしゃる方も大勢いるのであろう。何せ、どう勉めても、寝ないわけにはいかないのだから、残り時間は大切なのである。
山口大学に時間学研究所というのがあって、今月末には東京でイブニングセミナーも開かれるという。(詳しい内容はコチラから)同サイトをみていると、おおよそ、時間を、「宇宙の時間」、「地球の時間」、「人間の時間」と分類し、さらに、「時間そのもの」を学び、知り、想うことが趣旨であるらしい。タイトルだけで判断してはいけないけれども、ナカナカ面白そうである。ちょっと、行けそうもないが、申し込みだけでもしようかと、ちょっと、迷っている。ま、どうせ、行けない(行かない)確率が高いので、もっと、まじめな方に行って頂くために、無駄に定員を少なくすることもないのであろう。
『時は金なり』とある。それほど、時間は貴重であると、誰もが意識している。
博士の解説では、
「時間は貴いものであるからむだに過ごしてはならぬということ。時間を有効に使って勉強すれば必ず成功する。」
全然、シュールではない。
2007.11.08
古書店にて
所用の帰りに中古書店屋さんに寄った。白線流しを探したが、なかった。そのことは、同社のネット版でも確認していて、ないことは分かっていたけれども、念のため、探してみた。もちろん、なかった。そのかわり、探していた、ある雑誌を見つけ、購入した。ついでにというわけではないが、手許に置きたいと、古語辞典を探すと、結構あって、2冊を求めた。いずれも、複数あって、同じ内容、版なのに、価格が10倍以上異なっていた。当然ながら、もっとも安い「105円」を選んだ。左側が「最新詳解古語」(佐藤定義氏編/明治書院)、最新といっても、8版平成10年1月10日とある。そして、他の冊は「新明解古語辞典 第三版」(金田一京助氏監修、春彦氏編者代表/三省堂)である。ちなみに定価(当時、税別)は前者が2,000円、後者は2,621円(税込2,700円、消費税3%時代で、96=平成8年12月1日発行、第6刷とある)
[各105円也]

特に、「詳解古語」の方は、その店だけで4冊あって、同じ内容、版数でも、売り値が大きく違っているところに、あらためて、この店の凄さを感じさせられた。とはいえ、見た目には、10数倍の違いは素人には分からないので、店の方に確かめてみたい気もしたけれども、それでもって、では、1,000円で、などといわれるのも困るので、さっさと精算していただいて、街(店外)に出た。買い求めた2冊の違いはと問われても、答えることがむずかしい、一方は詳解で、もうイッコは明解です・・・だろうか。試しに、『嵐山(あらしやま)』を見較べてみよう。詳解の方は、「山城の国(=京都府)にあり、紅葉の名所。大堰(おおい)川を隔てて、小倉山に対する」、と、なんだか、地理っぽい意味では詳解である。一方、明解は、「歌枕の一つ。京都市西京区嵐山にある山。『朝まだき嵐の山の寒ければもみぢの錦着ぬ人ぞなき(拾遺・秋)』とあり、コッチのほうが詳しいように思えるけれども、明解という点では前者に劣っているような気もする。引用される歌などは、[嵐山]に限っていえば、明解の方だけにあるが、詳解もナカナカで、「これでもか」というほどに、明解を遥かに上回る数でもって、引用している語句(古語)も多々ある。
いずれも、全ての頁を眺めるには、それなりの時間を要しそうであり、並べてみるとなると、ちょっと、見込みが立たない。
本日は立冬らしい、錦とはいかないかもしれないけれども、ひと重ね、多く羽織って、風邪など召さぬよう、皆様、お気をつけください。わたくしは、風邪ではなく、花粉症で参っている。
[各105円也]

特に、「詳解古語」の方は、その店だけで4冊あって、同じ内容、版数でも、売り値が大きく違っているところに、あらためて、この店の凄さを感じさせられた。とはいえ、見た目には、10数倍の違いは素人には分からないので、店の方に確かめてみたい気もしたけれども、それでもって、では、1,000円で、などといわれるのも困るので、さっさと精算していただいて、街(店外)に出た。買い求めた2冊の違いはと問われても、答えることがむずかしい、一方は詳解で、もうイッコは明解です・・・だろうか。試しに、『嵐山(あらしやま)』を見較べてみよう。詳解の方は、「山城の国(=京都府)にあり、紅葉の名所。大堰(おおい)川を隔てて、小倉山に対する」、と、なんだか、地理っぽい意味では詳解である。一方、明解は、「歌枕の一つ。京都市西京区嵐山にある山。『朝まだき嵐の山の寒ければもみぢの錦着ぬ人ぞなき(拾遺・秋)』とあり、コッチのほうが詳しいように思えるけれども、明解という点では前者に劣っているような気もする。引用される歌などは、[嵐山]に限っていえば、明解の方だけにあるが、詳解もナカナカで、「これでもか」というほどに、明解を遥かに上回る数でもって、引用している語句(古語)も多々ある。
いずれも、全ての頁を眺めるには、それなりの時間を要しそうであり、並べてみるとなると、ちょっと、見込みが立たない。
本日は立冬らしい、錦とはいかないかもしれないけれども、ひと重ね、多く羽織って、風邪など召さぬよう、皆様、お気をつけください。わたくしは、風邪ではなく、花粉症で参っている。
2007.11.05
白線探し
気になっていたプラットホームの白線・黄色線を所用の際利用した東海地方の民鉄会社でも撮っておいた。同じ、会社でも駅によって、異なっており、どういう基準でもって、決められているのか、あるいは、基準があるのかないのか、よく分からないが、いずれにしても、黄色線が防波堤、最前線(“危ないですから、黄色い線の内側に下がってください”)になっているのは、やはり、危ないと思う。
[T鉄道・MT駅は白線あり]

[M鉄T駅は黄色線のみ]

[しかし、M鉄N駅には白線が]

ふと、思いついて、駅上にある書店に駆け込んで、「白線流し」というドラマなどにもなった書籍(脚本のノベライズ版?)を検索してみたが、当該書は絶版とあり、関連作品も在庫がなかった。現在の岐阜県立斐太(ひだ)高校で受け継がれてきた卒業生の儀式を描いている。宿に戻って、ネット検索すると、中古本を販売していた。読んでみようか、な。(詳しくは、コチラ/同校サイトで、どうぞ)
ちなみに、わたくしは、高校の卒業式をサボって、呆けていた。また、入学式はかなり遅刻して、式の終わりごろに、ようやく間に合った。(^_^メ)
[T鉄道・MT駅は白線あり]

[M鉄T駅は黄色線のみ]

[しかし、M鉄N駅には白線が]

ふと、思いついて、駅上にある書店に駆け込んで、「白線流し」というドラマなどにもなった書籍(脚本のノベライズ版?)を検索してみたが、当該書は絶版とあり、関連作品も在庫がなかった。現在の岐阜県立斐太(ひだ)高校で受け継がれてきた卒業生の儀式を描いている。宿に戻って、ネット検索すると、中古本を販売していた。読んでみようか、な。(詳しくは、コチラ/同校サイトで、どうぞ)
ちなみに、わたくしは、高校の卒業式をサボって、呆けていた。また、入学式はかなり遅刻して、式の終わりごろに、ようやく間に合った。(^_^メ)
2007.11.03
だんごとエーサー
本日は袋井市法多山(はったさん)尊永寺境内において、「第1回どまん中ふくろい全国だんごまつり」が催された。全国各地から集まった“だんご兄弟”や、静岡県内の特産品などが取り揃えられ、盛況のうちに、終了した。(感謝)その中に、エーサーがあった。沖縄で、まだエーサーの中にいたことはなかったので、他の時間はいろいろと気になることを見て回っていたりしていたけれど、この時ばかりは違った。間近に寄って、心は、その踊りと音曲の中に飛び込んでいた。
だんごとエーサーは、もちろん、つながっていないけれども、
つながっている。
[エーサーInだんごまつり]

だんごとエーサーは、もちろん、つながっていないけれども、
つながっている。
[エーサーInだんごまつり]
