2008.01.31
仙台四郎
いずれ、記していく(書き途中)つもりであるが、神町(じんまち;山形県東根市)にうかがった。あとで、電子地図でもって、調べると、5キロぐらい、うろちょろしていたようである。ある程度、予想していたけれども、駅には荷物預かり箱はなく、パソコンほかが詰まったリュックを肩に負担をかけながら歩いた。おそらく、肩胛骨が回復していなかったら、この距離は不可能であったであろう。ただ、悪いことばかりではなかった。靴底のすり減ったスニーカーであったので、「山形」に入ってからは、注意していても、何度か滑りそうに歩いていたが、背の荷物がちょうどうまい具合に重しとなって、神町では調子がよかった。一度も、足元をとられることもなく、二度ほど、途中休憩で、身体を(重みから)開放するだけで済んだ。歩いたあげく、少し、暖まろうと、食堂を探したが、少ないうえに、どこも閉まっている。あいにく、定休日というお店も目立った(1月28日の月曜日)。神町小学校の脇に何軒かお店があって、最初に見つけ、暖簾のかかった状態を確認したあと、念のため、駅に向かう大きな通りまで出てみた。途中、ほかに2件ほど(お店が)見えたし、通りに出れば、あるかもしれないという見込み違いをして、結局、最初に眼をつけた食堂に。14時ごろだったか、「初め」の時にもいらっしゃった男性二人が店先で相変わらずお話されていて、実をいうと、最初に見かけたときに、そのことが気になって、そこに近づくことができなかった。なんとなく、後ろめたいというか、面倒くさいというか、これ(わたくし)でも、人見知りぐらい、するのである。渋々、その脇を通り、お店の引き戸を、・・・引けない、覗き込むと、店内は暗い・・・、暖簾は確かにかかっている。ここでも幸いした、(勝手に)人見知りされた男性の一人が、怪訝そうに、こちらを見て、わたくしが、戸が開かないのですが、休みですかねぇ、と、小声で訊くと、「え,」という感じでもって、あわてて、隣合わせの建物の合い間に駆け、入っていった。良くみると、食堂とわずかに離れた建物には同じ屋号で、テント屋さんとある。ご夫婦なのであろうか、内側から、灯りがついて、戸が引かれた。ご主人(?)が「どうぞ」と招き入れてくださって、中に。しばらくすると、奥様(?)が厨房の奥のほうから、いらっしゃいと、かけてくださって、どうやら、定休日ではないらしい。三つある卓の真ん中に座って、お品書きから、迷わず、「鍋焼きうどん」を頼んだ。山形は「そば」どころでもある。昨日、うかがった村山市もそうだし、これから、うかがう山形市にも板そばはじめ、よだれが出そうな場所ばかりである。しかし、その際の、わたくしには、鍋焼きしか、心も、身体も、思いつかなかった。
一息(ひと暖まり)ついて、店内を眺めていると、奥の方に古い(モノクロームの)一枚の写真に眼がとまった。右を前に、腕組みをし、笑っており、髪型は丸刈りの中年男性である。このお店の創始者のお方かなんかだろうかという、ま、いい加減な気もちでもって、残っている鍋を食べ終わり、お礼をいって、山形行きの電車に向かった。
時間は数時間、経っている。山形市で入ったお店は玄関先で靴を脱ぎ、お座敷かカウンターを選ぶことになる。店構えから察するところ、もとは、スナックであったのであろう、周りのお店にもそういう雰囲気が多く、ここへ来るすがらにも、おにぃちゃんに声をかけられた。お店の人は、もう、寂しくなってね、(たいていのお店は)ほかへ移っていったというし、あとから来られたお客さんは、(郷土料理を食べたいから)と、おにぃに聞いて、ここを知ったと、山形の街もずいぶん、変化しているのであろう。駅の「裏口」がずいぶんと賑わしくなっており、ホテルがポンポンといくつも建っているらしい。靴を脱ぎ、ひとりだから、もちろん、カウンターに座らせていただくと、足元が暖かくて、聞くと、床暖房らしい。右隅に先客がいらして、当然ながら、左端に、わたくし(あとで、来られた方は、ちょうど中付近にお座りになる。たまたま、一人客ばかりであったので、この距離感を皆が守っていた)。寒いのに、また、ビールを頼み、東根の焼き鳥屋さんで、ごちそうになって、憶えたばかりの「青菜漬け」を頼む。鳥屋のご主人は、確か、(母がこしらえた)セイサイ漬けと仰言っていた。この時季、野沢菜が美味しいが、高菜に近い、と、山形のお店の方に教えていただいた。ほかに、芋煮、ペソラ、凸凹※、ふにゃらと、あったけれども、頼まず、好きなイカ刺し(お造り)をいただいた。御通しもイカであって、ダイコンとサトイモで炊いていて、量も多く、それだけでも十分のような気もしたけれど、イカつながりで刺しと、セイサイを思わず頼んでしまった。失礼だけれども、スキーと樹氷を娯しみに来られたという二人目の真ん中席の方に、「食べ残しの」セイサイを食べていただいた。すべてが、わたくしの胃には多い。
カウンター越しに、ふと、顔を挙げると、そこに、今昼、みた、お写真があって、はっとした。
「どなたですか」と訊くと、
『仙台四郎さんです』と答えが返ってきた。
仙台四郎さんについては、名前をどこかで聞いたことがあるかないか程度で、まったく知らないといってよい存在である。以下、お店の方のご説明を引用すると、
「仙台四郎さんは、お客さんを呼ぶということから、ウチのような飲食店では商売繁盛を願って、《こうして》、掲げている処が多いのですよ」
と、写真の右隣には別にキーホルダーのような“のと”、お札があった。
「宮城(仙台)が中心ですけど、山形にも普まって来たようですよ」と、それ(飾る・掲げるの)が、当たり前のような口ぶりで、ご丁寧に教えてくださった。
[仙台四郎さんの画像](ノビシステムズコーポレーションのサイトより)
わたくしは左利きなので、腕組みすると左が前に来る、その時もそのようにして、四郎さんを見つめていたが、自分の腕に力が入っているのがよく分かり、周りを拒絶しているような様(さま)であるけれども、写真に居る四郎さんも同じように組んでいる(右が前)のであるが、まったく、力が入っていないようで、人を招く(呼び寄せる)雰囲気を感じることができるし、わたくし自身も寄せられていた。
時間をもう一度進める。翌日、所用でもって仙台に向かい、終わると、四郎さんのご安置の処という三瀧山不動院に向かった。もちろん、四郎さんについては知らなかったので、ネットで調べた。さんざん、道を迷ったあげくに、携帯で再び調べなおして、住所を確認し、お不動さんにたどり着いた。クリスロード商店街という青葉通りの一丁北にある通りに潜っそりとある。ただし、通り自体は賑やかしい。その延長感が浸っていて、実をいうと、少し、滅入った気持ちでもって、そこをお暇した。それはそれで、信心深い方たちにとっては在り難い場所なのかもしれないけれども、特に信心もない、わたくしには、新京極の修学旅行生相手のお土産屋さんとの違いが判断できなかった。できない、わたくしが悪いのであるけれども。
[クリスロード商店街のサイト]
[三瀧山不動院のサイト]※仙台四郎さんについて
翌日、東京に戻るチケットを駅に着いて、1時間後と設定していたので、ろくに回ることもできないと分かりながら、仙台駅構内の書店を覘いたが、四郎さんがらみの書籍を手許に置くことはできずに、かわりに、神町で求めた阿部和重さんの「グランド・フィナーレ」を仙台発各駅停車の14時11分「MAXやまびこ216号」に乗って、読み了えた。
一息(ひと暖まり)ついて、店内を眺めていると、奥の方に古い(モノクロームの)一枚の写真に眼がとまった。右を前に、腕組みをし、笑っており、髪型は丸刈りの中年男性である。このお店の創始者のお方かなんかだろうかという、ま、いい加減な気もちでもって、残っている鍋を食べ終わり、お礼をいって、山形行きの電車に向かった。
時間は数時間、経っている。山形市で入ったお店は玄関先で靴を脱ぎ、お座敷かカウンターを選ぶことになる。店構えから察するところ、もとは、スナックであったのであろう、周りのお店にもそういう雰囲気が多く、ここへ来るすがらにも、おにぃちゃんに声をかけられた。お店の人は、もう、寂しくなってね、(たいていのお店は)ほかへ移っていったというし、あとから来られたお客さんは、(郷土料理を食べたいから)と、おにぃに聞いて、ここを知ったと、山形の街もずいぶん、変化しているのであろう。駅の「裏口」がずいぶんと賑わしくなっており、ホテルがポンポンといくつも建っているらしい。靴を脱ぎ、ひとりだから、もちろん、カウンターに座らせていただくと、足元が暖かくて、聞くと、床暖房らしい。右隅に先客がいらして、当然ながら、左端に、わたくし(あとで、来られた方は、ちょうど中付近にお座りになる。たまたま、一人客ばかりであったので、この距離感を皆が守っていた)。寒いのに、また、ビールを頼み、東根の焼き鳥屋さんで、ごちそうになって、憶えたばかりの「青菜漬け」を頼む。鳥屋のご主人は、確か、(母がこしらえた)セイサイ漬けと仰言っていた。この時季、野沢菜が美味しいが、高菜に近い、と、山形のお店の方に教えていただいた。ほかに、芋煮、ペソラ、凸凹※、ふにゃらと、あったけれども、頼まず、好きなイカ刺し(お造り)をいただいた。御通しもイカであって、ダイコンとサトイモで炊いていて、量も多く、それだけでも十分のような気もしたけれど、イカつながりで刺しと、セイサイを思わず頼んでしまった。失礼だけれども、スキーと樹氷を娯しみに来られたという二人目の真ん中席の方に、「食べ残しの」セイサイを食べていただいた。すべてが、わたくしの胃には多い。
カウンター越しに、ふと、顔を挙げると、そこに、今昼、みた、お写真があって、はっとした。
「どなたですか」と訊くと、
『仙台四郎さんです』と答えが返ってきた。
仙台四郎さんについては、名前をどこかで聞いたことがあるかないか程度で、まったく知らないといってよい存在である。以下、お店の方のご説明を引用すると、
「仙台四郎さんは、お客さんを呼ぶということから、ウチのような飲食店では商売繁盛を願って、《こうして》、掲げている処が多いのですよ」
と、写真の右隣には別にキーホルダーのような“のと”、お札があった。
「宮城(仙台)が中心ですけど、山形にも普まって来たようですよ」と、それ(飾る・掲げるの)が、当たり前のような口ぶりで、ご丁寧に教えてくださった。
[仙台四郎さんの画像](ノビシステムズコーポレーションのサイトより)
わたくしは左利きなので、腕組みすると左が前に来る、その時もそのようにして、四郎さんを見つめていたが、自分の腕に力が入っているのがよく分かり、周りを拒絶しているような様(さま)であるけれども、写真に居る四郎さんも同じように組んでいる(右が前)のであるが、まったく、力が入っていないようで、人を招く(呼び寄せる)雰囲気を感じることができるし、わたくし自身も寄せられていた。
時間をもう一度進める。翌日、所用でもって仙台に向かい、終わると、四郎さんのご安置の処という三瀧山不動院に向かった。もちろん、四郎さんについては知らなかったので、ネットで調べた。さんざん、道を迷ったあげくに、携帯で再び調べなおして、住所を確認し、お不動さんにたどり着いた。クリスロード商店街という青葉通りの一丁北にある通りに潜っそりとある。ただし、通り自体は賑やかしい。その延長感が浸っていて、実をいうと、少し、滅入った気持ちでもって、そこをお暇した。それはそれで、信心深い方たちにとっては在り難い場所なのかもしれないけれども、特に信心もない、わたくしには、新京極の修学旅行生相手のお土産屋さんとの違いが判断できなかった。できない、わたくしが悪いのであるけれども。
[クリスロード商店街のサイト]
[三瀧山不動院のサイト]※仙台四郎さんについて
翌日、東京に戻るチケットを駅に着いて、1時間後と設定していたので、ろくに回ることもできないと分かりながら、仙台駅構内の書店を覘いたが、四郎さんがらみの書籍を手許に置くことはできずに、かわりに、神町で求めた阿部和重さんの「グランド・フィナーレ」を仙台発各駅停車の14時11分「MAXやまびこ216号」に乗って、読み了えた。
2008.01.28
もがみ・もがき
昨日から山形にいる。村山、東根と「下り」、ただ今は県都に。予報の賭け(比較的穏やかな天候)には勝ったけれども、歩く足どりはヨチヨチである。相変わらず、呑んでいるが、(呑む前から)帰りの足許が気になって、仕方がない。幸いなことに、そこを訪ねるということは、初めてにせよ、二度目以降でも、その分、知らないことが、たくさん、あらわれてくる。楽しくて、仕方がない。いずれも、また。
2008.01.26
神の町
明日から所用でもって、山形、仙台と訪ねる。数日来の辛い(大変な)降・積雪も明日あたりから小康状態になるというので、ひと安心している。ただ、やはり、寒いらしく、日中でも3〜4℃で、もちろん、北及び内陸に入り込むほど厳しいので、多少は覚悟している。標題の神の町は、宗教とは一切関係はない、「神町」といって、じんまち、と読む。空男君、ソラ子さん(あるいは、テツ氏族も)であれば、!と来るかもしれないけれども、直前(西側)に山形空港が並ぶ奥羽本線の小駅である(駅と滑走路までの距離は数百メートル)。99年に(通称)山形新幹線(山形までは92年)が新庄まで延伸されたけれども、この駅には停まらない。また、眼前の空港へは(空港ごと)大きく迂回しないと、行くこともできない。
神町については、以前から、興味があって、今も、東南側に広大な陸上自衛隊の駐屯地が残っているけれども、只今の空港周辺は旧海軍のモノであり、敗戦後(⇒このような表現が1945年を前後に分けるという所作のことなのであろう、拙ブロ「年表・年裏」08年1月21日付)、進駐軍が留まり、64年に神町空港として、「開放」され、翌年には山形空港と改称されている。(「山形空港の概要」山形空港事務所)
阿部和重(あべ・かずしげ)さんという方がいらっしゃり、「グランド・フィナーレ」で第132回芥川賞を受けられている(04年後期)。神町のご出身であり、前作を含め、このあたりにこだわっておられる。残念ながら、一作も読んだことがないので、できれば、神町あたりの書店(あるかどうかは確認できていないけれども、せめて、東根市内あるいは県内)で求めて、仙山線(方向からいえば、山仙線か?)の中で、と思っている。
[阿部和重さんのオフィシャル・ウェブ・サイト]
神町へは、ほかを訪ねるついでに、駅あたりから、空港または航空機でも眺めてみようかと、簡単に思っていたのだけれども、(事前に)電子地図上を歩いていると、どうしても、少し時間をとってみたい気になっている。所用との兼ね合いであるが、もちろん、ソッチを優先させたい。予報に賭けるしかない。
神町については、以前から、興味があって、今も、東南側に広大な陸上自衛隊の駐屯地が残っているけれども、只今の空港周辺は旧海軍のモノであり、敗戦後(⇒このような表現が1945年を前後に分けるという所作のことなのであろう、拙ブロ「年表・年裏」08年1月21日付)、進駐軍が留まり、64年に神町空港として、「開放」され、翌年には山形空港と改称されている。(「山形空港の概要」山形空港事務所)
阿部和重(あべ・かずしげ)さんという方がいらっしゃり、「グランド・フィナーレ」で第132回芥川賞を受けられている(04年後期)。神町のご出身であり、前作を含め、このあたりにこだわっておられる。残念ながら、一作も読んだことがないので、できれば、神町あたりの書店(あるかどうかは確認できていないけれども、せめて、東根市内あるいは県内)で求めて、仙山線(方向からいえば、山仙線か?)の中で、と思っている。
[阿部和重さんのオフィシャル・ウェブ・サイト]
神町へは、ほかを訪ねるついでに、駅あたりから、空港または航空機でも眺めてみようかと、簡単に思っていたのだけれども、(事前に)電子地図上を歩いていると、どうしても、少し時間をとってみたい気になっている。所用との兼ね合いであるが、もちろん、ソッチを優先させたい。予報に賭けるしかない。
2008.01.23
CURRENT MOON 〜 まん丸・まめや名月
昨夜はひさしぶりに、「まめや」さんにうかがった。お店の前にようやく吊り下げられた堤燈がなんとも暖かい。お店の中に入ると、真新しいメニュー表もあって、なんだか、お二人とも、前にも増して、お若くなっていらして、すべてが、「新装」されている。
近々、ゆし豆腐そばなどのランチを始められるそうである。
帰り道、残念ながら、お月様は隠れていたけれども(新装の準備かもしれない)、拙ブロ右上のCURRENT MOONをみると、満月の夜、豆名月は、もう、とっくの昔のことであるけれども、わたくしにとっては、「まめや名月」の夜である。
ありがとうございます、また、うかがいます。
近々、ゆし豆腐そばなどのランチを始められるそうである。
帰り道、残念ながら、お月様は隠れていたけれども(新装の準備かもしれない)、拙ブロ右上のCURRENT MOONをみると、満月の夜、豆名月は、もう、とっくの昔のことであるけれども、わたくしにとっては、「まめや名月」の夜である。
ありがとうございます、また、うかがいます。
2008.01.22
ビタミ(か)ン・・・VITAMI(CA)N
わたくしのアンパンマン状態はどうやら峠を越えたらしい( ^)o(^ )。昨日(21日)は、首都圏都市部でも降雪および積雪の(誤)報があったけれども、峠あたりでは大変であっただろう、とても、越せない、と、チェーンをタイヤに巻く人たちが、あちこちにいらっしゃる光景が浮かぶ。もう、ずいぶん前の話であるが、北関東のある山岳部へ所用で出かけた帰りに、すさまじい雪に見舞われ、道のそこらじゅうでスリップしている車が。当方の運転者もあわてて、車の後部に回り、チェーンをと思ったのだけれど、ない。大変な思いをしたことがある。
さて、わたくしの峠越えはチェーンではなく、蜜柑(みかん、ミカン)である。昨日、アンパンマンのまんま、外へ出て、求めてきた。これが、安いくせに、甘くて、美味しい。蜜柑というのは、観た眼や値段でもって、その味を推し量ることが難しい。スイカのように、こんこん、ともいかず、ブドウのように、こっそり、ひと粒試食もできない。もちろん、ビタミン不足を補って、一刻も早く、復刻しなければいけないので購入した。本日は所用で出かけるが、ほとんどが初対面の方(かた)なので、(こういう顔です)と、「顔」で、主張しておきさえすれば、どうということはないのだけれども、やはり、つまらないコダワリもある。どうやら、なんとか、なりそうな気配である。
さて、くだらない話はここまでとして、ここからは、少し、まじめに(といっても、くだらないけれども)。久しぶりに、ブログトコラボ(第2回)を試してみたい。昨日、ピクシーさんも再来日された。本田君もオランダで頑張っている。第1回は昨シーズンのJリーグを扱っているので、もし、よろしければ、「ここ」から、どうぞ。今月の15日に本郷あたりをさ迷っていたけれども(拙ブロ「壱岐殿坂そばあたり」08年1月15日付)、ずいぶん立派な建物があり、それが、JFAの「自社」ビル(JFAハウス)であると、予め調べていたので、すぐ分かった。中には《2002 FIFAワールドカップ記念 日本サッカーミュージアム》があるとあったが、あいにく、その日からメンテナンス休業ということであったので、立ち寄ってはいないが、タテモノは、ズイブン、リッパそうである。Jリーグは加盟チーム(デビジョン1が18チーム、2が13チーム、ただし、08年シーズンからJ2は岐阜、熊本が加わり15チームとなる)から、それぞれ入会金および年会費を徴収している。単純にあわせると、年会費のみで年間10億円を超える。さらに、今シーズンは先の新加入(岐阜・熊本)から入会金も入る・・・。JリーグならびにJFAも、なかなか、である。
【Jリーグ規約】
第20条の3〔入会金および会費〕※PDFファイルの16ページ
。複吋ラブは,Jリーグに対し,次に定める入会金および会費(年会費)を納入しなけれ
ばならない.
(1)入会金 金6,000万円
(2)会費 金4,000万円
■複殴ラブは,Jリーグに対し,次に定める入会金および会費(年会費)を納入しなけれ
ばならない.
(1)入会金 金2,000万円
(2)会費 金2,000万円
J2クラブがはじめてJ1クラブとなる場合には,第1項第1号に定める入会金を承認日
から1ヶ月以内に別途納入しなければならない.
ぃ複吋ラブが降格によってJ2クラブとなる場合,入会金は発生しないものとする.
ィ淵ラブは,第1項第2号または第2項第2号に定める会費(年会費)を,当年の4月中に納
入しなければならない.
(※なお、Jリーグ準加盟には年会費120万円が必要である)[Jリーグ準加盟クラブ募集要領/2006年3月9日/(財)日本サッカー協会・(社)日本プロサッカーリーグ]より、4と5頁に。
○○○○○
かなり、それてしまった。戻す。
以前から、県庁所在地(都市)ごとの家計消費の傾向について、記してきたが、今回は、「ミカン」である。おそらく、!(ぴぃんぽ〜ん)と、予想がしやすい面もある。愛媛、和歌山、静岡でしょう、というのが、常識の線であろう、また、結果も、そのとおりであることには間違いはない。2006年産の収穫量(農林水産統計より)は、和歌山県がトップで、愛媛県、静岡県と続いており、「ミカン御三家」と考えても差し支えがないであろう。消費(00〜06年平均)も、松山市(愛媛)5,882円、和歌山市5,340円、静岡市5,340円(偶然であるが、和歌山市と同じ)と、もちろん全国平均(4,774円)を上回っている。ちなみにもっとも少ないのは那覇市(2,763円)である(シークヮーサーがあるさぁ〜)。
しかし、気になるのが、宇都宮市、冨山市、甲府市のいずれもミカンが盗れ獲れ(採れ)そうもない3都市で消費支出が高いことである。餃子、ブリ、ブドウというのは、上記3都市それぞれが全国ナンバーワン消費支出であるけれども、これらにミカンは合わない、一緒に、食べたいとは、思わない。
なぜ、なのか、実は分からない。只今、調査は継続中であるが、現時点では謎であり、とりあえず、「ミカン好きな県民性」でごまかすということも可能であるのかもしれない。
ところが、ふと、ミカンの二つ右(家計調査)をみると、オレンジというのがあって、こちらは、輸入品ということもあって、全体に消費額は少ない(00〜06年平均では全国平均、みかん4,774円、オレンジ522円である)。わたくしも、滅多に食べることはないけれども、冨山のかたはココでも健闘している。913円というのは、第二位の金沢市722円と較べても200円近く多い額となっている。冨山市とオレンジにはどういう関係があるのか、これもまた、ミカン以上に分からない事情である。
ミカンおよびオレンジと富山県については、昨夜から、いろいろと検めてみたが、ちょっと、分からない。富山県のかた、お教え願いたい、と同時に、継続して、調べてみたいと思う(行こうかしらん)。
参考までに、金額とともに、重量についても、家計調査のサイトから引っぱっておいた。こちらは04〜06年の3か年平均値であるが、金額および量を都市別に比較したデータである。
[都道府県庁所在市別ランキング(平成16〜18年平均)]
⇒[家計調査都市別ランキング「果物」]より※エクセル表
(みかん)
<金額;円>
全国 5,049
松山市 7,520
宇都宮市 6,591
津市 6,392
福井市 6,144
徳島市 6,064
・・・・・・・・・・・・・・・・
(7位)富山市 5,956
※御三家のうち、和歌山市、静岡市は直近3か年に致命的な3,000円台というのがあって、ランク落ちである。
<数量:g>
全国 15,795
松山市 25,988
徳島市 21,815
津市 21,286
宇都宮市 20,940
富山市 20,210
※やはり、富山県は上位にあった。
では、注目のオレンジであるけれども、以下のとおりである。 冨山市が金額、量ともにナンバーワンである。支出金額もさることながら、量がすごい。やはり、行くべきであろうか。今、富山は、もっとも旬(きときと)な時季でもある。>゜)))彡
(オレンジ)
<金額;円>
全国 599
富山市 1,207
名古屋市 938
松江市 895
金沢市 850
和歌山市 814
<数量:g>
全国 1,716
富山市 3,995
名古屋市 2,788
松江市 2,509
金沢市 2,369
青森市 2,261
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わたくしは南国方面生まれなので、ミカンとのつきあいも長い。そういう事情(よく、食べさせられた))もあって、最近では、すすんで食べようという気もちがない。せめて、こういう状態(アンパン・・・)の時にはと思い、求めてきたが、ひょっとすると、これが今季の食べ納めかもしれない。次のアンパン・・・時には、おそらく、もうミカンはマーケットにないのだから。
さて、わたくしの峠越えはチェーンではなく、蜜柑(みかん、ミカン)である。昨日、アンパンマンのまんま、外へ出て、求めてきた。これが、安いくせに、甘くて、美味しい。蜜柑というのは、観た眼や値段でもって、その味を推し量ることが難しい。スイカのように、こんこん、ともいかず、ブドウのように、こっそり、ひと粒試食もできない。もちろん、ビタミン不足を補って、一刻も早く、復刻しなければいけないので購入した。本日は所用で出かけるが、ほとんどが初対面の方(かた)なので、(こういう顔です)と、「顔」で、主張しておきさえすれば、どうということはないのだけれども、やはり、つまらないコダワリもある。どうやら、なんとか、なりそうな気配である。
さて、くだらない話はここまでとして、ここからは、少し、まじめに(といっても、くだらないけれども)。久しぶりに、ブログトコラボ(第2回)を試してみたい。昨日、ピクシーさんも再来日された。本田君もオランダで頑張っている。第1回は昨シーズンのJリーグを扱っているので、もし、よろしければ、「ここ」から、どうぞ。今月の15日に本郷あたりをさ迷っていたけれども(拙ブロ「壱岐殿坂そばあたり」08年1月15日付)、ずいぶん立派な建物があり、それが、JFAの「自社」ビル(JFAハウス)であると、予め調べていたので、すぐ分かった。中には《2002 FIFAワールドカップ記念 日本サッカーミュージアム》があるとあったが、あいにく、その日からメンテナンス休業ということであったので、立ち寄ってはいないが、タテモノは、ズイブン、リッパそうである。Jリーグは加盟チーム(デビジョン1が18チーム、2が13チーム、ただし、08年シーズンからJ2は岐阜、熊本が加わり15チームとなる)から、それぞれ入会金および年会費を徴収している。単純にあわせると、年会費のみで年間10億円を超える。さらに、今シーズンは先の新加入(岐阜・熊本)から入会金も入る・・・。JリーグならびにJFAも、なかなか、である。
【Jリーグ規約】
第20条の3〔入会金および会費〕※PDFファイルの16ページ
。複吋ラブは,Jリーグに対し,次に定める入会金および会費(年会費)を納入しなけれ
ばならない.
(1)入会金 金6,000万円
(2)会費 金4,000万円
■複殴ラブは,Jリーグに対し,次に定める入会金および会費(年会費)を納入しなけれ
ばならない.
(1)入会金 金2,000万円
(2)会費 金2,000万円
J2クラブがはじめてJ1クラブとなる場合には,第1項第1号に定める入会金を承認日
から1ヶ月以内に別途納入しなければならない.
ぃ複吋ラブが降格によってJ2クラブとなる場合,入会金は発生しないものとする.
ィ淵ラブは,第1項第2号または第2項第2号に定める会費(年会費)を,当年の4月中に納
入しなければならない.
(※なお、Jリーグ準加盟には年会費120万円が必要である)[Jリーグ準加盟クラブ募集要領/2006年3月9日/(財)日本サッカー協会・(社)日本プロサッカーリーグ]より、4と5頁に。
○○○○○
かなり、それてしまった。戻す。
以前から、県庁所在地(都市)ごとの家計消費の傾向について、記してきたが、今回は、「ミカン」である。おそらく、!(ぴぃんぽ〜ん)と、予想がしやすい面もある。愛媛、和歌山、静岡でしょう、というのが、常識の線であろう、また、結果も、そのとおりであることには間違いはない。2006年産の収穫量(農林水産統計より)は、和歌山県がトップで、愛媛県、静岡県と続いており、「ミカン御三家」と考えても差し支えがないであろう。消費(00〜06年平均)も、松山市(愛媛)5,882円、和歌山市5,340円、静岡市5,340円(偶然であるが、和歌山市と同じ)と、もちろん全国平均(4,774円)を上回っている。ちなみにもっとも少ないのは那覇市(2,763円)である(シークヮーサーがあるさぁ〜)。
しかし、気になるのが、宇都宮市、冨山市、甲府市のいずれもミカンが
なぜ、なのか、実は分からない。只今、調査は継続中であるが、現時点では謎であり、とりあえず、「ミカン好きな県民性」でごまかすということも可能であるのかもしれない。
ところが、ふと、ミカンの二つ右(家計調査)をみると、オレンジというのがあって、こちらは、輸入品ということもあって、全体に消費額は少ない(00〜06年平均では全国平均、みかん4,774円、オレンジ522円である)。わたくしも、滅多に食べることはないけれども、冨山のかたはココでも健闘している。913円というのは、第二位の金沢市722円と較べても200円近く多い額となっている。冨山市とオレンジにはどういう関係があるのか、これもまた、ミカン以上に分からない事情である。
ミカンおよびオレンジと富山県については、昨夜から、いろいろと検めてみたが、ちょっと、分からない。富山県のかた、お教え願いたい、と同時に、継続して、調べてみたいと思う(行こうかしらん)。
参考までに、金額とともに、重量についても、家計調査のサイトから引っぱっておいた。こちらは04〜06年の3か年平均値であるが、金額および量を都市別に比較したデータである。
[都道府県庁所在市別ランキング(平成16〜18年平均)]
⇒[家計調査都市別ランキング「果物」]より※エクセル表
(みかん)
<金額;円>
全国 5,049
松山市 7,520
宇都宮市 6,591
津市 6,392
福井市 6,144
徳島市 6,064
・・・・・・・・・・・・・・・・
(7位)富山市 5,956
※御三家のうち、和歌山市、静岡市は直近3か年に致命的な3,000円台というのがあって、ランク落ちである。
<数量:g>
全国 15,795
松山市 25,988
徳島市 21,815
津市 21,286
宇都宮市 20,940
富山市 20,210
※やはり、富山県は上位にあった。
では、注目のオレンジであるけれども、以下のとおりである。 冨山市が金額、量ともにナンバーワンである。支出金額もさることながら、量がすごい。やはり、行くべきであろうか。今、富山は、もっとも旬(きときと)な時季でもある。>゜)))彡
(オレンジ)
<金額;円>
全国 599
富山市 1,207
名古屋市 938
松江市 895
金沢市 850
和歌山市 814
<数量:g>
全国 1,716
富山市 3,995
名古屋市 2,788
松江市 2,509
金沢市 2,369
青森市 2,261
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わたくしは南国方面生まれなので、ミカンとのつきあいも長い。そういう事情(よく、食べさせられた))もあって、最近では、すすんで食べようという気もちがない。せめて、こういう状態(アンパン・・・)の時にはと思い、求めてきたが、ひょっとすると、これが今季の食べ納めかもしれない。次のアンパン・・・時には、おそらく、もうミカンはマーケットにないのだから。
2008.01.21
年表と年裏
所用でもって、いわゆる年表というものをアレコレと眺めていた。わたくしが生まれる前、生まれていたが記憶にない頃、そして、その後から只今へと、駆け足で、時代を走っている想いであった。個々については省くけれども、ひとつ紹介すると、「年表昭和史(増補版1926−2003」(中村政則氏編、岩波ブックレットNO.624)というのがあって、昭和20(1945)年が二期に分かれて記述されているという経験を初めてした。
境は8月14日と15日である。
このブックレットは、そもそも昭和史であるから、と、理解すれば、「境」が了承できるのかもしれない。が、そこで分けることに、悩んでしまう。昭和史は、敗戦が「境」ということになってしまうのか、うがってみれば、そこ(境)で、別物(はい、今日=15日から別です)ということなのであろうか。ちなみに、頁(年)ごとに一枚のその年を象徴する(と意図するのであろう)写真が掲載されている。8月14日(昭和20年前半)は「長崎・原爆のキノコ雲(この表現もなんだかな、であるけれども)」、15日(昭和20年後半)はマッカーサーが昭和天皇と並んでいる写真・・・。ま、昭和史なんであるから、致し方がないのであろうか。ただし、わたくしは、ほかの年表をすべて見ているわけではないので、本日以降、暇な時に、(分かれているのかどうかを)他の年表類も確認してみたいと思う。
同じような視点で考えれば、1989年であろう。昭和64年(1月7日まで)と平成元年(1月8日以降)との境である(昭和史の終わり、上記ブックレットも、ここで終わるだけのコダワリをもってほしかった)。同ブックレットには、昭和63年と64年として、「繋がり」扱いをしており、1月7日で終わっている。あくまでも、昭和史というこだわりとして理解できる。ちなみに、1926(大正15年並びに昭和元)年の記述は12月25日の大正天皇崩御と改元(昭和)のみと(昭和史に)徹底している。ただし、両天皇の崩御を「没」と表記しているのが、冷静で、おかしい。昭和史をいったん擱くけれども、89年という年は記憶に残っている騒がしい一年であった。最初に、消費税(3%)スタート(4月1日)へ眼がいったけれども、11月9日にベルリンの壁撤去とある(同ブックレット)。前記(ブックレット)表にはないけれども、没(歿)関連では手塚治虫氏、美空ひばりさんが亡くなられている。カラヤン楽師、サルバドール・ダリ絵師も死去。天安門があり、ソ連のアフガン撤退、ポーランドを皮切りに、チェコスロバキア、ルーマニアが続いた。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』1989年の項には、カップ麺が袋麺の生産量を上回るとある。携帯電話が固定電話の契約台数を上回るのは2000年のことである。カップ麺と携帯、只今の象徴のようでもあり、それはそれで、悪くないし、わたくし自身も、そういう状態になっていることもある。
89年の最後はおおむね12月29日の株価(ブックレットには東証平均株価とあるが、これは、日経平均株価のことだと思う)、3万8,915円87銭、最高値であり、崩壊の始まりでもある(日経平均株価 記録室 Ver.02より)。※東証株価指数(TOPIX)は89年12月18日に最高値を記録している。
想い付きであるが、歴史の表舞台にあらわれることのない事情だけをあらわした「年裏」のような年表があったら、な、と、欲(ほっ)している。例えば、風俗史や情事史あるいはサブカルチャー史なども、それに該当するのであろう。もちろん、それぞれ(個々)のヒトの人生を著わすことが、もっとも珍重な年裏である(ブログはそれに近いのかも)。
今夜は、夜更かしているものだから、わたくしの年裏に、また、空白の24時間が記述されるのかもしれない。ま、たいした、ブロではないのだけれども寝。(-_-)zzz24more
⇒(拙ブロ「寝界」08年1月7日付)
境は8月14日と15日である。
このブックレットは、そもそも昭和史であるから、と、理解すれば、「境」が了承できるのかもしれない。が、そこで分けることに、悩んでしまう。昭和史は、敗戦が「境」ということになってしまうのか、うがってみれば、そこ(境)で、別物(はい、今日=15日から別です)ということなのであろうか。ちなみに、頁(年)ごとに一枚のその年を象徴する(と意図するのであろう)写真が掲載されている。8月14日(昭和20年前半)は「長崎・原爆のキノコ雲(この表現もなんだかな、であるけれども)」、15日(昭和20年後半)はマッカーサーが昭和天皇と並んでいる写真・・・。ま、昭和史なんであるから、致し方がないのであろうか。ただし、わたくしは、ほかの年表をすべて見ているわけではないので、本日以降、暇な時に、(分かれているのかどうかを)他の年表類も確認してみたいと思う。
同じような視点で考えれば、1989年であろう。昭和64年(1月7日まで)と平成元年(1月8日以降)との境である(昭和史の終わり、上記ブックレットも、ここで終わるだけのコダワリをもってほしかった)。同ブックレットには、昭和63年と64年として、「繋がり」扱いをしており、1月7日で終わっている。あくまでも、昭和史というこだわりとして理解できる。ちなみに、1926(大正15年並びに昭和元)年の記述は12月25日の大正天皇崩御と改元(昭和)のみと(昭和史に)徹底している。ただし、両天皇の崩御を「没」と表記しているのが、冷静で、おかしい。昭和史をいったん擱くけれども、89年という年は記憶に残っている騒がしい一年であった。最初に、消費税(3%)スタート(4月1日)へ眼がいったけれども、11月9日にベルリンの壁撤去とある(同ブックレット)。前記(ブックレット)表にはないけれども、没(歿)関連では手塚治虫氏、美空ひばりさんが亡くなられている。カラヤン楽師、サルバドール・ダリ絵師も死去。天安門があり、ソ連のアフガン撤退、ポーランドを皮切りに、チェコスロバキア、ルーマニアが続いた。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』1989年の項には、カップ麺が袋麺の生産量を上回るとある。携帯電話が固定電話の契約台数を上回るのは2000年のことである。カップ麺と携帯、只今の象徴のようでもあり、それはそれで、悪くないし、わたくし自身も、そういう状態になっていることもある。
89年の最後はおおむね12月29日の株価(ブックレットには東証平均株価とあるが、これは、日経平均株価のことだと思う)、3万8,915円87銭、最高値であり、崩壊の始まりでもある(日経平均株価 記録室 Ver.02より)。※東証株価指数(TOPIX)は89年12月18日に最高値を記録している。
想い付きであるが、歴史の表舞台にあらわれることのない事情だけをあらわした「年裏」のような年表があったら、な、と、欲(ほっ)している。例えば、風俗史や情事史あるいはサブカルチャー史なども、それに該当するのであろう。もちろん、それぞれ(個々)のヒトの人生を著わすことが、もっとも珍重な年裏である(ブログはそれに近いのかも)。
今夜は、夜更かしているものだから、わたくしの年裏に、また、空白の24時間が記述されるのかもしれない。ま、たいした、ブロではないのだけれども寝。(-_-)zzz24more
⇒(拙ブロ「寝界」08年1月7日付)
2008.01.19
口内炎
に悩んでいる。数ヶ月に一度の割合で、決まって、右側の口腔内が腫れて、おかげでもって、片頬がぷっくらとアンパンマン状態になっている。もともとは歯茎あるいは歯根あたりにウィルス(バイキンマン)が入り込んだのであろう、それが、移って(拡がって)きた。もちろん、医者には行かないので、自然治癒を待つことになる、それで、おおかたは治る。しかし、また、数ヵ月後には症状があらわれる、根本的な膿を出していないのだから、自然治癒といっても二次的症状(アンパンマン症状)を抑えているにすぎないのである。口内炎の原因のひとつにビタミン不足があるらしいが、そういえば、数日前に求めたミカンが干乾びかかっている、あわてて、食べたが、それで、どうということもない。水分も摂っている。消毒がわりにウイスキーも呑んでいる。その分もあって、昨夜は少し呑みすぎだったかもしれない。
さて、六花(りっか)の冬号(通巻25号)が届いた。早速、ホームページの方へと思い、作業を進めていると、24号がない。どうも、うっかりして、送られてきた原稿を削除してしまったらしい。こちらも再送していただいたので、あわせて、さきほど、アップした。近頃は、この、“うっかり”が多い。
六花(りっか)24号
六花(りっか)25号
ソフトの具合が悪く、うまく、アップできていない箇所があるかもしれない。そろそろ、切りかえどきでもある。また、HP全体のことを考えることも必要であろう。
六花の編集人は岡田和也(おかだ・かずや)さんであるが、JAL(日本航空)の機内誌「Agora」07年12月号に岡田さんの特集記事が掲載されている。この雑誌は、どうも1-stクラスのみの頒布であり、したがって、わたくしには入手不可能である。幸いにも、「ペーチカ」というロシヤ関連サイトで紹介されているので、引用する。
《JALグループ月刊誌『Agora』2007年12月号・「われら地球人」》より
わたくし自身も、生(ナマ)「オカダ」をご拝見するのは、ひさかたぶりのことである。春に一時帰国されると、あったので、お逢いしたいと、考えている。
岡田さんによると、ハバロフスクは数日、マイナス20度前後の気持ちよい寒さらしい。それに比せば、日本で冷奴を食べているから寒いなどと、甘えていることも可笑しい。
今夜も、口内炎の影響もあって、食べている。(寒い)
さて、六花(りっか)の冬号(通巻25号)が届いた。早速、ホームページの方へと思い、作業を進めていると、24号がない。どうも、うっかりして、送られてきた原稿を削除してしまったらしい。こちらも再送していただいたので、あわせて、さきほど、アップした。近頃は、この、“うっかり”が多い。
六花(りっか)24号
六花(りっか)25号
ソフトの具合が悪く、うまく、アップできていない箇所があるかもしれない。そろそろ、切りかえどきでもある。また、HP全体のことを考えることも必要であろう。
六花の編集人は岡田和也(おかだ・かずや)さんであるが、JAL(日本航空)の機内誌「Agora」07年12月号に岡田さんの特集記事が掲載されている。この雑誌は、どうも1-stクラスのみの頒布であり、したがって、わたくしには入手不可能である。幸いにも、「ペーチカ」というロシヤ関連サイトで紹介されているので、引用する。
《JALグループ月刊誌『Agora』2007年12月号・「われら地球人」》より
わたくし自身も、生(ナマ)「オカダ」をご拝見するのは、ひさかたぶりのことである。春に一時帰国されると、あったので、お逢いしたいと、考えている。
岡田さんによると、ハバロフスクは数日、マイナス20度前後の気持ちよい寒さらしい。それに比せば、日本で冷奴を食べているから寒いなどと、甘えていることも可笑しい。
今夜も、口内炎の影響もあって、食べている。(寒い)
2008.01.18
丁
本郷の帰りに、マーケットで生姜を求めた。サバの味噌煮でも食べようかと思い、2欠け。そして、本日、まだ、十分、欠けが残っているので、少し、拝借して、冷奴に用いた。お蔭でもって、今は身体がすっかり冷えている。ウイスキーの水割りを呑んでいるものだから、いっそう、寒い。気がつけば、もう大寒の時季でもある(本年は21日らしい)、外も寒いのに、わたくしは何をしているのであろうか、北国並みに室内を暖かくしているわけでもないから、寒い。それでも、我慢して、一丁(約200グラム)を食べ終えた。やはり、本物の生姜醤油で食するのが美味しい。(寒いけれど)
丁(てい、ちょう、ちん等)には異なった、いくつかの意味がある。漢和辞典を引用すると、
―輯魁覆犬辰ん)の第四位、「ひのと」である。わたくしの大嫌いな干支(えと)覚えの、「干」(え)の方である。本年は戊子(つちのえね=ぼし)であったと思うけれど、その戊である。十干と十二支(じゅうにし)を組み合わせると、ひと回りして、ちょうど六十、すなわち、還暦といわれる。第一は甲子(きのえね、こうし)、1924(大正13)年に竣工したことから甲子園(球場)と名づけられたというのは有名である。現在、改装中で、全面完成は2010年、庚寅(かのえとら/こういん)、金の兄(金本アニキ)と虎、なんだか、期待できそうである。[国立国会図書館 「日本の暦」―暦の中のことば〜干支)]
戊辰(つちのえ・たつ)は5番目、音読みして、1868(明治元)年(前後)の戊辰(ぼしん)戦争は、本年のインサイダーNHK大河ドラマの最後あたりでふれることがあるのかもしれない(知らないけれども)。
丙午(ひのえうま)の年は出生率が下がるといわれる。八百屋お七がこの生まれで、以来、出生が避けられたといわれていたそうだが、先の国会図書館資料には、丙=火の兄、午=火とあって、くだすと、「(火が燃えさかっているように)気の強いをんなは×(=お七)である」、と、いかにも、男尊女卑を反映した社会現象でもある。ただし、十干十二支の43番目、死産とも読める。次の丙午は2026年、といっても、もう、その頃には人口(丁には、この意味もある)自体が減っていて、毎年が丙午である。
▲△燭襦△箸△辰董⊇个△Δ畔箚阿気譴討い襦C憂は父母の喪に服すこと、これも、出会いか。丁艱ともある。
少し、略す。
町、とあり、その距離をあらわすとある。1町(丁)は60間、約110メートルである。銀座は、それに近い値で設計されており、一丁目〜八丁目を計測すると約1,100メートル、一丁あたり、(少し長いけれども)140メートルである。また、一条は、京の都で500メートル、札幌では140メートルと、以前、測ったことがある。(拙ブロ「恵方(えほう)」05年2月3日付)ちなみに一丈は3〜3.8(鯨尺)メートルらしい。
丁幾は、ちんき、と読む。ヨウチン、アカチン、ならびにタムシチンキの「チンキ」である。名づけ(由来)は分からない、仮借かもしれない。
丁(てい、ちょう、ちん等)には異なった、いくつかの意味がある。漢和辞典を引用すると、
―輯魁覆犬辰ん)の第四位、「ひのと」である。わたくしの大嫌いな干支(えと)覚えの、「干」(え)の方である。本年は戊子(つちのえね=ぼし)であったと思うけれど、その戊である。十干と十二支(じゅうにし)を組み合わせると、ひと回りして、ちょうど六十、すなわち、還暦といわれる。第一は甲子(きのえね、こうし)、1924(大正13)年に竣工したことから甲子園(球場)と名づけられたというのは有名である。現在、改装中で、全面完成は2010年、庚寅(かのえとら/こういん)、金の兄(金本アニキ)と虎、なんだか、期待できそうである。[国立国会図書館 「日本の暦」―暦の中のことば〜干支)]
戊辰(つちのえ・たつ)は5番目、音読みして、1868(明治元)年(前後)の戊辰(ぼしん)戦争は、本年のインサイダーNHK大河ドラマの最後あたりでふれることがあるのかもしれない(知らないけれども)。
丙午(ひのえうま)の年は出生率が下がるといわれる。八百屋お七がこの生まれで、以来、出生が避けられたといわれていたそうだが、先の国会図書館資料には、丙=火の兄、午=火とあって、くだすと、「(火が燃えさかっているように)気の強いをんなは×(=お七)である」、と、いかにも、男尊女卑を反映した社会現象でもある。ただし、十干十二支の43番目、死産とも読める。次の丙午は2026年、といっても、もう、その頃には人口(丁には、この意味もある)自体が減っていて、毎年が丙午である。
▲△燭襦△箸△辰董⊇个△Δ畔箚阿気譴討い襦C憂は父母の喪に服すこと、これも、出会いか。丁艱ともある。
少し、略す。
町、とあり、その距離をあらわすとある。1町(丁)は60間、約110メートルである。銀座は、それに近い値で設計されており、一丁目〜八丁目を計測すると約1,100メートル、一丁あたり、(少し長いけれども)140メートルである。また、一条は、京の都で500メートル、札幌では140メートルと、以前、測ったことがある。(拙ブロ「恵方(えほう)」05年2月3日付)ちなみに一丈は3〜3.8(鯨尺)メートルらしい。
丁幾は、ちんき、と読む。ヨウチン、アカチン、ならびにタムシチンキの「チンキ」である。名づけ(由来)は分からない、仮借かもしれない。
2008.01.17
乙旨味(おつまみ)
昨夜、ホテル・コバヤシさんがあったならば、アンメルツが置かれているだろうと書いたけれども、あれ、前の宿泊客が使用したモノを使うだろうかと考え、やはり、「ひとりイッコ」となると、コバヤシさんといえども、タイヘンだろうなと、あぐねている。どうしたものか。
今夜も、そういうようなことをぼんやりと想いながら、相変わらず呑んでいる。ふだん、あまり食べないけれども、呑んでいると、より少食になる。せいぜい、柿の種、チョコレート、チーズがあればこと足りる、そこらのネズミさんたちと同じである。数日ほど前、通常呑んでいる「白□」ウヰスキーをマーケットで求めたら、ボトルネックにオマケがついていた。しばしば、このような景品付きを行なっていて、ある時はグラスであったが、購入頻度が高いものだから、グラスばかりが溜まる危険性があったので、お店の人に断って、ボトルだけ持ち帰っていた。現在は、チョコレートである。食べてみたら、意外に乙な味であって、次のボトル購入時に商品自体を探してみたが、なかった。オマケの裏には非売品とあるので、これイッコを食べるためにはボトル一本を買わなければいけないのかと、しぶしぶ、ワンボトルだけ、レジにもっていった。「この前(ずいぶん前であるが)、グラスを持っていかなかったら、その分、チョコを・・・」とはさすがにいえない。
[オマケのチョコ]

[裏には非売品とあるけれども・・・]

[はがしてみると、バーコードが・・・市販しているようだ]

チーズは好きであるが、下記は、おつまみのような手軽なもの。フライドオニオン味、トマト味、そして、ハム味の三種類が8セット、律儀に1日各イッコづつ食べている。(8日間はモツ)
[三味チーズ三昧]

最近は(わたくしの)嗜好が変化しているのであろうか、以前であれば、手許、足許、口許に、チョコレートがないと、たまらない不安に陥っていたが、只今は、そうでもない。ない日もあって、それでいて、大丈夫である。下は、マーケットの半額コーナーで求めた「洋梨チョコレート」、まだ、味わっていないが、楽しみである。ちなみに、ヨコのお酒はサクランボとブラックベリーの果実酒(2002年もの)である。洋梨というモノを初めて食べたのは、山形で、もう十数年前になるのであろうか、ラ・フランスという名前が新鮮で、ついつい買ってしまい、持ち帰った。車内でもその香りが漂うほど芳ばしく、食べてみて、車内の他のお客様にそれほど、ご迷惑でなかったと、安心した。今は、生産も流通も拡がって、マーケットでみることも多いが、当時は、初めて、食べる方が大勢を占めていて、おみやげの切り札にしていたこともある。
[洋梨チョコと果実酒]

本日は、拙ブロのために、いくつか、読み返している。近いうちに、まとめることができたら、と思っている。背後にはハードロックがコミュニティFMから心地よく流れてくる。
今宵は、プログレ(Dream Theater)である。
わたくしが好きなのはデスメタル,デス。
今夜も、そういうようなことをぼんやりと想いながら、相変わらず呑んでいる。ふだん、あまり食べないけれども、呑んでいると、より少食になる。せいぜい、柿の種、チョコレート、チーズがあればこと足りる、そこらのネズミさんたちと同じである。数日ほど前、通常呑んでいる「白□」ウヰスキーをマーケットで求めたら、ボトルネックにオマケがついていた。しばしば、このような景品付きを行なっていて、ある時はグラスであったが、購入頻度が高いものだから、グラスばかりが溜まる危険性があったので、お店の人に断って、ボトルだけ持ち帰っていた。現在は、チョコレートである。食べてみたら、意外に乙な味であって、次のボトル購入時に商品自体を探してみたが、なかった。オマケの裏には非売品とあるので、これイッコを食べるためにはボトル一本を買わなければいけないのかと、しぶしぶ、ワンボトルだけ、レジにもっていった。「この前(ずいぶん前であるが)、グラスを持っていかなかったら、その分、チョコを・・・」とはさすがにいえない。
[オマケのチョコ]

[裏には非売品とあるけれども・・・]

[はがしてみると、バーコードが・・・市販しているようだ]

チーズは好きであるが、下記は、おつまみのような手軽なもの。フライドオニオン味、トマト味、そして、ハム味の三種類が8セット、律儀に1日各イッコづつ食べている。(8日間はモツ)
[三味チーズ三昧]

最近は(わたくしの)嗜好が変化しているのであろうか、以前であれば、手許、足許、口許に、チョコレートがないと、たまらない不安に陥っていたが、只今は、そうでもない。ない日もあって、それでいて、大丈夫である。下は、マーケットの半額コーナーで求めた「洋梨チョコレート」、まだ、味わっていないが、楽しみである。ちなみに、ヨコのお酒はサクランボとブラックベリーの果実酒(2002年もの)である。洋梨というモノを初めて食べたのは、山形で、もう十数年前になるのであろうか、ラ・フランスという名前が新鮮で、ついつい買ってしまい、持ち帰った。車内でもその香りが漂うほど芳ばしく、食べてみて、車内の他のお客様にそれほど、ご迷惑でなかったと、安心した。今は、生産も流通も拡がって、マーケットでみることも多いが、当時は、初めて、食べる方が大勢を占めていて、おみやげの切り札にしていたこともある。
[洋梨チョコと果実酒]

本日は、拙ブロのために、いくつか、読み返している。近いうちに、まとめることができたら、と思っている。背後にはハードロックがコミュニティFMから心地よく流れてくる。
今宵は、プログレ(Dream Theater)である。
わたくしが好きなのはデスメタル,デス。
2008.01.16
アンメルツの謎
よせば良い(ご迷惑である)のに、数日前、小林製薬さんにメールでもって、アンメルツの由来について、問い合わせをした。本日、担当部署などに確認していただいたうえで、お返事をたまわった<(_ _)>。ただし、結果は、
『古い商品なんで特にネーミングに意味はない、とのことです…。』(お返事の一部をまんま掲載)
同社のサイトに「小林ヒストリー」というコラムがあり、創業時から現在、また、未来のコバヤシさんをコンパクトに描いており、興味深く、読ませていただいている。その三代目映子の章〜第三幕と第四幕にアンメルツに関する記述がある。現在の製品は1966(昭和41)年に販売が始まったとあるが、名前自体は戦前にあった別の製品名を転用した。それが、「按摩の瓶詰」(画像は、古書の森日記by Hisakoさんより)である。わたくし的には、当時の名づけに意味がないとは決して考えていないけれども、おそらく、もう、そのことを知っていらっしゃる方(かた)が社内にもおられないということかもしれない。
小林製薬蠅鰐掌轍飴埣羔萍臍按(大須観音辺り)に興る。もとは、「小林盛大堂」といって、雑貨、化粧品および洋酒などを販売していた。時代が時代(第二次大戦後)であれば、その後、スーパーマーケットへと発展しそうな創まりである。が、創業者である忠兵衛翁は、そうは思わなかった。また、時代もはるかに前のことである(創業は1886/明治19年、忠翁は、それ以前に醤油店を営んでいる)。これからは薬業の時代であると、まだ、医療機関がまともに整備されていなかったばかりか、医学という学問がようやく、西洋から注入され始めた頃でもある(森鴎外の独逸留学は1884/明治17年)。この予感は当たった、最初のヒット商品は「小林タムシチンキ」である(以上、小林ヒストリーより)。
わたくしは、幸い罹ったことはないけれども、その症状持ちはたいてい、これを塗っていたような光景がよみがえってくる。タムシは白癬症の総称で、とにかく痒いらしい。これをアルコールとハーブ・生薬成分で調剤したのがチンキ(tincture)である。赤チン、ヨーチンのチンもチンキの意味であるが、化学的な薬剤でもって作られているので、正確にはチンキではない(実は、タムシチンキも違う)。
同時に、タムシ(症状)+チンキ(薬の内容、処方など)というコバヤシさんらしい名づけの出発点ともなっている。只今は、タムシールなる製品も出ている。ほかに、アセモアクリーム・パウダー、あせワキパットがある。ちなみに、もうひとつの名づけ法は「症状⇒服用後の効果」というものであり、ガスピタン、カゼピタン、セキピタン、シビラック(痺れを緩和させ、楽になる)、ツージーQ(便秘薬)、熱さまシートなどがある。また、「まんま」というのもあるけれど、詳しいことは、下記で。画像は、そのひとつと思われる、あら熱と〜る。
[まんま系の代表例]※あら、は感嘆符ではなく、粗熱のあらである。
(参考拙ブロ:「今冶水(明治期の名づけの妙)」07年8月26日付)
小林ヒストリーに戻ると、コバヤシさんも、やはり、道修町(どしょう・まち)にこだわっていたとある。また、のちに進出する東京では日本橋(本町)である。このことは、上記参考拙ブロでもふれているが、今もなお、小林製薬の本社はこの地(道修町)にある。薬種問屋といって、江戸中期に大坂では道修、江戸では本町がその座をなしていた。銀座、銅座があるように、薬座とでもあらわすことが許されるのだろうか、あまり良くないかもしれない(その筋の方には申し訳ないけれど)。いわば、薬の製販が一体となったお店のことをさすようである。日本橋本石町の長崎屋もそのひとつで、こちらは以前、拙ブロ「出島・入島」(06年5月4日付)でふれた。オランダ人医師ハンス・ユリアーン・ハンコに関してである。当時、オランダ商館長一行は、長崎の出島から江戸での将軍拝謁に際して、逗留したということから、長崎屋を日本初のホテルと考えられるという内容であった。コバヤシさんも一時ホテルを経営されていたとヒストリーにあるが、今、「ホテル・コバヤシさん」があったら、もちろん、ナイトテーブルにはアンメルツが置かれているのであろう。
(・・?
コバヤシさんのサイトに、「知る・楽しむ」というのがあって、そこに「あったらいいなホーム」がある。リビングをクリックすると、アンメルツがでてきて、[アンメルツ歴史」があった。
あら、
「Anti+Merz(ドイツ語で痛み)の造語です」
と明記されている。(MerzははSchmerzか?)
(よせば良いのに)目下、問い合わせ中なので、分かり次第、お知らせしたい。コバヤシさん、よろしくお願いいたします。
[アンメルツ由来の新事実]
『古い商品なんで特にネーミングに意味はない、とのことです…。』(お返事の一部をまんま掲載)
同社のサイトに「小林ヒストリー」というコラムがあり、創業時から現在、また、未来のコバヤシさんをコンパクトに描いており、興味深く、読ませていただいている。その三代目映子の章〜第三幕と第四幕にアンメルツに関する記述がある。現在の製品は1966(昭和41)年に販売が始まったとあるが、名前自体は戦前にあった別の製品名を転用した。それが、「按摩の瓶詰」(画像は、古書の森日記by Hisakoさんより)である。わたくし的には、当時の名づけに意味がないとは決して考えていないけれども、おそらく、もう、そのことを知っていらっしゃる方(かた)が社内にもおられないということかもしれない。
小林製薬蠅鰐掌轍飴埣羔萍臍按(大須観音辺り)に興る。もとは、「小林盛大堂」といって、雑貨、化粧品および洋酒などを販売していた。時代が時代(第二次大戦後)であれば、その後、スーパーマーケットへと発展しそうな創まりである。が、創業者である忠兵衛翁は、そうは思わなかった。また、時代もはるかに前のことである(創業は1886/明治19年、忠翁は、それ以前に醤油店を営んでいる)。これからは薬業の時代であると、まだ、医療機関がまともに整備されていなかったばかりか、医学という学問がようやく、西洋から注入され始めた頃でもある(森鴎外の独逸留学は1884/明治17年)。この予感は当たった、最初のヒット商品は「小林タムシチンキ」である(以上、小林ヒストリーより)。
わたくしは、幸い罹ったことはないけれども、その症状持ちはたいてい、これを塗っていたような光景がよみがえってくる。タムシは白癬症の総称で、とにかく痒いらしい。これをアルコールとハーブ・生薬成分で調剤したのがチンキ(tincture)である。赤チン、ヨーチンのチンもチンキの意味であるが、化学的な薬剤でもって作られているので、正確にはチンキではない(実は、タムシチンキも違う)。
同時に、タムシ(症状)+チンキ(薬の内容、処方など)というコバヤシさんらしい名づけの出発点ともなっている。只今は、タムシールなる製品も出ている。ほかに、アセモアクリーム・パウダー、あせワキパットがある。ちなみに、もうひとつの名づけ法は「症状⇒服用後の効果」というものであり、ガスピタン、カゼピタン、セキピタン、シビラック(痺れを緩和させ、楽になる)、ツージーQ(便秘薬)、熱さまシートなどがある。また、「まんま」というのもあるけれど、詳しいことは、下記で。画像は、そのひとつと思われる、あら熱と〜る。
[まんま系の代表例]※あら、は感嘆符ではなく、粗熱のあらである。
(参考拙ブロ:「今冶水(明治期の名づけの妙)」07年8月26日付)
小林ヒストリーに戻ると、コバヤシさんも、やはり、道修町(どしょう・まち)にこだわっていたとある。また、のちに進出する東京では日本橋(本町)である。このことは、上記参考拙ブロでもふれているが、今もなお、小林製薬の本社はこの地(道修町)にある。薬種問屋といって、江戸中期に大坂では道修、江戸では本町がその座をなしていた。銀座、銅座があるように、薬座とでもあらわすことが許されるのだろうか、あまり良くないかもしれない(その筋の方には申し訳ないけれど)。いわば、薬の製販が一体となったお店のことをさすようである。日本橋本石町の長崎屋もそのひとつで、こちらは以前、拙ブロ「出島・入島」(06年5月4日付)でふれた。オランダ人医師ハンス・ユリアーン・ハンコに関してである。当時、オランダ商館長一行は、長崎の出島から江戸での将軍拝謁に際して、逗留したということから、長崎屋を日本初のホテルと考えられるという内容であった。コバヤシさんも一時ホテルを経営されていたとヒストリーにあるが、今、「ホテル・コバヤシさん」があったら、もちろん、ナイトテーブルにはアンメルツが置かれているのであろう。
(・・?
コバヤシさんのサイトに、「知る・楽しむ」というのがあって、そこに「あったらいいなホーム」がある。リビングをクリックすると、アンメルツがでてきて、[アンメルツ歴史」があった。
あら、
「Anti+Merz(ドイツ語で痛み)の造語です」
と明記されている。(MerzははSchmerzか?)
(よせば良いのに)目下、問い合わせ中なので、分かり次第、お知らせしたい。コバヤシさん、よろしくお願いいたします。
[アンメルツ由来の新事実]
2008.01.15
壱岐殿坂そばあたり
昨年の早いうちにお知り合いから、お蕎麦を頂いていた。「祖谷(いや)そば」といって、現在は三好市になっているが、もとは、東祖谷山村(ひがしいややま・そん)の狭隘な山間(やまあい)で育てられたのであろうか。正式には、祖谷平家そばと云う。
[祖谷之平家堂 祖谷平家そば]

[そば湯も頂ける(-。-)yu-゜゜゜]

ここ何週間か、ずっと、タヌキそばが食べたくて、都度、逸していたけれども、二週間ほど前、さる駅構内の「立ちそば」で食べた。美味しくなかった、輪ゴムのようなそばにはもう驚かないけれども、天滓(かす)が、滓らしくなく、どうも、天滓のための滓を作っているようで、出てきた時点で、もう、すっかり融けているし、口に入れても、「油」味しか、見つけることができない。残さず食べたが、はぁ〜という感じで、プラットホームへと逃げるように店を出てしまった。それから数日後、所用の帰り、マーケットに寄ると、珍しく、惣菜売場で、天滓を売っていた。周りには海老天(これは嫌いだけれども)、ゴボ天、野菜天(掻き揚げ)などが並んでいる。ただし、こちらには関心はなく、これらのエキスをたっぷり吸っていると思われるカスに手を伸ばした。件の頂いたそばのことを想い、そろそろ、十分寝かせた頃なので、戴こうと思っていたところであったので(賞味期限は1月15日)、今夜はタヌキそばをと、1パック50円を買い求めてきた。早速、こしらえてみた。そば+天カス、それ以外は、少しの一味(辛子)のみである。別の用途にと思い、昆布出汁を作りおいていたのであるが、出汁付きであったので、それを用いた。おおむね、徳島も西系なので、わたくしの舌に、咽喉に、合っているのだろうと、「賭けた」。
もちろん、おそばも、お天滓も、お出汁も、美味しく頂いた。
[もはや、天カスそば?]

所用がてら、本郷を訪ねた。拙ブロ「あまねく」(08年1月13日付)でアズマ先生及びカナイ(カネイ)君について書いた。森林太郎(鴎外)が通っていた進文学社(舎)辺りの雰囲気を感じるために、少し寄ってみた。今は、(新)壱岐坂というのが別に、新たにできているが、その北側に壱岐殿坂はある。《東京紅團〜正岡子規散歩》によると、本郷三丁目二十七の四が同社(舎)の所在であるというので、その辺りに近づいた。もちろん、跡形もなく、探したけれども、名残りも碑らしきものもないけれど、ただ、あった(のであろう)という気配を味わいながら、しばらく、留まっていた。そのあと、(本郷区)元町二丁目という指摘もあったので(物理学校意外史〜西村和夫氏)、そちらも探してみて、それが、只今は、大横丁(町)通りにある。もちろん、こちらにも址はないけれども、気分はこちらに傾いている。
[大横丁(町)通り]※中央付近が今の本郷二丁目二十七の四」

本日はあまり時間がなかったので、かなりのショートカットであった。湯島で降り、印刷済みの地図を携帯しているにもかかわらず、迷った。お陰で、神田明神裏道にぶつかり、坂を上ってみた。表(境内)にはお参り(詣で)の人が思う以上に居て、驚いたけれども、もちろん、わたくしはお参りはしない。裏から這入って、表から(こそこそと)逃げる、ただ、それだけのことである。「おりがみ会館」を外から眺め、御霊神社を冷やかし、社(舎)あとへと。そのついでに、三河稲荷に、すぐあとに、たまたまお参りに来られた方がいらっしゃったので、お邪魔にならないよう、境内をいったん出て、待つことに、向かいには文京区本郷交流館という施設があったけれども、見切って、二たび、参詣者の方が去るのを見計らって、お稲荷さんへと。もう、本日の与えられた時間もなくなりかけて、この先、給水所公苑というのもと思っていたけれども、またの機会にと、北(本郷3丁目方向)へ。いったん、本郷通り沿いを歩いたけれども、ちょっと寄り道し、本郷小学校付近へ。もう、ここら辺に至ると、菊坂だの、炭団(たどん)坂だの、文人たちの溜まり場である。学校の前に(お定まりのように)文房具屋さんがあって、その左隣に定食屋さんがあった。中には入っていない。VITAという、ちょうど、下校時間で、子らがたくさん居たので、冷やかしを受けるのもナンなので、遠慮がちに撮影しているため、見づらい。サイトにあったので、こちらを、どうぞ(定食屋VITA〜文京ちびっ子センター)。同サイトにもあるように、佇まいはかなり古い、もしかしたら、以前は、小学生相手の雑貨屋(食べ物、おもちゃ、文具、体操着・・・なんでもありの、お店)であったのであろうか。ヰタ・セクスアリス(VITA SEXUALISである。これは、また、いずれ。
[ヰタ(VITA)という名の食堂]

再び、本郷通りに戻る。
巴屋というのは、おそば屋さんの名として多いらしいけれども、この本郷のわずか数百メートルの中(本郷通り沿い)に3軒あって、もっとも北のお店に入った。他意も、意味もない、ただ、ゆきがかり上というしかないけれども、3時も過ぎていて、少し、食べようかと思った。先客はいなかったが、あとから、3人ほど入ってきた、遅い昼食なのであろうか。齢は70代後半?、当てずっぽうなので、もし外れていたら、申し訳ないけれども、女将さんがいて、寒いですねえ、どうぞ、もっと奥にお座りくださいと、ま、それほど広いお店ではないけれども、女将さんに席を引いていただいた、ほぼ中央に座ることになった。メニューにはなかったけれども、タヌキそばを頼んだ。もう、基本過ぎて、(メニューに)載せるほどの品でもないのであろう。しばらくすると、刻みねぎとともに、お香もの(たくあん、きゅうり、はくさい)が添えられて、しずしずと、おタヌキ様がでてきた。これ(お香付き)ならば、ビールの一杯でもと思ったけれども、我慢した。
本郷辺りには進文学社(舎)はじめ、今でいう予備校、当時の私学(塾)が多数あったという。もちろん、神田を含めてしまえば、数知れない。そのあたりのことは、司馬遼太郎氏の《街道をゆく》〜「本郷界隈」「神田界隈」に詳しいので、そちらの方で、司馬世界(ワールド)を楽しんでいただきたい。
本日は、おタヌキもおキツネ(お稲荷)も味わった為なのであろうか、道すがら、お酒を呑まずに、隠遁した。(今は呑んでいるけれども)
[祖谷之平家堂 祖谷平家そば]

[そば湯も頂ける(-。-)yu-゜゜゜]

ここ何週間か、ずっと、タヌキそばが食べたくて、都度、逸していたけれども、二週間ほど前、さる駅構内の「立ちそば」で食べた。美味しくなかった、輪ゴムのようなそばにはもう驚かないけれども、天滓(かす)が、滓らしくなく、どうも、天滓のための滓を作っているようで、出てきた時点で、もう、すっかり融けているし、口に入れても、「油」味しか、見つけることができない。残さず食べたが、はぁ〜という感じで、プラットホームへと逃げるように店を出てしまった。それから数日後、所用の帰り、マーケットに寄ると、珍しく、惣菜売場で、天滓を売っていた。周りには海老天(これは嫌いだけれども)、ゴボ天、野菜天(掻き揚げ)などが並んでいる。ただし、こちらには関心はなく、これらのエキスをたっぷり吸っていると思われるカスに手を伸ばした。件の頂いたそばのことを想い、そろそろ、十分寝かせた頃なので、戴こうと思っていたところであったので(賞味期限は1月15日)、今夜はタヌキそばをと、1パック50円を買い求めてきた。早速、こしらえてみた。そば+天カス、それ以外は、少しの一味(辛子)のみである。別の用途にと思い、昆布出汁を作りおいていたのであるが、出汁付きであったので、それを用いた。おおむね、徳島も西系なので、わたくしの舌に、咽喉に、合っているのだろうと、「賭けた」。
もちろん、おそばも、お天滓も、お出汁も、美味しく頂いた。
[もはや、天カスそば?]

所用がてら、本郷を訪ねた。拙ブロ「あまねく」(08年1月13日付)でアズマ先生及びカナイ(カネイ)君について書いた。森林太郎(鴎外)が通っていた進文学社(舎)辺りの雰囲気を感じるために、少し寄ってみた。今は、(新)壱岐坂というのが別に、新たにできているが、その北側に壱岐殿坂はある。《東京紅團〜正岡子規散歩》によると、本郷三丁目二十七の四が同社(舎)の所在であるというので、その辺りに近づいた。もちろん、跡形もなく、探したけれども、名残りも碑らしきものもないけれど、ただ、あった(のであろう)という気配を味わいながら、しばらく、留まっていた。そのあと、(本郷区)元町二丁目という指摘もあったので(物理学校意外史〜西村和夫氏)、そちらも探してみて、それが、只今は、大横丁(町)通りにある。もちろん、こちらにも址はないけれども、気分はこちらに傾いている。
[大横丁(町)通り]※中央付近が今の本郷二丁目二十七の四」

本日はあまり時間がなかったので、かなりのショートカットであった。湯島で降り、印刷済みの地図を携帯しているにもかかわらず、迷った。お陰で、神田明神裏道にぶつかり、坂を上ってみた。表(境内)にはお参り(詣で)の人が思う以上に居て、驚いたけれども、もちろん、わたくしはお参りはしない。裏から這入って、表から(こそこそと)逃げる、ただ、それだけのことである。「おりがみ会館」を外から眺め、御霊神社を冷やかし、社(舎)あとへと。そのついでに、三河稲荷に、すぐあとに、たまたまお参りに来られた方がいらっしゃったので、お邪魔にならないよう、境内をいったん出て、待つことに、向かいには文京区本郷交流館という施設があったけれども、見切って、二たび、参詣者の方が去るのを見計らって、お稲荷さんへと。もう、本日の与えられた時間もなくなりかけて、この先、給水所公苑というのもと思っていたけれども、またの機会にと、北(本郷3丁目方向)へ。いったん、本郷通り沿いを歩いたけれども、ちょっと寄り道し、本郷小学校付近へ。もう、ここら辺に至ると、菊坂だの、炭団(たどん)坂だの、文人たちの溜まり場である。学校の前に(お定まりのように)文房具屋さんがあって、その左隣に定食屋さんがあった。中には入っていない。VITAという、ちょうど、下校時間で、子らがたくさん居たので、冷やかしを受けるのもナンなので、遠慮がちに撮影しているため、見づらい。サイトにあったので、こちらを、どうぞ(定食屋VITA〜文京ちびっ子センター)。同サイトにもあるように、佇まいはかなり古い、もしかしたら、以前は、小学生相手の雑貨屋(食べ物、おもちゃ、文具、体操着・・・なんでもありの、お店)であったのであろうか。ヰタ・セクスアリス(VITA SEXUALISである。これは、また、いずれ。
[ヰタ(VITA)という名の食堂]

再び、本郷通りに戻る。
巴屋というのは、おそば屋さんの名として多いらしいけれども、この本郷のわずか数百メートルの中(本郷通り沿い)に3軒あって、もっとも北のお店に入った。他意も、意味もない、ただ、ゆきがかり上というしかないけれども、3時も過ぎていて、少し、食べようかと思った。先客はいなかったが、あとから、3人ほど入ってきた、遅い昼食なのであろうか。齢は70代後半?、当てずっぽうなので、もし外れていたら、申し訳ないけれども、女将さんがいて、寒いですねえ、どうぞ、もっと奥にお座りくださいと、ま、それほど広いお店ではないけれども、女将さんに席を引いていただいた、ほぼ中央に座ることになった。メニューにはなかったけれども、タヌキそばを頼んだ。もう、基本過ぎて、(メニューに)載せるほどの品でもないのであろう。しばらくすると、刻みねぎとともに、お香もの(たくあん、きゅうり、はくさい)が添えられて、しずしずと、おタヌキ様がでてきた。これ(お香付き)ならば、ビールの一杯でもと思ったけれども、我慢した。
本郷辺りには進文学社(舎)はじめ、今でいう予備校、当時の私学(塾)が多数あったという。もちろん、神田を含めてしまえば、数知れない。そのあたりのことは、司馬遼太郎氏の《街道をゆく》〜「本郷界隈」「神田界隈」に詳しいので、そちらの方で、司馬世界(ワールド)を楽しんでいただきたい。
本日は、おタヌキもおキツネ(お稲荷)も味わった為なのであろうか、道すがら、お酒を呑まずに、隠遁した。(今は呑んでいるけれども)
2008.01.14
取り違える
二週間ほど、シャンプーとボディシャンプーを取り、間違えて、使っていたことに、ようやく、気づいた。ニ、三日前から、シャンプーの「ノリ」が悪いと感じていたのである。いくら、風呂嫌いのわたくしでも、頭髪がアブラ塗(まみ)れ状態になるまで、浸かっていないわけではないので、おかしいとは思っていたけれども、(取り違えとは)分からなかった。二つの液は、いずれも100円ショップで求めた容器に入っており、(おそらく)水性インキで記したであろう文字は半分消えかかっていて、僅かに一方にシャンプーと認められる程度で、一体、シャンプーなのか、ボディシャンプーなのか一向に分からない状態である。もちろん、使い分けできるようにと、容器の様は異なっていて、一方はどちらかというとずんぐりむっくりしており、他方はすくっとしている。しかし、どちらが、シャンプーで、ボディシャンプーかを憶えていないため、当てずっぽうで使っていた。強いていえば、浴槽に近いほうがボディではないかと決めてかかり、ソッチをボディとして、手前(浴槽から遠い方)をシャンプーと考えていた。もうこういう状態では、容器に書いた文字も容器自体の様子の違いも、「記号」としての意味を失っていて、わたくしの曖昧さという非・記号的な行為にのみ頼っていたのであるから、取り間違えも致し方がない。また、頭髪もボディの一部(延長線上)と考えれば、どっちであろうと大きな問題ではないし、だいいち、小さい頃は「(洗濯)石鹼」イッコですべてを賄っていたのであるから、どうということではない。
取り違えというのは少なくないことである。したがって、確かめる。料理の最中に、砂糖と塩はよく見極めている。でも、最初に、舐めたほうが塩だったりすると、タイヘンである。食堂なんかでもって、醤油とソースを慎重に選んでいる人もよく見かける。普通、和風ぽい容器に納まっているはずの醤油であるが、お店の方が妙に凝っているのか、モダンな容器で、しかも、ソースと寸分違(たが)わないカタチであったりすると、記号(シール)がないかぎりは、嗅ぐか甞めるかするしか術はない。わたくしのようにソースが大の苦手である場合、嗅ぎ間違って、ソースを甞めたりすると、もう、それだけで、あとの食事が進まない。
日常的には、わたくしは、靴下を取り違えないよう、よく確認している。すなわち、靴下には靴と同じように右足用と左足用があると信じているのであり、急いで、出かけなくてはいけない時なのに、の〜んびりと左右を確かめている。結局、どっちがどっちかが分からないまま、とりあえず、装着して、あわてて、外に出ている。他所様にお聞きしても、左右があるのかどうかははっきりしない、どうやら、皆、分かっていないのかもしれない。左右の見分け方は、ロゴマークの付着側が外か内かで分かるといった見分け方もあるようだが、では一体、外側なのか、内側なのかという判断は分かれており、やはり、どっちなのか、よく分からないし、双側に付いていたら、どうするのであろうか。
しかし、どうも、区別はない、いえ、これまではなかったということが、あるサイトから判明した。
「靴下の左右立体製法」といい、平成18年度彩の国産業技術大賞特別賞を受けている。武田レッグウェアーといって、
《足や靴には左右があるのに、靴下には、なぜ左右がなかったんだろう?》
という、なんとも、明解なお答えがあった。やはり、(左右は)なかったのである。これまで、わたくしが、こだわってきたのは、いったい、なんであったのだろうか。考え自体が取り違えというしかない。ただし、どういうところが左右で異なっているのか、さっぱり分かっていない(._.)
今夜、ずんぐりがシャンプーで、すくっがボディシャンプーであることが、ほぼ判明した。
取り違えというのは少なくないことである。したがって、確かめる。料理の最中に、砂糖と塩はよく見極めている。でも、最初に、舐めたほうが塩だったりすると、タイヘンである。食堂なんかでもって、醤油とソースを慎重に選んでいる人もよく見かける。普通、和風ぽい容器に納まっているはずの醤油であるが、お店の方が妙に凝っているのか、モダンな容器で、しかも、ソースと寸分違(たが)わないカタチであったりすると、記号(シール)がないかぎりは、嗅ぐか甞めるかするしか術はない。わたくしのようにソースが大の苦手である場合、嗅ぎ間違って、ソースを甞めたりすると、もう、それだけで、あとの食事が進まない。
日常的には、わたくしは、靴下を取り違えないよう、よく確認している。すなわち、靴下には靴と同じように右足用と左足用があると信じているのであり、急いで、出かけなくてはいけない時なのに、の〜んびりと左右を確かめている。結局、どっちがどっちかが分からないまま、とりあえず、装着して、あわてて、外に出ている。他所様にお聞きしても、左右があるのかどうかははっきりしない、どうやら、皆、分かっていないのかもしれない。左右の見分け方は、ロゴマークの付着側が外か内かで分かるといった見分け方もあるようだが、では一体、外側なのか、内側なのかという判断は分かれており、やはり、どっちなのか、よく分からないし、双側に付いていたら、どうするのであろうか。
しかし、どうも、区別はない、いえ、これまではなかったということが、あるサイトから判明した。
「靴下の左右立体製法」といい、平成18年度彩の国産業技術大賞特別賞を受けている。武田レッグウェアーといって、
《足や靴には左右があるのに、靴下には、なぜ左右がなかったんだろう?》
という、なんとも、明解なお答えがあった。やはり、(左右は)なかったのである。これまで、わたくしが、こだわってきたのは、いったい、なんであったのだろうか。考え自体が取り違えというしかない。ただし、どういうところが左右で異なっているのか、さっぱり分かっていない(._.)
今夜、ずんぐりがシャンプーで、すくっがボディシャンプーであることが、ほぼ判明した。