2008.05.26
SUNSET_SUNRISE
所用のあと、ふと、思いついて、アサヒでユウヒをみている。暑い日であったから、ビールも美味しく、いただいている。東京地下鉄「銀座線」田原町で降り、浅草方面へと歩きたくなり、あげくの果てがアサヒ、ユウヒ、ビールである。
[黒生〜600円]

これから1か月弱、日は日に日に長くなり、夏至を迎える。感覚(習慣)的には今頃は初夏であるが、もう、お天道様の方は6月21日(本年の夏至;気象庁、暦要項より)を境として、冬の準備に向かうので、次第に、日は短くなっていく。その、ちょっと前というのが本日である。一年を四季で分ける場合、夏は何月〜何月までをさすのであろうか。その準備段階として、まず、春を何月からにするかによって、夏も異なってくる。(春の始まりを)3月としよう。とすれば、春は3〜5月となる。
いやぁ〜(-_-メ)、節分もあるし、やはり2月だろう、と考えるのなら、春は2〜4月となる。前者では、6月は夏の始まり(夏は6〜8月説)、後者は5〜7月となり、真夏(夏の中央月)は6月であるということになる。これは、やはり、少し(ずいぶんか)、感覚・習慣的にはズレているので、もしかしたら、夏というのは6〜8月でよいのでしょうか・・・、とも、思う。ただ、昨今は残暑も厳しく、夏を7〜9月としたい気もちもあって、ぐずぐずしている。仮に、そうであるとした場合、春の始まりは4月(6月も春)、冬は1〜3月、秋は10〜12月ということになってしまう。
おそらく、これも、違う?基本は、分および至によるのであろうか。
春分:3月・・・
夏至:6月・・・
秋分:9月・・・
冬至:12月・・・
ただし、近年は四季の減り張りが弛んでいて、(暑い)夏が長ぁ〜く、冬も(局所的に)大雪に、あるいは無雪になったりと、その分、春とか秋が失われつつ、でも、ある。
ちなみに、1876〜1990年の年平均気温は14.5度、91〜07年のそれは16.5度、特に、12〜2月(冬)は「温暖化」が顕著である(気象庁のデータは録ったけれども、いずれ、ブログトコラボで、整理したいと思う)。
[アサヒのユウヒ]※このあと、残念ながら、雲の合い間にお姿を隠された≒18:40

本所吾妻橋駅まで歩こうと、ソラをみあげると、青白みつつあり、そのまま、押上駅まで、曳き連られていった。
ブルーモーメントを観たかった。
[黒生〜600円]

これから1か月弱、日は日に日に長くなり、夏至を迎える。感覚(習慣)的には今頃は初夏であるが、もう、お天道様の方は6月21日(本年の夏至;気象庁、暦要項より)を境として、冬の準備に向かうので、次第に、日は短くなっていく。その、ちょっと前というのが本日である。一年を四季で分ける場合、夏は何月〜何月までをさすのであろうか。その準備段階として、まず、春を何月からにするかによって、夏も異なってくる。(春の始まりを)3月としよう。とすれば、春は3〜5月となる。
いやぁ〜(-_-メ)、節分もあるし、やはり2月だろう、と考えるのなら、春は2〜4月となる。前者では、6月は夏の始まり(夏は6〜8月説)、後者は5〜7月となり、真夏(夏の中央月)は6月であるということになる。これは、やはり、少し(ずいぶんか)、感覚・習慣的にはズレているので、もしかしたら、夏というのは6〜8月でよいのでしょうか・・・、とも、思う。ただ、昨今は残暑も厳しく、夏を7〜9月としたい気もちもあって、ぐずぐずしている。仮に、そうであるとした場合、春の始まりは4月(6月も春)、冬は1〜3月、秋は10〜12月ということになってしまう。
おそらく、これも、違う?基本は、分および至によるのであろうか。
春分:3月・・・
夏至:6月・・・
秋分:9月・・・
冬至:12月・・・
ただし、近年は四季の減り張りが弛んでいて、(暑い)夏が長ぁ〜く、冬も(局所的に)大雪に、あるいは無雪になったりと、その分、春とか秋が失われつつ、でも、ある。
ちなみに、1876〜1990年の年平均気温は14.5度、91〜07年のそれは16.5度、特に、12〜2月(冬)は「温暖化」が顕著である(気象庁のデータは録ったけれども、いずれ、ブログトコラボで、整理したいと思う)。
[アサヒのユウヒ]※このあと、残念ながら、雲の合い間にお姿を隠された≒18:40

本所吾妻橋駅まで歩こうと、ソラをみあげると、青白みつつあり、そのまま、押上駅まで、曳き連られていった。
ブルーモーメントを観たかった。
2008.05.17
北上野・松が谷
上野駅まで行き、公園口を出て、日光・月光さん(東京国立博物館;平城遷都1300年記念「国宝 薬師寺展」)にでもと思ったけれども、この雨にもかかわらず、杜はおおぜいの人が出ていて、諦めた(同展の混雑状況)。そのまま、前々から気になっていた場所をめざした。電車内から見える「日本鳩レース協会」である。あいにく、本日(土曜)はお休みで、堅く門が閉じられていたが、昔のことを思い起せば、近所に一軒か二軒は必ず鳩を飼育しているお宅があったように思うが、わたくしの場合、それを、ずっと、伝書鳩だと思いこんでいたけれども、どうもレース用の鳩であったようである。その事務局が上記協会である。サイトを覘くと、数百キロを競うレースであり、これも昔の話だが、レースを描いた劇画(漫画)が連載されていて、読んでいた記憶もある。上野公園にも鳩さんはたくさんいらっしゃるが、レース鳩とはかなり異なっているらしい。(同協会;レース鳩と土鳩は違うの?)
[記念写真。。。]

鳩は帰巣本能が著しく発達していて、そのため、レースが成り立つ。豚さんやアヒルさんのレースもあるが、これらは行ったきり(スタート→ゴール)であるけれども、鳩さんの場合は⇔(行って、戻る)であるところがスゴイと思う。これが、マグロであれば、一生、回遊しているものだから、レースが成立しない<゜)))彡。そのまま、直進し、忍岡中学校を迂回して、鶯谷駅まで出る。あとでみると、同校の給食(左フレームの本日の給食をクリック)がオツマミっぽいと思ったけれども、気のせいであろうか。
かねがね、気になっていた駅前のお蕎麦屋さんにとも思ったが、まだ、呑んではいけないので、(我慢して)先に進んだ。そのまま、目的地へ向かおうと、ふと、気にかけていた旧街に迂回した、下谷山崎町である。もちろん、俤(おもざし、おもかげ)はない。首都高に覆われていて、暗く感じるのは、仕方がない。ここらヘンに西念や金兵衛が住んでいた。(拙ブロ;メグロのタヌキ〜08年3月15日付)
少しだけ、面影を射ったのかもしれない、そういうつもりの、写真である。(↓)
[下谷山崎町]もちろん、当時の道は舗装などされていなかった。

本日(08年5月10日)は、順番としては逆であり、もっとも早く記してしまうが、松が谷三丁目に座す秋葉神社がメインディッシュである。拙ブロで何度かふれた(例えば、藤波静男氏の「悲しいだけ」にある『半僧坊』(蔵前から徒歩記;08年4月7日付)、現在の浜松市天竜区、旧周智郡春野町にある秋葉権現(明治政府より、権現を削る旨お達しがあり、以降、秋葉神社⇒秋葉山本宮と名乗っている)の流れを汲む、いえ、実際は、汲んでいないらしいけれども、日伏(防)せの社であることには変わりはない。もとは、現在の秋葉(あきは)原駅付近にあったといい、鎮火社といったらしいが、江戸っ子が早合点して、秋葉(あきば)さんと呼んだ。仕方がないものだから、お社のほうも、俗称に倣った。まるで、ジーメンス⇒シーメンスである(拙ブロ「シーメンス ∪ ジーメンス(Siemens)」06年4月4日付)。
(秋葉神社の顚末)
☆週刊新潮コラム「タワークレーン」《鎮火社 秋葉原 秋葉神社》(大成建設株式会社)
☆「秋葉神社の謎、ほか」(野菊のハッカー)
もっとも、春野の秋葉(あきは)さんを総本宮とする説に対して、栃尾(現在は長岡市の一部になってしまった)の秋葉神社からは異論がだされている(いた)。(栃尾観光協会(秋葉三尺坊発祥の地 栃尾 【1】 大岡裁きと秋葉三尺坊)
話が面白くなってきた。このことについては、もう少し。(できれば、訪ねたいが・・・)
[秋葉神社の入口]

[秋葉神社のお宮]

[もはや、洗うべき心もなし]

確か、秋葉神社の例祭は本日(17日)であったか(来週かもしれない)、でなくても、江戸の本日は祭りばかりである。あいにく、祭りにはいけないけれども、この日、訪ねた寺社を引き続き、書き溜めておきたい。
[記念写真。。。]

鳩は帰巣本能が著しく発達していて、そのため、レースが成り立つ。豚さんやアヒルさんのレースもあるが、これらは行ったきり(スタート→ゴール)であるけれども、鳩さんの場合は⇔(行って、戻る)であるところがスゴイと思う。これが、マグロであれば、一生、回遊しているものだから、レースが成立しない<゜)))彡。そのまま、直進し、忍岡中学校を迂回して、鶯谷駅まで出る。あとでみると、同校の給食(左フレームの本日の給食をクリック)がオツマミっぽいと思ったけれども、気のせいであろうか。
かねがね、気になっていた駅前のお蕎麦屋さんにとも思ったが、まだ、呑んではいけないので、(我慢して)先に進んだ。そのまま、目的地へ向かおうと、ふと、気にかけていた旧街に迂回した、下谷山崎町である。もちろん、俤(おもざし、おもかげ)はない。首都高に覆われていて、暗く感じるのは、仕方がない。ここらヘンに西念や金兵衛が住んでいた。(拙ブロ;メグロのタヌキ〜08年3月15日付)
少しだけ、面影を射ったのかもしれない、そういうつもりの、写真である。(↓)
[下谷山崎町]もちろん、当時の道は舗装などされていなかった。

本日(08年5月10日)は、順番としては逆であり、もっとも早く記してしまうが、松が谷三丁目に座す秋葉神社がメインディッシュである。拙ブロで何度かふれた(例えば、藤波静男氏の「悲しいだけ」にある『半僧坊』(蔵前から徒歩記;08年4月7日付)、現在の浜松市天竜区、旧周智郡春野町にある秋葉権現(明治政府より、権現を削る旨お達しがあり、以降、秋葉神社⇒秋葉山本宮と名乗っている)の流れを汲む、いえ、実際は、汲んでいないらしいけれども、日伏(防)せの社であることには変わりはない。もとは、現在の秋葉(あきは)原駅付近にあったといい、鎮火社といったらしいが、江戸っ子が早合点して、秋葉(あきば)さんと呼んだ。仕方がないものだから、お社のほうも、俗称に倣った。まるで、ジーメンス⇒シーメンスである(拙ブロ「シーメンス ∪ ジーメンス(Siemens)」06年4月4日付)。
(秋葉神社の顚末)
☆週刊新潮コラム「タワークレーン」《鎮火社 秋葉原 秋葉神社》(大成建設株式会社)
☆「秋葉神社の謎、ほか」(野菊のハッカー)
もっとも、春野の秋葉(あきは)さんを総本宮とする説に対して、栃尾(現在は長岡市の一部になってしまった)の秋葉神社からは異論がだされている(いた)。(栃尾観光協会(秋葉三尺坊発祥の地 栃尾 【1】 大岡裁きと秋葉三尺坊)
話が面白くなってきた。このことについては、もう少し。(できれば、訪ねたいが・・・)
[秋葉神社の入口]

[秋葉神社のお宮]

[もはや、洗うべき心もなし]

確か、秋葉神社の例祭は本日(17日)であったか(来週かもしれない)、でなくても、江戸の本日は祭りばかりである。あいにく、祭りにはいけないけれども、この日、訪ねた寺社を引き続き、書き溜めておきたい。
2008.05.11
お一人様ですかぁ(ーー;?)
6日、味スタに行った〜拙ブロ;KING OF TOKYO (東京王〜甘楽王)〜08年5月8日付。一人で、であるが、周りを見渡すと、そういう同士がたくさんいられた。というよりも、そういう方を探していた。わたくしが座っていた列(おそらく10席並び)にはお二方(除く、わたくし)、前の列にはイチ、ニィ、サン人もいらした。
こういうのを、「お一人様」というらしい。
おそらくであるが、ゲーム(いわゆるファミコン以降)がその発端(端緒)ではないかと思う。今でこそ、ネット対戦などがあるが、「昔」はコンピューターVS自分であって、周りからみると(みていなくても)、お一人様状態であったはずである。携帯電話も「お一人様」を成長に導いた。最近はあまり気にはならなくなったけれども、ご夫婦が、別々に携帯をいじっている光景は、どう見ても「お二人様」ではない。そのうち、ベビーカーに揺られている赤子まで、持っていたりして。こちらは、お一人ちゃま、持っていても、使えない(要がない)かもしれない。
もともと、お一人様はあったはずである。世間が、ようやく追いついた、そう、断言しても差し支えない。
酒場には、そういう人がたくさんいて、ただし、正確には、こういうのは、お一人様とは言わない。単に(相手のいないOR「に」されない)オッサンが一人で呑んでいるという状態でしかない。《お一人様の定義》は、まだ不確かではあるけれども、少なくとも、オッサンの一人はそうではないらしい。
確かな根拠はないが、一応、
『若い(この定義さえ、はっきりしないが)女性(独り身という条件を付加している場合もあり;これも、はっきりしていない)が一人で、例えば、居酒屋さんやら、吉牛さん、あるいは、立ち喰いソバ屋さんなどに行くこと、また、(どこのお店に行くかは)どうでも良いが、お一人で行くこと』
かと、理解している。上記ゲームにおける「お一人様」は内々(家庭あるいはお部屋)で、一人でもって完結することができるが、これは、そもそも、お一人様ではなくて、「お一人」でしかない。「様」は、相手(例えば、ウェイターさんなど)がいることを示している点で、しごく重要である。
外内ということである。外(ざっぱに言えば世間)にゐながら、内(自分)を大切にされている、素的なことである。
その結果、これまで、決して、足を踏み入れることのなかった、ご婦人方が、オッサンの聖域にヒタヒタとしのびよっている現象を、オッサンは誤解している。
裏を返せば、未だに世間が男尊女卑ということでもあろう。
さて、お一人様が有効なお客となるには、カウンターが必須である。相席は適わない(×)。あくまでも、お一人で、お気楽に、時にはおワガママに呑みたいものである(◎)、と察している。
したがって、オッサン的願望(相席)は叶わないであろう。
ここで、三四郎の一節をまた想い出してしまった。
「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」
相部屋など、ありえないし、相席も、おそらく、向こう(お一人様)から、断じてくるのであろう。
拙ブロ参照
「夜の太陽(ミッドナイト・3)」(07年5月31日付)
「手オル と タ(ta)拭い」(05年5月23日付)
偶然なのか、この頃になると、三四郎が、わたくしの頭の中に浮かんでくる。ただし、06年はなく、そのかわり、母語か、母国語かで、ずいぶん、何病(なや)んでいた。あとになって、司馬遼太郎氏の筆文の中に後者の表現をみつけて、より、悩んだ。そのことについては、また、いずれ。
今宵は、イジットワンですか (Is it One ?)
[お一人様だったかな?]※わたくしではありませんが。※中央、やや右の黒棒がピクシー;姿勢が素的です!

こういうのを、「お一人様」というらしい。
おそらくであるが、ゲーム(いわゆるファミコン以降)がその発端(端緒)ではないかと思う。今でこそ、ネット対戦などがあるが、「昔」はコンピューターVS自分であって、周りからみると(みていなくても)、お一人様状態であったはずである。携帯電話も「お一人様」を成長に導いた。最近はあまり気にはならなくなったけれども、ご夫婦が、別々に携帯をいじっている光景は、どう見ても「お二人様」ではない。そのうち、ベビーカーに揺られている赤子まで、持っていたりして。こちらは、お一人ちゃま、持っていても、使えない(要がない)かもしれない。
もともと、お一人様はあったはずである。世間が、ようやく追いついた、そう、断言しても差し支えない。
酒場には、そういう人がたくさんいて、ただし、正確には、こういうのは、お一人様とは言わない。単に(相手のいないOR「に」されない)オッサンが一人で呑んでいるという状態でしかない。《お一人様の定義》は、まだ不確かではあるけれども、少なくとも、オッサンの一人はそうではないらしい。
確かな根拠はないが、一応、
『若い(この定義さえ、はっきりしないが)女性(独り身という条件を付加している場合もあり;これも、はっきりしていない)が一人で、例えば、居酒屋さんやら、吉牛さん、あるいは、立ち喰いソバ屋さんなどに行くこと、また、(どこのお店に行くかは)どうでも良いが、お一人で行くこと』
かと、理解している。上記ゲームにおける「お一人様」は内々(家庭あるいはお部屋)で、一人でもって完結することができるが、これは、そもそも、お一人様ではなくて、「お一人」でしかない。「様」は、相手(例えば、ウェイターさんなど)がいることを示している点で、しごく重要である。
外内ということである。外(ざっぱに言えば世間)にゐながら、内(自分)を大切にされている、素的なことである。
その結果、これまで、決して、足を踏み入れることのなかった、ご婦人方が、オッサンの聖域にヒタヒタとしのびよっている現象を、オッサンは誤解している。
裏を返せば、未だに世間が男尊女卑ということでもあろう。
さて、お一人様が有効なお客となるには、カウンターが必須である。相席は適わない(×)。あくまでも、お一人で、お気楽に、時にはおワガママに呑みたいものである(◎)、と察している。
したがって、オッサン的願望(相席)は叶わないであろう。
ここで、三四郎の一節をまた想い出してしまった。
「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」
相部屋など、ありえないし、相席も、おそらく、向こう(お一人様)から、断じてくるのであろう。
拙ブロ参照
「夜の太陽(ミッドナイト・3)」(07年5月31日付)
「手オル と タ(ta)拭い」(05年5月23日付)
偶然なのか、この頃になると、三四郎が、わたくしの頭の中に浮かんでくる。ただし、06年はなく、そのかわり、母語か、母国語かで、ずいぶん、何病(なや)んでいた。あとになって、司馬遼太郎氏の筆文の中に後者の表現をみつけて、より、悩んだ。そのことについては、また、いずれ。
今宵は、イジットワンですか (Is it One ?)
[お一人様だったかな?]※わたくしではありませんが。※中央、やや右の黒棒がピクシー;姿勢が素的です!

2008.05.10
下谷神社大祭
2008.05.09
上野の大衆酒場にて
上野界隈、アメ横あたりには商店に混ざってモツ焼き屋さんやら焼き鳥屋さんがいくつもあって、連休最後の日、どこも、繁盛していらした。もともと、狭い路地なのに、ソッチ方向へ酒卓が出っ張っており、もう、路上呑みの状態である。もちろん、皆さん、幸福そうで、うらやましい。
わたくしはというと、フットボール、いえ、ストイコヴィチ監督(ピクシーね)の残像をかかえながら、ふらふらと、上野のさる通り、その一角の大衆酒場とある、お店に飛び込んだ(初めて)。
先客はお一方だけで、同じ列のカウンターにふたつほど席を開けて座った。最初に気がついたのが、メニューの貼り紙にまぎれて、「2時間以上の飲食はお断りします」である。以前、渋谷の立ち呑み屋さんでも同じような「お断り」があって、そちらは、店が狭いものだから、回転を良くするために、制限していたと思う。もちろん、立ったまま呑むから、酔いも疲れも、通常(座して呑む場合)よりヒドイから、そのことを慮っているのである。当然ながら、足攣りにも気をつけなければいけない。
次に、気づいたのは、隣の先客さんがお持ちになっている紙魚で焦げている時刻表である。
失礼かと思ったけれど、ねだって、見せていただいた。1982(昭和57)年6月号(JTB版)であった。この月の23日に東北新幹線(大宮〜盛岡間)が開通している。したがって、巻頭カラーの特集は盛岡(周辺)である。まだ、都内に直接乗り入れておらず、不便であった記憶があり、新幹線リレー号で大宮に向かい、そこから、盛岡への旅をした。当時勤めていた会社の社員旅行ということで、全員が「鉄」というわけではないのであるが、新しい「モノ」というのは、なんだか楽しいのである。「新幹線ができたから、乗ろうか」という軽い気持ちであったと思う。誰が言いだしたのか憶えていない、ただし、わたくしではなかった。ずいぶんと人気もあり、車内は立ち客もでて、満員状態であったように思う。
『年表 昭和史(増補版)1926−2003』(中村政則氏・編、岩波ブックレット)で、82年を確認した。偶然ではあるが、当時は鈴木善幸(岩手県出身)内閣であった(ただし、同年11月26日に総辞職)。いくつか、あげると、
◆2月8日 ホテル・ニュージャパン火災(33人が亡くなられる)
◆2月9日 日航機、着陸直前に羽田空港前の海に墜落(24人が亡くなられる)
◆4月1日 500円硬貨発行
◆5月6日 富士通「マイ・オアシス」発売(75万円、ワープロ普及始まる)
2月のふたつでは、お知り合いが巻き込まれたのではと、二日続けて、心配をしていた。
6月23日に東北新幹線(大宮−盛岡)が開業するが、ほぼ五ヶ月後(11月15日)に上越新幹線(大宮−新潟)も。ちなみに、上野〜大宮間は85(昭和60)年3月14日、東京〜上野間は91(平成3)年6月20日に開業した。上越はもう行き止まりなのかもしれないが、東北の方は、さらに延びており、02(平成14)年12月1日に盛岡〜八戸間、11(平成23)年春には新青森まで予定されている。
などというようなことを漠然と頭に思い浮かべながら、他所様の時刻表をしばらく眺めていた。お礼を述べて、持ち主にお返しすると、『(裏表紙の)定価には600円とあるのですが、2,000円払っちゃいました』と、嬉しそうに仰言られ、ふたりで、しばらく、鉄話をしていた。
アイルランドあるいはスコットランドには公衆酒場(パブ)があるが、江戸の下町には大衆酒場ということなのであろうか、何より、陽の高い(明るい)うちから、迎えてくれるのが頼もしい。だからといって、長居は無用である。この日は、勘定を済ませると、「あら、ぴったり2時間だわ〜」と、それでもって、まけて頂けるとか、景品が出るものではないけれど、ひとり酒にはちょうど良いのかもしれない。酔いもせず、酔ってもいて、という気分が心地良い。(ま、半端には変わりはないが)
明日はお天気が悪そうであるが、もう一度上野にでかけてみたい。下谷神社の大祭も、もちろんであるが、下町パブも・・・。どうせ、迷うが、さ迷い用の地図をプリントアウトして、いくつか、標しもつけてみた。秋葉神社(松が谷)から下谷神社まで、直線距離にすれば数百メートルであるが、午にでて、夕闇に祭礼の真っ只中に、と、想っている。
わたくしはというと、フットボール、いえ、ストイコヴィチ監督(ピクシーね)の残像をかかえながら、ふらふらと、上野のさる通り、その一角の大衆酒場とある、お店に飛び込んだ(初めて)。
先客はお一方だけで、同じ列のカウンターにふたつほど席を開けて座った。最初に気がついたのが、メニューの貼り紙にまぎれて、「2時間以上の飲食はお断りします」である。以前、渋谷の立ち呑み屋さんでも同じような「お断り」があって、そちらは、店が狭いものだから、回転を良くするために、制限していたと思う。もちろん、立ったまま呑むから、酔いも疲れも、通常(座して呑む場合)よりヒドイから、そのことを慮っているのである。当然ながら、足攣りにも気をつけなければいけない。
次に、気づいたのは、隣の先客さんがお持ちになっている紙魚で焦げている時刻表である。
失礼かと思ったけれど、ねだって、見せていただいた。1982(昭和57)年6月号(JTB版)であった。この月の23日に東北新幹線(大宮〜盛岡間)が開通している。したがって、巻頭カラーの特集は盛岡(周辺)である。まだ、都内に直接乗り入れておらず、不便であった記憶があり、新幹線リレー号で大宮に向かい、そこから、盛岡への旅をした。当時勤めていた会社の社員旅行ということで、全員が「鉄」というわけではないのであるが、新しい「モノ」というのは、なんだか楽しいのである。「新幹線ができたから、乗ろうか」という軽い気持ちであったと思う。誰が言いだしたのか憶えていない、ただし、わたくしではなかった。ずいぶんと人気もあり、車内は立ち客もでて、満員状態であったように思う。
『年表 昭和史(増補版)1926−2003』(中村政則氏・編、岩波ブックレット)で、82年を確認した。偶然ではあるが、当時は鈴木善幸(岩手県出身)内閣であった(ただし、同年11月26日に総辞職)。いくつか、あげると、
◆2月8日 ホテル・ニュージャパン火災(33人が亡くなられる)
◆2月9日 日航機、着陸直前に羽田空港前の海に墜落(24人が亡くなられる)
◆4月1日 500円硬貨発行
◆5月6日 富士通「マイ・オアシス」発売(75万円、ワープロ普及始まる)
2月のふたつでは、お知り合いが巻き込まれたのではと、二日続けて、心配をしていた。
6月23日に東北新幹線(大宮−盛岡)が開業するが、ほぼ五ヶ月後(11月15日)に上越新幹線(大宮−新潟)も。ちなみに、上野〜大宮間は85(昭和60)年3月14日、東京〜上野間は91(平成3)年6月20日に開業した。上越はもう行き止まりなのかもしれないが、東北の方は、さらに延びており、02(平成14)年12月1日に盛岡〜八戸間、11(平成23)年春には新青森まで予定されている。
などというようなことを漠然と頭に思い浮かべながら、他所様の時刻表をしばらく眺めていた。お礼を述べて、持ち主にお返しすると、『(裏表紙の)定価には600円とあるのですが、2,000円払っちゃいました』と、嬉しそうに仰言られ、ふたりで、しばらく、鉄話をしていた。
アイルランドあるいはスコットランドには公衆酒場(パブ)があるが、江戸の下町には大衆酒場ということなのであろうか、何より、陽の高い(明るい)うちから、迎えてくれるのが頼もしい。だからといって、長居は無用である。この日は、勘定を済ませると、「あら、ぴったり2時間だわ〜」と、それでもって、まけて頂けるとか、景品が出るものではないけれど、ひとり酒にはちょうど良いのかもしれない。酔いもせず、酔ってもいて、という気分が心地良い。(ま、半端には変わりはないが)
明日はお天気が悪そうであるが、もう一度上野にでかけてみたい。下谷神社の大祭も、もちろんであるが、下町パブも・・・。どうせ、迷うが、さ迷い用の地図をプリントアウトして、いくつか、標しもつけてみた。秋葉神社(松が谷)から下谷神社まで、直線距離にすれば数百メートルであるが、午にでて、夕闇に祭礼の真っ只中に、と、想っている。
2008.05.08
KING OF TOKYO (東京王〜甘楽王)
わたくしにはGWはあまり関係ないけれども、最終日は(遊びに)でかけた。午前中に、先ずコンビニへ。予め、調べておいたコードを入力して、本日行なわれる味スタでのグランパス×FC東京戦チケットを手に入れる。
[コンビニでゲット]

名古屋ファンというよりは、ストイコヴィチさんを拝みにという気持ちがより強い。もちろん、現在(試合開始前)、2位と3位の闘いであるから、それはそれなりに緊迫したマッチが期待される。事前のチケット販売状況では、芳しくない入りのように思えたが、試合開始2時間前(試合開始は午後3時の予定)、最寄りの京王線・飛田給駅に着くと、想像以上の人で通りが埋め尽くされていた。連休最後の日、しかも天候も良好とあり、家族づれやら、グループ、カップルと、急遽、観戦を思いついた方が多いのであろう。スタジアムにある当日券売場も列ができていて、急遽さがうかがえた。ハーフタイムに3万人という入場者数が発表された。のちほど調べると、さすがに浦和は一頭抜きんでていて、5.2万人、新潟も3.6万人とアツイ。J2の甲府1.5万人もスゴイ。もっとも、味スタで3日および4日に行なわれたらしいX JAPANによる《 hide memorial summit 》は、ほぼ満席(5万人)だったらしい(ただし、この試合では上層席の一部は使われていなかったので、使っていれば、も、少し、入ったのかもしれない)。
☆入場者数;5月6日;Jリーグ公式記録より☆
[J1]
[J2]
・・・付近のコンビニやら弁当屋さんは大賑わいである。わたくしはというと、スタジアムとは反対側の踏み切りをまたいで、中華料理屋さんに。試合前の腹ごしらえ、というより、舌(咽喉)ごしらえをして、2時前には場内に入った(試合中は呑まない)。その頃から、ウォーミングアップが始まる。ピッチを2分割して、それぞれがストレッチや走り込み、パスワークの練習と進んでいく。両チームともに、最初にGKが登場して、そのあと、残りの10人が現われ、本日のスターティングメンバーが出揃う。サブスティテューションはそのあとにピッチで魅せてくれる。もちろん、この頃には藤田俊哉さんに眼を凝らす(残念ながら、本日は出場なし、カップ戦に期待したい)。総じて、サッカー選手は「小さい」という印象があるけれども、実際、初めて観るJリーグのプレイヤーたちは大きいと感じた。その根拠は一昨年暮れに観た高校サッカー(拙ブロ;「0-0と0-0」06年12月31日付)との較差でしかないが、やはり大きい。背丈はあまり変わらないのかもしれないが、幅というか、体全体からかもしだされている強さがまったく異なっている。例えば、藤田さんはそのブログによると174センチとあるが、それ以上の存在感がある。ピッチに近い席でもって観ているということから「大きく」見えるのかもしれないが、仮に隣でもって並んでもらったとした場合を想っても、高さ(丈)は、わたくしとあまり変わらないけれども、ひとつひとつの部位が断然優っているはずである。
上肉である。
ネット情報で知る限り、攻撃的なピクシー・フットボールも本日だけは、勝ちにこだわった。交代だけで示すと、これまでは守り⇒攻め、が、攻め⇒守りであった。前半17分にゴールを決めた杉本選手の足攣りによるアクシデントがあったものの、この試合のピクシーは慎重であった。
『守るのも、サッカーのうちだからねぇ〜(~_~)』
、とでも、イビチャ師の長電話で囁かれたのであろうか、「弟子」はそれを忠実に実行した。わたくしは、後半、アウェイがめざすゴール側にいたので、ボールも選手も素っ気がなく、遠くの方で、ごちゃごちゃマッチングしているのを眺めているしかなかった。FC東京のGK(塩田仁史選手)も暇そうにしていらした。実は、前半のゴールも向こう側である。スピードスターといわれる彼(杉本恵太選手)が放ったショットはまさに電光石火、あれれ、一体どこから、抜けだしてきたのかが分からない。おそらく、より近い位置にいるGKも同じ感覚であったのだろう、延ばした手の先を掠めるようにしてゴール右側のネットを揺らした。杉本・塩田両選手は茨城県出身で、大学の1年後輩・先輩にあたる。
また、フットボールを直に観たいと思った。ピッチから誰もが去ったと思ったあとに、グランパス・サポーター付近が騒がしい。その中心に、本日唯一のゴールを決めた杉本選手がいて、しばらくすると、コッチ側にも走りよってきて、わたくしたちと、4マッチぶりの勝利を味わっていた。
[真ん中付近に黒っぽい棒状の姿がピクシー]

[9/10はFCサポーター]※グランパスサポーターあたり

[サポーターにご挨拶]※本日はアウェイ用の白っぽいユニフォーム

11日(日)はキング オブ トウキョウ、アマラオ選手の引退試合がある。今日も、ホーム側のゲート付近にアマラオさんのフラッグが他の誰よりも大きく靡(なび)いていた。駅付近で配っていたチラシに出場予定として、ラモス瑠偉、小島伸幸、小倉隆史、山口素弘(以上、敬称略)らとともに、原博実さんの名をみつけた。プレイされるのであろうか、であれば、観にいきたいとも思うけれど、(わたくし的な事情で)叶わないかもしれない、残念。
よろしかったら、どうぞ。入場無料(^J^)
[キング オブ トウキョウ アマラオさんのファイナルマッチ]

すがら、上野に寄った。特に、目的はなかったけれども、最近開店したヨドバシカメラさんの新館を覘いた。でて、多くのお客さんで埋まっているアメ横を徘徊しながら、フットボールの余韻を、さて、どこで味わおうかと、止まり木を求めて、少し、歩いた。(続く)
[コンビニでゲット]

名古屋ファンというよりは、ストイコヴィチさんを拝みにという気持ちがより強い。もちろん、現在(試合開始前)、2位と3位の闘いであるから、それはそれなりに緊迫したマッチが期待される。事前のチケット販売状況では、芳しくない入りのように思えたが、試合開始2時間前(試合開始は午後3時の予定)、最寄りの京王線・飛田給駅に着くと、想像以上の人で通りが埋め尽くされていた。連休最後の日、しかも天候も良好とあり、家族づれやら、グループ、カップルと、急遽、観戦を思いついた方が多いのであろう。スタジアムにある当日券売場も列ができていて、急遽さがうかがえた。ハーフタイムに3万人という入場者数が発表された。のちほど調べると、さすがに浦和は一頭抜きんでていて、5.2万人、新潟も3.6万人とアツイ。J2の甲府1.5万人もスゴイ。もっとも、味スタで3日および4日に行なわれたらしいX JAPANによる《 hide memorial summit 》は、ほぼ満席(5万人)だったらしい(ただし、この試合では上層席の一部は使われていなかったので、使っていれば、も、少し、入ったのかもしれない)。
☆入場者数;5月6日;Jリーグ公式記録より☆
[J1]
[J2]
・・・付近のコンビニやら弁当屋さんは大賑わいである。わたくしはというと、スタジアムとは反対側の踏み切りをまたいで、中華料理屋さんに。試合前の腹ごしらえ、というより、舌(咽喉)ごしらえをして、2時前には場内に入った(試合中は呑まない)。その頃から、ウォーミングアップが始まる。ピッチを2分割して、それぞれがストレッチや走り込み、パスワークの練習と進んでいく。両チームともに、最初にGKが登場して、そのあと、残りの10人が現われ、本日のスターティングメンバーが出揃う。サブスティテューションはそのあとにピッチで魅せてくれる。もちろん、この頃には藤田俊哉さんに眼を凝らす(残念ながら、本日は出場なし、カップ戦に期待したい)。総じて、サッカー選手は「小さい」という印象があるけれども、実際、初めて観るJリーグのプレイヤーたちは大きいと感じた。その根拠は一昨年暮れに観た高校サッカー(拙ブロ;「0-0と0-0」06年12月31日付)との較差でしかないが、やはり大きい。背丈はあまり変わらないのかもしれないが、幅というか、体全体からかもしだされている強さがまったく異なっている。例えば、藤田さんはそのブログによると174センチとあるが、それ以上の存在感がある。ピッチに近い席でもって観ているということから「大きく」見えるのかもしれないが、仮に隣でもって並んでもらったとした場合を想っても、高さ(丈)は、わたくしとあまり変わらないけれども、ひとつひとつの部位が断然優っているはずである。
上肉である。
ネット情報で知る限り、攻撃的なピクシー・フットボールも本日だけは、勝ちにこだわった。交代だけで示すと、これまでは守り⇒攻め、が、攻め⇒守りであった。前半17分にゴールを決めた杉本選手の足攣りによるアクシデントがあったものの、この試合のピクシーは慎重であった。
『守るのも、サッカーのうちだからねぇ〜(~_~)』
、とでも、イビチャ師の長電話で囁かれたのであろうか、「弟子」はそれを忠実に実行した。わたくしは、後半、アウェイがめざすゴール側にいたので、ボールも選手も素っ気がなく、遠くの方で、ごちゃごちゃマッチングしているのを眺めているしかなかった。FC東京のGK(塩田仁史選手)も暇そうにしていらした。実は、前半のゴールも向こう側である。スピードスターといわれる彼(杉本恵太選手)が放ったショットはまさに電光石火、あれれ、一体どこから、抜けだしてきたのかが分からない。おそらく、より近い位置にいるGKも同じ感覚であったのだろう、延ばした手の先を掠めるようにしてゴール右側のネットを揺らした。杉本・塩田両選手は茨城県出身で、大学の1年後輩・先輩にあたる。
また、フットボールを直に観たいと思った。ピッチから誰もが去ったと思ったあとに、グランパス・サポーター付近が騒がしい。その中心に、本日唯一のゴールを決めた杉本選手がいて、しばらくすると、コッチ側にも走りよってきて、わたくしたちと、4マッチぶりの勝利を味わっていた。
[真ん中付近に黒っぽい棒状の姿がピクシー]

[9/10はFCサポーター]※グランパスサポーターあたり

[サポーターにご挨拶]※本日はアウェイ用の白っぽいユニフォーム

11日(日)はキング オブ トウキョウ、アマラオ選手の引退試合がある。今日も、ホーム側のゲート付近にアマラオさんのフラッグが他の誰よりも大きく靡(なび)いていた。駅付近で配っていたチラシに出場予定として、ラモス瑠偉、小島伸幸、小倉隆史、山口素弘(以上、敬称略)らとともに、原博実さんの名をみつけた。プレイされるのであろうか、であれば、観にいきたいとも思うけれど、(わたくし的な事情で)叶わないかもしれない、残念。
よろしかったら、どうぞ。入場無料(^J^)
[キング オブ トウキョウ アマラオさんのファイナルマッチ]

すがら、上野に寄った。特に、目的はなかったけれども、最近開店したヨドバシカメラさんの新館を覘いた。でて、多くのお客さんで埋まっているアメ横を徘徊しながら、フットボールの余韻を、さて、どこで味わおうかと、止まり木を求めて、少し、歩いた。(続く)
2008.05.07
下谷神社
上野をめざして歩いていて、気になって、標題の神社に立ち寄った。それほど、大きくはない。しかし、知名度は江戸ではソコソコのはずである。もちろん、田舎者である、わたくしは「最近」知った。と、付近で働かれている(であろう)制服姿の女性お二方が飛び込んできて、おや、お参り(詣で)かと思ったら、境内にあるベンチに座られて、一服・・・!、最近は、どこもかしこも禁煙なので、ここに、避難されてきたのであろう。わたくしも、と思ったけれども、煙たがられること必至だから、遠慮した。下谷神社の大祭は5月9〜11日(金〜日)にある(同社サイトより)。
[浅草通りから撮る]

江戸のまつりは今(穀雨〜立夏)のうちが旬であるようだ。田舎では秋祭り(9月頃)が一般的であって、また、おおむね、東北は8月、これは、9月では寒いということなのだろうか、阿波踊りは8月盆の頃、ほぼ毎年訪ねている、より早稲田の稔る阿南では7月下旬に催される。
秋祭りの基準となるのは二百十日(おおむね9月1日前後)か、今でいう台風の時期を前にしての、ご祈願が「まつり」となったと考えた方が妥当であるのかもしれない。田舎の祭りはその前後に多い。ただし、おわら風の盆は二百十日過ぎ、郡上踊りは、過ぎても、まだ踊っている。稔り(収穫)を基準にすると、このあたり(二百十日)に踊ったり、浮かれたりするのが「安気(あんき)」であるのであろうか。祭りの前後、収穫の直前(穂の状態時)に検査が入り、その年の年貢量が決まってしまう。いまさら、どうにもならない、この先は天(お上)任せと思えば、祭りに走った方が気は楽である。
江戸に限っていえば、やや異なっていて、年貢の納め時が祭りどき、それが、年度(4月に変わる)につながっているというのは乱暴な考えであるが、納めた後の、あるいは、納めてもらった後の祭りを象徴していて、だから、今時分に江戸では祭りが多いと、そう思っている。もちろん、京の祭りであるとか、例外はいくらでもある。
浅草通りの向こうに、下谷山崎町があった。今の東上野4丁目・北上野1丁目付近である。「黄金餅」の西念や金兵衛が住んでいた。(拙ブロ「メグロのタヌキ」08年3月15日付)
その東隣に松が谷があって、秋葉神社がある。只今の秋葉原駅の名づけのもととなったお社らしい。佐竹通り商店街の西隣にも秋葉神社はあるが、こちらは、おそらく、佐竹氏が建立したのであろう、もともと秋葉原駅付近にあった秋葉神社は松が谷に移転したらしい。できることなら、下谷の大祭に伺い、その足を、アキハ神社に延ばしたいと、想っている。
上野には昨日もうかがった、そのことは、次回以降に。
[浅草通りから撮る]

江戸のまつりは今(穀雨〜立夏)のうちが旬であるようだ。田舎では秋祭り(9月頃)が一般的であって、また、おおむね、東北は8月、これは、9月では寒いということなのだろうか、阿波踊りは8月盆の頃、ほぼ毎年訪ねている、より早稲田の稔る阿南では7月下旬に催される。
秋祭りの基準となるのは二百十日(おおむね9月1日前後)か、今でいう台風の時期を前にしての、ご祈願が「まつり」となったと考えた方が妥当であるのかもしれない。田舎の祭りはその前後に多い。ただし、おわら風の盆は二百十日過ぎ、郡上踊りは、過ぎても、まだ踊っている。稔り(収穫)を基準にすると、このあたり(二百十日)に踊ったり、浮かれたりするのが「安気(あんき)」であるのであろうか。祭りの前後、収穫の直前(穂の状態時)に検査が入り、その年の年貢量が決まってしまう。いまさら、どうにもならない、この先は天(お上)任せと思えば、祭りに走った方が気は楽である。
江戸に限っていえば、やや異なっていて、年貢の納め時が祭りどき、それが、年度(4月に変わる)につながっているというのは乱暴な考えであるが、納めた後の、あるいは、納めてもらった後の祭りを象徴していて、だから、今時分に江戸では祭りが多いと、そう思っている。もちろん、京の祭りであるとか、例外はいくらでもある。
浅草通りの向こうに、下谷山崎町があった。今の東上野4丁目・北上野1丁目付近である。「黄金餅」の西念や金兵衛が住んでいた。(拙ブロ「メグロのタヌキ」08年3月15日付)
その東隣に松が谷があって、秋葉神社がある。只今の秋葉原駅の名づけのもととなったお社らしい。佐竹通り商店街の西隣にも秋葉神社はあるが、こちらは、おそらく、佐竹氏が建立したのであろう、もともと秋葉原駅付近にあった秋葉神社は松が谷に移転したらしい。できることなら、下谷の大祭に伺い、その足を、アキハ神社に延ばしたいと、想っている。
上野には昨日もうかがった、そのことは、次回以降に。
2008.05.04
かさご
いつも聴いて(流して)いるのは地域FMだけれども、音量を下げようとして、間違って、リモコンのBANDにふれて、AM(nhk第一)に変わった。五代目志ん生さんの「ちはやふる」が演じられていた。高校時代に聴いていたふたつのうちの一つである。(拙ブロ;「本牧」06年4月13日付)
お次のお題は志ん生さんのご長男で、いつ見てもお洒落な中尾彬さんの、ご夫人(こちらもお洒落)池波志乃さんの親御さんである十代目金原亭馬生さん演じる「かさご(笠碁)」であった。囲碁仲間から「へぼ」といわれて、その後、交友を絶ったけれども、暇をもてあましているし、だいいち、もう一度、「あいつ」と打ちたいと思っていると、あいつが家の前をうろちょろしている、煙草入れを忘れたので、取りに来たと、二たび、ふたりで「へぼ碁」を打ち交わすことになる。オチは書かない。
昼過ぎにマーケットを覘くと、カサゴの仲間であるメバルが寝そべっていた。煮付けにでもと思ったけれども高いので、横のカレイにした。
水割りがいっそう美味しい。
お次のお題は志ん生さんのご長男で、いつ見てもお洒落な中尾彬さんの、ご夫人(こちらもお洒落)池波志乃さんの親御さんである十代目金原亭馬生さん演じる「かさご(笠碁)」であった。囲碁仲間から「へぼ」といわれて、その後、交友を絶ったけれども、暇をもてあましているし、だいいち、もう一度、「あいつ」と打ちたいと思っていると、あいつが家の前をうろちょろしている、煙草入れを忘れたので、取りに来たと、二たび、ふたりで「へぼ碁」を打ち交わすことになる。オチは書かない。
昼過ぎにマーケットを覘くと、カサゴの仲間であるメバルが寝そべっていた。煮付けにでもと思ったけれども高いので、横のカレイにした。
水割りがいっそう美味しい。
2008.05.02
旅から戻った
ホントウワスコシダケタビヲシテヰタ。(ただし、旅とはいえないのかもしれない)
都に舞い戻ったとたん、歯痛に悩み、明日は何年かぶりに歯科院へ。本日、明日の診察の可否を訊ねに、そこまで行き、ああ、ここなら、安心して任すことができるという、まったく根拠のない印象を胸に置き、部屋に戻ってから、予約の電話を入れた。「ふだんから痛みますか」と訊かれて、答えが詰まったが、おそらく、「ふだん」から、ずっと、痛んでいたら、もっと早く、予約の電話を入れていたと思う。(とは、答えなかったけれども)
・・・(痛むのは)冷たいものを飲んだ時ですか?と訊かれて、はぁ、ウィスキーの水割りは呑んでいますが、さいわい、その節は痛みません・・・、もちろん、そのような会話が予約の電話の中にあるはずはないけれども、とにかく、明日、行くことになった。年中無休というのはありがたい、できれば、年中無痛になりたいと思って、少し、通ってみようかと思う。(いずれ、デンタル日記でも、書こうかと)
まめやさんも旅に出た。先月の22日に、わたくしにとって最後の神楽坂「まめや」通いになった。26日に〆られると仰言っていた。ただし、ふた月(7月ころ)もすれば、どこか(都区内)で、旅から戻った「まめや」さんが新たなお店を開いているはずである。
《渡嘉敷(とかしき)島 ゆし豆腐そばとジーマミー豆腐 の「まめや」のかあちゃん日記》
かわりにジーマミーの宅配ができるので、頼もうと思う。(わたくし的に勝手な宣伝も兼ねて。暫定的販売)
仔燕がしきりに飛ぶ練習を楽しげに行なっていた。「ふだん」(平年)より、早いなぁと思いながら、山を去った。その光景が、おそらく、歯の痛みを誘っていると、思っていたけれども、見すかされていた。どうも、だいぶ、前から、歯は悪いようである。
昨夜もそうであったが、今夜も、鎮痛剤でラリっている(句読点が置けない)
都に舞い戻ったとたん、歯痛に悩み、明日は何年かぶりに歯科院へ。本日、明日の診察の可否を訊ねに、そこまで行き、ああ、ここなら、安心して任すことができるという、まったく根拠のない印象を胸に置き、部屋に戻ってから、予約の電話を入れた。「ふだんから痛みますか」と訊かれて、答えが詰まったが、おそらく、「ふだん」から、ずっと、痛んでいたら、もっと早く、予約の電話を入れていたと思う。(とは、答えなかったけれども)
・・・(痛むのは)冷たいものを飲んだ時ですか?と訊かれて、はぁ、ウィスキーの水割りは呑んでいますが、さいわい、その節は痛みません・・・、もちろん、そのような会話が予約の電話の中にあるはずはないけれども、とにかく、明日、行くことになった。年中無休というのはありがたい、できれば、年中無痛になりたいと思って、少し、通ってみようかと思う。(いずれ、デンタル日記でも、書こうかと)
まめやさんも旅に出た。先月の22日に、わたくしにとって最後の神楽坂「まめや」通いになった。26日に〆られると仰言っていた。ただし、ふた月(7月ころ)もすれば、どこか(都区内)で、旅から戻った「まめや」さんが新たなお店を開いているはずである。
《渡嘉敷(とかしき)島 ゆし豆腐そばとジーマミー豆腐 の「まめや」のかあちゃん日記》
かわりにジーマミーの宅配ができるので、頼もうと思う。(わたくし的に勝手な宣伝も兼ねて。暫定的販売)
仔燕がしきりに飛ぶ練習を楽しげに行なっていた。「ふだん」(平年)より、早いなぁと思いながら、山を去った。その光景が、おそらく、歯の痛みを誘っていると、思っていたけれども、見すかされていた。どうも、だいぶ、前から、歯は悪いようである。
昨夜もそうであったが、今夜も、鎮痛剤でラリっている(句読点が置けない)
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