04 ,2014
能登半島深くを訪ねるのは初めてである。年初に実現し、その際に想った言葉が「のとのと」である。
金沢は何度か訪ねたことがあるが、こういうカタチでの入り方は初めてである。たいていは、この街が辿り先となっていて、そこで完結している。今回は、そうではなく、単なる通過点で、これから進める能登半島への″とば口″という地理的位置でしかない。何とも勿体無いことではある。
【能登の戸】
とはいえ、以前から金沢21世紀美術館のLeandro Erlich(レアンドロ エルリッヒ)氏による『スイミング・プール』を体験したかったので、正月5日だというのにたくさんの人で賑わっている同館に寄った。
[左2枚は下から、右は上から]
わたくしを含めて、おそらく大方が期待と不安を多少の個人差はあるものの同じ程度の混ぜ具合に感じながらプールの中・底へと向かっている。行き着いた先では満足7:まだ不安3ぐらいで皆、上(水面)を見上げて、時折、映る影に手を振ってみたりしている。もちろん、わたくしも。
ここでは孤立という機能(わがまま)は成立しない。上下いずれかに対象(「観賞」)者が存在しないと単なる少し大きな水たまりに過ぎない、ということを気づかせてくれる。本意は分からない、妻有(つまり)のトンネル(越後妻有交流館キナーレ)という作品も手掛けていて、彼氏は一筋縄ではいかない方であるから、疑ってかかる方が安心できる。だから七分三分である。
水底の奥に独りゐることも三分のうちだが、戻り、水底を覗くと、一両にもなる。幸い、被観賞者がゐた。向こうとこちら(も被観賞者)の視界は絶えず揺れている水波のせいで決して良くないのも不安を昂(たか)める薬効となっている。そんな中で、お互いが聞くにも、見るにも状態の良くない条件で交信に挑んでいる。
Placebo!
賑わいの理由が分かった。たまたま金沢市内の学校(小中高)の児童生徒による作品展が開かれていて、ご父兄やら関係者の方が大勢来られている。ついでながら、作品を拝見した。金沢が特段というわけではないだろうが、おおらかな創作活動の結実が展覧会場全体に溢れている。彼らにとっての美・芸術あるいはこの先の自身への戸を見せつけられたようで、十分堪能(と驚き)させていただいた。
時間がなく、この程度しかKANAZAWAに留まることができなかったけれども、二たび三度、訪ねてみたい。
この美術館には入口と出口を除けば順路という煩わしいルールがなく、観覧者の心と身体、五感に任せられているところが楽しい。わたくしのような方向音痴にはとても、やさしい。迷うことも必要とレ氏も仰言って(支持して)いるような気がする。
のとのとと、のとのとを、つづけていきます
金沢は何度か訪ねたことがあるが、こういうカタチでの入り方は初めてである。たいていは、この街が辿り先となっていて、そこで完結している。今回は、そうではなく、単なる通過点で、これから進める能登半島への″とば口″という地理的位置でしかない。何とも勿体無いことではある。
【能登の戸】
とはいえ、以前から金沢21世紀美術館のLeandro Erlich(レアンドロ エルリッヒ)氏による『スイミング・プール』を体験したかったので、正月5日だというのにたくさんの人で賑わっている同館に寄った。
[左2枚は下から、右は上から]
わたくしを含めて、おそらく大方が期待と不安を多少の個人差はあるものの同じ程度の混ぜ具合に感じながらプールの中・底へと向かっている。行き着いた先では満足7:まだ不安3ぐらいで皆、上(水面)を見上げて、時折、映る影に手を振ってみたりしている。もちろん、わたくしも。
ここでは孤立という機能(わがまま)は成立しない。上下いずれかに対象(「観賞」)者が存在しないと単なる少し大きな水たまりに過ぎない、ということを気づかせてくれる。本意は分からない、妻有(つまり)のトンネル(越後妻有交流館キナーレ)という作品も手掛けていて、彼氏は一筋縄ではいかない方であるから、疑ってかかる方が安心できる。だから七分三分である。
水底の奥に独りゐることも三分のうちだが、戻り、水底を覗くと、一両にもなる。幸い、被観賞者がゐた。向こうとこちら(も被観賞者)の視界は絶えず揺れている水波のせいで決して良くないのも不安を昂(たか)める薬効となっている。そんな中で、お互いが聞くにも、見るにも状態の良くない条件で交信に挑んでいる。
Placebo!
賑わいの理由が分かった。たまたま金沢市内の学校(小中高)の児童生徒による作品展が開かれていて、ご父兄やら関係者の方が大勢来られている。ついでながら、作品を拝見した。金沢が特段というわけではないだろうが、おおらかな創作活動の結実が展覧会場全体に溢れている。彼らにとっての美・芸術あるいはこの先の自身への戸を見せつけられたようで、十分堪能(と驚き)させていただいた。
時間がなく、この程度しかKANAZAWAに留まることができなかったけれども、二たび三度、訪ねてみたい。
この美術館には入口と出口を除けば順路という煩わしいルールがなく、観覧者の心と身体、五感に任せられているところが楽しい。わたくしのような方向音痴にはとても、やさしい。迷うことも必要とレ氏も仰言って(支持して)いるような気がする。
のとのとと、のとのとを、つづけていきます