06 ,2016
能動
佐渡(椎崎諏訪神社@5/7)に続き、国立能楽堂(東京・千駄ヶ谷)で「羽衣」を観た(6/1)。較べて、どう?と訊かれたが、答えは無い。強いて言えば、外(境内)と内(堂内)ぐらいしか分からない、また、違いがあってはならないと素人考えしている。
ただし、二度目ということか、わたくしにも少し「隙」ができた。この日は前(佐渡)回より演者方の歩みが「緩慢」に感じられた。五色幕が揚がり、数秒もあれば橋掛り(国立堂の場合は13m50㎝)から本舞台へと進めるのだが、「実際」には長い時が過ぎていく。演題そのものは60分ほどであるが、その多くを「運び(歩み)」に費やしていて、「舞」は殆ど無い。と敢えて記す。
之(運び)を「間」と解して良いのだろうか。間抜けな己には判じられないが、間を知る手掛りになっている。
能動とは、「(積極的に)自己の働き(力)を他へ(に)及ぼすこと」と辞書にあるが、能の動きとはそういうものかとも学んだ気になった。
(参照)
「能楽堂の舞台周り」(文化デジタルライブラリー/独立行政法人日本芸術文化振興会)
演中は撮影できないので、終了後に。本舞台の正面左側の目付柱は演者(シテ方)が舞う際の目印になると用語集にあるが、観る側にも能の間や動きを感じ取ることのできる標となっている、そういうことも考えさせられた。
[中正面5列3番]
[能楽堂とアジサイ]



方向音痴なので、二度三度と街なかの地図で場所を確認していると、近くに神社があると知り、帰りに寄ってみようと想った。
偶然というしかないが、鳩森八幡神社にも能舞台があった。頂いた冊子には5/13に薪能が奉納?されたとある。能「富士山」は金春流と金剛流だけの貴重な曲(社報「鳩森」より)だそうで、15回目の演目として選ばれたのは同社にある富士塚に因んでのことであると謂う。週末(6/3)の山開きに間に合わせようと、飾り付けをされていた方に一言掛けて、登らせていただいた。正式?には幾つもある祠さんを詣りながら上を目指すようだが、面倒(無信心)なので1分ほどで登頂完了。
[鳩森八幡神社]
後日、山麓から届いた。偶然にも程があろう。