08 ,2014
バイカルの石
1979年の夏、横浜_ナホトカ航路、シベリヤ鉄道という旅行をした。当時の「ソ連」は仲々行きづらく、個人で勝手気ままに歩き回ることはできなかったので、いわゆるパックツアーで上記ルートをモスクワまで事前に購入した。シベリヤ鉄道でハバロフスク~モスクワはおおよそ1週間乗り続けないと行けない。ツアー参加者が飽きるのを見込んでか、途中、イルクーツクに泊まり(途中下車)、そのサービスツアーとしてバイカル湖見学があった。資料館を訪れ、そののち湖畔へ。画像はその際拾ってきた湖傍の石である。もう、35年(の今日)も前のことであり、(わたくしの)住まいも幾つか変わっているが、現住居になって以来、仕事部屋の窓際にずっと置いてある。バイカルの湖底には赤軍に追われて東へと逃げた白軍および家族らが極寒の湖上で亡くなられ、春、結氷が終わるとともに沈んだと謂う。
[Камень Байкал]
明日、69回目のその朝を迎える。未だにその影響により苦しんでいらっしゃる方が多数と、この時期にだけの報道で知ることはできるが、それ以上の想いをしない自分でもある。せめて、というつもりで、先月末(7/24)に所用で広島に伺った際、原爆ドームへ(祈り)。
[原子力爆弾ドーム]
同日(滞広島)、この小山のお蔭で被爆を最小限まぬがれた段原の街を訪れた。再開発ですっかり変わってしまったが、山の中腹から市街を望み、二たび祈。
[比治山(ひじやま)から市街を]
なぜ、8/6、8/9、/8/15が祈念日として休日にならないのか、ずっと想っている。海の日、山の日などと云っている場合ではないと思う。
バイカルからおおよそ100年、そして69年、わたくしの35年はどうでも良いことだが、時が経つというのは忘却の危殆ともなるが、同時にバイカルのごとく深い記憶をしっかりと留めておくべきだと、弱輩として垂れておく。
[Камень Байкал]
明日、69回目のその朝を迎える。未だにその影響により苦しんでいらっしゃる方が多数と、この時期にだけの報道で知ることはできるが、それ以上の想いをしない自分でもある。せめて、というつもりで、先月末(7/24)に所用で広島に伺った際、原爆ドームへ(祈り)。
[原子力爆弾ドーム]
同日(滞広島)、この小山のお蔭で被爆を最小限まぬがれた段原の街を訪れた。再開発ですっかり変わってしまったが、山の中腹から市街を望み、二たび祈。
[比治山(ひじやま)から市街を]
なぜ、8/6、8/9、/8/15が祈念日として休日にならないのか、ずっと想っている。海の日、山の日などと云っている場合ではないと思う。
バイカルからおおよそ100年、そして69年、わたくしの35年はどうでも良いことだが、時が経つというのは忘却の危殆ともなるが、同時にバイカルのごとく深い記憶をしっかりと留めておくべきだと、弱輩として垂れておく。